千里

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 義母の脳は衰えてしまったが身体はすこぶる元気で、その朝もいつも通り畑にいると思っていた。ついこの前も「もうすぐ雪が降るだろうし、今年もそろそろ畑終いね」と話したばかりだし、誰よりも早起きして趣味の菜園に行くのは暖かい時季の日課だから。  家族といえどだらしない寝巻姿なんて見せたことがない人だったのに。  朝食を終え、夫とイサミを送り出し、自分も出勤しようと化粧をしていた私は山姥のように目を吊り上げた義母を呆然と見上げる。  それからは坂を転げ落ちるようだった。  日に日に義母の具合は悪くなり、昼夜を問わない徘徊があらわれるようになったとき、私は仕事を辞めた。  自分の親だというのに、夫は退職のたの字も言い出さなかった。  経済的に考えればその方がいいことはわかっている。こんな田舎では受けられるサービスもたかが知れているし、私がやるしかないのだ。  それでも襲いくる焦燥と倦怠からは逃れられない。義母の生が私の人生の上に覆いかぶさり、何もかもが義母ありきで決まっていく。好きだった仕事も、友人との息抜きも、もう私にはない。  今では私は自分の部屋ではなく義母のベッドの脇に布団を敷いて寝ている。その方が世話をするには都合がいいから。  義母はもはや大きな赤子だ。  ふとしたキッカケでわけもわからず泣き喚き、排泄さえ思うようにはできない。度重なる義母の粗相のせいで、家中がいつもうっすら臭うのに、夫は遠慮なく顔をしかめた。  「なんとかしろよ」「あなたこそ、もう少し手伝ってよ」となじり合う両親にイサミは何を思っただろう。  いつしか学校から帰ると「お母さん、代わるから少し休みなよ」と言うようになった。
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