俺は君を……

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俺は君を……

国親が那栄商事の跡取り息子、まさかの御曹司だったと知る。 この日、どうやって家に帰ってきたのか分からないほどに俺は動揺していた。 だって、国親と関係を持ってしまった、それに数々の失礼な発言…… いや、それはお互い様だ、俺が身を縮めることはない。 …… とすると、関係だって言い出したのは、誘ったのは国親の方だ、なにひとつ俺が後ろめたく思うこともないはずだ。 とはいえ…… 。 自分の部屋なのに、玄関ドアを開ける気が重たすぎてノブを掴んで止まる。 いつも通りにすればいいんだ。 あと三週間…… いつも通りに…… できるか、俺に。 ドアノブを掴んだまま、動かない俺。 「なにしてんの? 」 はっ! 国親っ! 「く、く…… 国親さんっ!」 「なに、びっくりしてんの? 早く部屋に入りなよ。てか、たまにその『国親さん』って、いいよねぇ〜、いつも君、君って、ちょっと色気ないじゃん」 笑いながら国親が、俺の手を覆ってドアノブを握る。どきりと心臓が飛び出そうになる。 そしてそのままドアノブを引っ張ると、ガチャッ!と大きな音を立ててドアが動かない。 「なんだよ、鍵、開いてないじゃん」 「あ…… 君が部屋にいるものだと思ったから、鍵を開けていなかった…… あの…… 」 「ん? 」 「手を…… 手をどかしてくれないか? 」 「あ? あ、悪ぃ悪ぃ」 俺の手を覆っていた手を、なんでもなくスッとどかした。 いちいち、どきどきするから気をつけてくれ。 「なに? 今日は早いじゃん、珍しいね、夕飯食べた? 」 「…… まだだ」 「まじ? じゃあさ、一緒にご飯食べに行こうぜ」 …… すっかり、君に飲まれてるな、俺。 「いや、片付けなければならない仕事があるから遠慮する」 「えーーーっ!なんで一朗太はいつもそうやって仕事熱心なんだよー、そんなに楽しいか? 仕事」 「た、楽しいとか、そ、そういうんじゃ、ない」 色々と分かってしまって頭が混乱し、しどろもどろになってしまう。 「そんなにね、一生懸命やったってね、なんかあった時に会社は一朗太の面倒なんか見てくれないよ」 …… そうなのか? あ、いや、そうだよな。分かってるさ、そんなこと。 にしても、複雑な胸中だな。 国親が前を歩き、続いて俺もリビングダイニングに入る、まるで自分の家のように振る舞う国親の背をなんとも言えない気持ちで見つめた。 「今日さぁ俺、めっちゃビビったよ」 「…… なににだ」 「部屋さ、ちょっといいかなぁみたいなのがあって見に行って契約しようかと思ったら、免許証忘れちゃってさ」 テーブルの上にだな。 というか、ちゃんと部屋を探していたんだな。 というか、君なら住む家なんて腐るほどあるのではないか? というか…… なんだこの胸のざわめき。 「契約するのに身分証明必要だって言うから、一旦取りに戻ってまた行こうと思ったけど、途中で面倒くさくなって帰ってきちゃったわ」 「なぜ面倒くさくなるんだ、そこで決めればよかっただろう」 そうしてくれたら、俺の心の乱れは無事になくなる。 俺程度の下っ端が、御曹司の君と顔を合わせることなどないだろう、そうだ、なにも心配などいらない。 「ね、ここに住んじゃだめ? 」 「だめに決まっているだろうっ!」 いきなりの思いもかけない国親の言葉に、必要以上の拒否の声をあげた。 「そんな一刀両断に言わなくてもいいじゃんよ…… 」 語尾が淋しげに聞こえたから、一瞬、申し訳ないと思ったが…… だって、だめに決まっているだろう。 ああ、もう、頼むから君からさっさと出て行ってくれ。 しゅん、としてソファーに腰を掛け、口先を少し尖らせている国親。 その様子では、俺が君の会社の社員だということは知らないようだと思える。 知ったらどうなる? 無意識にカバンから仕事をするための資料を出したが、封筒が『株式会社 那栄商事』とデカデカとあり、慌ててまたカバンに戻した。 「ん? どうした? 」 ガサガサガサッと大きな音を立ててしまったから、国親が怪訝な顔で俺の方を見ている。 「いや、な、なんでもない」 ああ、嘘が苦手なんだ俺は…… これは持たないぞ、顔が引きつった。 それに、家で仕事をしなければならない時はダイニングテーブルでしていた。どうするんだ、寝室にはベッドしかない。 とりあえず今日のところは近くのカフェに行こう、パソコンもできるし静かだ。 カフェはあまりにお洒落で、俺には気後れがするのだが仕方ない。 「あれ? なに? また出かけるの? 」 「ああ…… ちょっと調べたいことがあるから…… 」 「なんだよ〜、今日は一緒にご飯が食べれると思ったのにな〜」 ご飯はどこにあるのだ? 俺が作るのだろう? それにそんな残念そうに、ひどい勘違いを起こしてしまうからやめてくれ。 「どこに行くの? 」 「え? ちょっと…… そこまで」 「どこまで? 」 しつこいな。 「君に答える必要はないだろう」 「だからさ、なんでそんな冷たいこと言うの? 」 「…… 冷たくはない、普通だ。というか、君以外の人にはきちんと誠実に接している」 「え? 俺にだけ特別なの? 」 嬉しそうな顔をする。決して良い意味で言っているわけではないのに、平和な人間だな、と思わずにはいられない。 「どこ行くのか教えてよ」 「近くのカフェだ、仕事に集中したい」 「カフェ? 俺も行く」 立ち上がって嬉しそうに、再び出かける準備をする国親。 それでは同じことだろう、君に仕事しているところを見られたらまずいんだ。君の会社の人間だと分かってしまうではないか。 「やはりやめた」 明日の朝早く出て、会社で仕事をしようと考え直した。 「仕事、ここですればいいじゃん。邪魔しないから」 にっこりと笑う。 邪心などまるでないその笑顔に、絆されてしまいそうだ。 俺は君を…… ああ、もう、どうしたらいいんだ。
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