7.差し込む光

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 光瑠の病室を後にした瑠海は、病院から出る間際、何者かに肩を叩かれて、したり顔で振り返った。 「やあ、ダーリン。出待ちなんて、よっぽど私のことが好きなんだね」 「別に偶然見かけたから声掛けただけだよ。よくそんなこと恥ずかしげもなく言えるな」  司は顔をうっすら赤くして吐き捨てるように言った。 「そっちは舞ちゃんのお見舞い?」 「そうだよ」 「調子はどう?」 「体調はだいぶマシになったみたいだけど、精神的になぁ。ま、時間かけてゆっくり向き合っていくしかないだろうよ」 「お母さんとは連絡とれたの?」 「おう。でもまあ、向こうは向こうでかなり追い詰められてるみたいだったから、舞ちゃんのことまで気が回らねぇかもしれねぇな」 「そう……」 「あんまり心配すんなよ。湊人が命張ってでも守りたかった相手だ。今度は俺があの子を支えるよ。あんたは自分の弟に目かけてやれって」  どちらからともなく二人は歩幅を合わせて歩き始める。瑠海は横目で司の顔を盗み見ると、やや躊躇してから口を開いた。 「吉野組解散するんでしょ」 「おっ、さすが刑事。耳が早いな」 「警官じゃなくても、あれだけ大規模なガサ入れがあったんだから、誰だって知ってるでしょ」 「直参連中からも逮捕者が出たからなあ。今頃新島組は大騒ぎだろうぜ。ま、名実ともにカタギの俺には関係ないがね」 「吉野さんは——お父さんは大丈夫なの?」 「大丈夫も何も、これは全部親父が仕組んだことだよ。あの男、(はな)から組の看板を下ろすつもりだったらしい。熊谷のシノギを警察に密告して、ガサ入れのための情報を提供したのも全部親父だったんだから、まったくしてやられたよ」  司が空を見上げる。つられて瑠海も空を見た。どこまでも澄み切った透明な空に、太陽が燦然と輝いている。 「あんた、これからどうするか決めてるのか?」 「これからって?」 「仕事のこととか——この町から出ていくって言ってただろ」 「ああ、そのことね」 「出て行くな、なんて言えた立場じゃねぇけど、あんたさえ良ければ俺の手伝いをしてくれねぇか」 「手伝いって、仕事の? 手伝うことなんてあるの?」 「仕事っていうか、やりたいことだな。組が解散して路頭に迷うヤツが出ねぇように、再出発できるような場所を作ろうと思うんだけどよ。それの手伝い。もちろん給料は出す。新しい仕事を見つけるつもりなら、その繋ぎでいいし——」 「うーん、悪いけどそれは無理かも」  司は目を丸くすると、「そっか」と弱々しく呟く。そのしょんぼりとした表情を見て、瑠海は苦笑した。 「やっぱり、もうしばらく警官を続けてみようと思うの。理不尽なことの多い職場だし、人から嫌われる仕事だけど、それでもこの立場だからこそ守れる人たちがいると思うから」 「そうか。あんたがそう決めたんなら、俺は応援するよ」 「だからお金はいらない。副職になっちゃうから」 「えっ?」 「私の力が必要なら、いつでも貸してあげるってこと」  瑠海がそう言って笑ったので、司もつられて無邪気に笑った。それからはたと立ち止まり、真剣な眼差しで瑠海を見つめる。 「この生まれを呪ったことは何度もあるけどさ、こういう生まれだからこそ出会えた奴もいたし、見えた世界もあるんだと思う。親父が本当はそうしたかったみたいに、今度は俺が社会からあぶれた奴らを掬える網になれたらいいと思うんだよ」  瑠海は何も言わずに、ただじっと司の言葉を聞いていた。司は少しだけ恥ずかしそうにはにかむと、「あんたのおかげだ」と告げる。 「あんたに出会えて良かった」  司があまりに優しく微笑んだので、瑠海はふいと顔を逸らす。それからいたずらっぽい笑みを浮かべて、横目で司を見つめた。 「この間のキスの件といい、今といい、本当にあんたって私のことが好きだよね」 「はっ? 別に好きだなんて一言も言ってないだろ! キスの件はあれだ……銃身に噛みついて注意を逸らせって意味だし……」 「ダーリンの嘘つき」 「あんたの方こそ、俺のことが好きなんだろ。気が引きたくてそういうことしてんの?」 「さて、どうかな」  瑠海は司の手を取って歩き出す。司は慌てて瑠海の後に続いた。 「どこ行くんだよ」 「美術館。新しい展示会始まってるでしょ。観に行こうよ。それが終わったらご飯でも行こう」 「何だよ。デートのお誘いか?」  司がニヤニヤとしながら意地悪そうに尋ねる。瑠海は間髪入れずに頷いた。 「そうだよ」  瑠海がそう言って笑うと、司は顔を赤く染めて「恥ずかしい奴」と小さな声で呟いた。それから手を恋人のように繋ぎ直す。 「そっちの方が恥ずかしい奴でしょ」 「うるせぇ。デートなんだろ」  どちらからともなく笑い出し、再び二人は歩き出す。  頭上には白い雲のたゆたう透き通った空が、どこまでも広がっていた。 (了)
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