一人目のお客様: ママ

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 そんな日の昼下がりである。ちょうど小学生くらいの子どもたちが学校から帰ってくる頃で、店の外が帰宅中の子どもたちの声で少々騒がしくなる。もうそんな頃合いか、と渡は客のいない店内を掃除でもするかとカウンターから出ようとしたときだった。  カランカランと軽快な音を立てて来客を告げた扉に目をやって、渡は「おや」と思った。とは言え、渡は店員で、相手が客であることには違いない。渡はその動揺を表情には乗せずににこりと微笑む。 「いらっしゃいませ」  穏やかな笑みで出迎えたのは、小さな小さなお客様だった。恐る恐ると言った様子で扉をくぐり渡を見上げてくる四つの瞳。それは小学校高学年くらいと思しき少年と、その少年に手を引かれるように背後に立っている低学年ほどの幼い少女だった。  渡の店にやってくるのは、その扱っているものの関係もあり圧倒的に女性客が多い。それも、年代的には壮年世代が多いのだが、そんな中でこんなにも幼いお客様が訪ねて来たのである。驚いてしまうのも無理はない話だ。少年に手を引かれている少女は、貯金箱なのだろうか、プラスチック製の青い猫型未来ロボットを腕に抱えている。 (お母さんへのプレゼントでも探しに来たのかな)  初めこそそう思ったけれど、少年の年齢にそぐわない神妙な顔つきと、少女の泣き濡れた瞳から、そうではなさそうだ、と察する。  と、渡が胸の内でそんなことを考えている間にふたりは緊張した様子で渡のいるカウンターまで進んできた。それから少年は、「ほら」と少女の背を押してなにかを促す。その様子はなんだか微笑ましくもあって、渡は腰を折るようにして視線を下げた。 「いらっしゃいませ。なにかお探しですか?」  そして、小さなお客様にそう尋ねる。  少女はおずおずと顔を上げると、渡の穏やかな様子を見て安心したのだろうか、気を抜いたようにへにゃりと眉尻を下げた。それは、困り切った、という表情に見えた。 「あ、あのね、」  それから少女は、貯金箱を抱えているのとは逆の手を洋服のポケットに突っ込む。そしてそこからなにかを取り出すと、小さな拳を渡の方へと差し出してきた。渡は両手を皿のようにして差し出されたものを受け取る。  少女の手から転がり出たのは、ピアスの片割れだった。穴に通す部分がフックのような形になっていて、ピアスホールにそれを通して引っかけるように装着するピアスだ。フックの下には木製のボールが大小さまざまにぶら下がっていて、まるで葡萄のようだ。ただ、そのボールは赤、青、緑と色とりどりでエスニックな雰囲気がある。  そんなピアスのフック部分が大きくひしゃげてしまっていた。踏みつけてしまったのだろうか。強い力がかかって曲がってしまったのだろうことは確かだった。 「これね、直る?」  と、少女はそう尋ねてくる。ふむ、と渡はピアスに目を落とした。幸いピアスパーツが曲がってしまっているだけのようで、パーツを交換するだけでよさそうだった。  本来、修理の類いは工房でやってもらうことが多いが、これくらいであれば渡が対応してしまう。フックに刻んである材質の刻印を見ても、シルバー製で高価すぎる貴金属ではない。店内にストックのあるパーツだ。すぐに直るだろう。渡は「はい」と頷いた。 「直りますよ。この曲がってしまったパーツを新しいものに交換します」  そう言えば少女の顔はぱあっと華やぐ笑みに変わった。嬉しそうに、うしろに控えていた少年に顔を向ける。 「お兄ちゃん、直るって!」  どうやらふたりは兄妹らしい。兄と呼ばれた少年は、それでも、少女のようにすぐには表情を明るくしなかった。 「お金はいくらかかりますか。すぐに直りますか」  固い声でそう尋ねてくる。しっかりした子どもだな、と渡は感心してしまう。自分がこのくらいの年齢だった頃、こんなにしっかりと物事を考えられただろうか。確かにこの少女の腕の中の貯金箱にある金額で直せるのかは大きな問題だし、それにおそらく、このピアスは彼女のものではないだろう。このふたりはこのピアスの持ち主に黙ってこれを持ってきている。こっそり修理して、こっそり元あった場所に戻したい。何事もなかったかのように。だからすぐに直るかも確認したかったのだろう。  渡は少し考えてから、少年の問いに応えた。 「五百円で、すぐに直りますよ」  渡の言葉にようやく、少年はほっとしたように口元を緩めた。  本当であれば少なくとも倍はかかる。けれど、少女が身じろぎするたびにチャラチャラと軽い音を鳴らすその中には果たしてどれほどの金額があるだろうか、と渡は思ったのだ。それでも、こうして修理をするために、幼い子どもたちだけでこの店を探し出したことには感心する。偉い、とも思う。だから直してあげたい、と思った。
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