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その日の、そのときの場面を想像したら、体の内側からふるえてしまう。
その日の、そのときとは?
2月14日だ、バレンタインデーでチョコレートを彼に渡すときだ。
生まれて初めて男の子に義理チョコ以外をあげる瞬間――。
今日が、その日、そのときであった。
「なにビビってんのよ? たかがチョコじゃん」
朝の自転車通学中、私の後ろを走る里美がつまんなそうにそう言ってきた。
私は顔だけ後ろを向いて言った。
「チョコをあげることが怖いんじゃない」
里美は私の言葉に唇をゆがめた。
「ははあ? 受け取ってもらえないこと想像して、ふるえてるなぁ?」
それも違った。私自身はバレンタインデーに興味なんて全くなかったから、彼氏が今日のチョコを受け取らなくても別にダメージを負うことはないのであったが……。
「違うのよ。あなたも、もうすぐ知ることになるわ」
「なにを?」
「今日、男の子がチョコを待ちわびている姿をよ――」
私が付き合っている彼は違う高校だった。
自転車通学でいつも毎朝すれ違うから、チョコを渡すのはそのときだ。
「ああ~。あいつ、今日は風邪か腹痛で休まないかな――」
「ひどくね? それ」
ひどいのはどっちか、もうすぐわかる。
道の向こう側から彼が自転車に乗ってやって来た。
あれ? 彼、止まった。
自転車を降りた。
縁石の上に座り込んだ。
「ちょっと、彼氏、どうしたんだろ? 何かあったのかな?」
里美も心配そうに聞いてきた。
「わかんない。でも、あの光景が何を意味するのか、もうすぐ、きっとわかる……」
私たちは縁石の上に座り込んでしまった彼の近くで自転車を止めた。
彼は私たちの方に顔を上げ、低い声で挨拶してきた。
「やあ、おはよう。待ってたよ……」
彼のその低い声に私は体がふるえた。
私の横に並ぶ里美も緊張しているようだ。そんな気配を感じた。
「待って、いたのね?」
そう。彼は待っていたのだ。2月14日、バレンタインデーという今日を――。
そして私はふるえていた。2月14日、バレンタインデーという今日を――チョコを渡すこの瞬間を――何度も何度も想像してしまって。
「は、早くチョコをくれ! こ、心が寒い!」
恥も外聞もすべて捨て去ったかのように「ギブミーチョコ」と請う男の姿があった。
もうすぐ、目の前の男は義理チョコ以外の本命のチョコを生まれて初めてもらえるのだったから、まるで飢えた獣のような目で私の手元を見てきた。
「里美。義理チョコをお先にどうぞ……」
「ええっ? 私っ? も、持ってきてないけど」
「いいんだ。義理チョコは後日受け付けるよ」
甘いものを舐めるように舌を出す彼。
「ひっ」
その彼の姿に里美は一歩身を引いた。
私は小声でささやいた。
(わかったか? こういうことだぞ。男の子と付き合うとってことが)
「ひいっ」
里美は完全におびえてしまった。かわいそうなくらい身をふるわせている。
「心が、手が、寒いんだよおおおっ! 早く、キミのぬくもりに包まれたチョコをくれよお!」
「帰り道に偶然ここですれ違えたらあげるよ」
「え?」
「運命ってのを感じたいじゃん?」
「じゃんって、おまえ……」
「じゃあねえ。放課後に~」
「あ、ああ……」
彼は縁石をゴツンと一度殴って、かわいそうなくらいガッカリした後ろ姿を見せて自分の学校に向かった。
ふう。うまくこの場は乗り切れた。
少しふるえる体を私はさすった。
「里美? 行くわよ」
「ふぇえん。男子のナマの欲望ってああなんだ。怖かったよお」
「でしょうね。ふるえたでしょう? でも、そのうち、私も、あなたも、慣れるわ」
彼の友達をあなたに紹介してあ・げ・る。
そのときの楽しみに私の心はふるえた。
<終わり>
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