嘘つき男と流され女の恋バナ

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「重婚になっちゃいますね」 市役所で、提出した婚姻届けを受理できないと言われ理由を尋ねた私に、女性職員が別の書類を見乍らそう言った。 「夫になる旗山繁さん、まだ妻の由紀子さんとの婚姻関係が継続中になっているようですね」 私は一瞬絶句した。 「そんな……離婚したんじゃなかったの!?」 隣で”ズル”を叱られた子供のように頭を掻いている繁に、私は困惑と”またやられた”という失望の色を隠せなかった。 奥さんとは「離婚が成立した」と言っていたのに。よりによってこんな所で、嘘が露呈する迄しらばっくれているなんて。 同情するような女性職員の眼差しに、私は腹が立つのを通り越して、いたたまれない気分だった。 「ごめん、実乃理……」 口ではそう言って謝り乍らも、誤魔化すように頭を掻き続けている繁に、私はもう返す言葉も失っていた。 「だから言ったじゃないのっ。あんな男との結婚は反対だって」 それ見た事か、と言わんばかりに母がまくし立てる。 「あんな、その場凌ぎの嘘ばっかりつくような男の、一体どこがいいっていうのよ!?」 全くその通りだ、と私も思う。一体全体、私は繁のどこがそんなに好きなのだろう。 三流大学中退で、名も知れぬ小さな会社に就職。それも長続きせず、バイトを転々としていたという体たらく。 前の(というか現在も継続中の)奥さんも、解体業のバイトをしていた時の、バイト先の取引先の建築会社のお嬢さんで、先方に気に入られて結婚したのだと言っていた。いわゆる”逆玉”だ。 学歴も無く仕事が出来る訳でもない。その場凌ぎの嘘ばかりついているお調子者。 なのに女に好かれるのは、嘘をついても憎まれない”甘え上手”なのと、甘く女心を惑わせるルックスの良さかもしれない。 実際に私も一目惚れだった。 昔から「母性本能が無い」と友達にも言われ続け、繁に甘えられるのに正直辟易していた私でも、その容姿の良さは手放し難かった。 だから他の多くの難に目を瞑って、結婚まで至ったのだ。なのに。 奥さんと別れたというのも嘘。奥さんの実家の会社を辞めて、別の会社に就職が決まったというのも嘘。 何もかも、嘘だったのだ。 「式場も新婚旅行も、全部キャンセルじゃないっ。親戚や招待客に、なんて説明したらいいの!?」 「まったく、いい笑い者じゃないか。家族の顔にまで泥を塗るなんて」 尚も言い募る母に、父も賛同する。 「おまえもこれで、いい加減懲りただろう。あんな軽薄で馬鹿な男とは、きっぱり縁を切りなさい。分かったな?」 そう私に念押しした。 でも私はその言葉に頷く事も出来ず、かと言って、嫌だと拒否する事も出来なかった。 「お姉ちゃんも、男を見る目、養ったほうがいいんじゃないの?」 揶揄するように、妹の実果が言う。 いつから聞いていたのか、見ると私達のいる居間のドアの所に立っていた。 「そんな男と結婚したって何のメリットも無いじゃない。遊びならともかく、結婚てなったら如何に稼いでくれるか、なんだから」 キッチンの冷蔵庫から、ビールの缶を取り出し乍ら言う。 「実果、なんですか。未成年のくせに昼間からっ。大学はどうしたの!?」 「休講になったの。いいでしょ、ビールくらい」 母が咎めるのも構わずに、缶を開けてゴクゴクとビールを飲み下す。 実果は私より十歳も年下の十九歳だ。なのに、まるで私より年上であるかのように生意気な口を利く。そしていつも、私を馬鹿にする。 私はそんな実果が、正直大嫌いだった。 それでなくても、実果が産まれてくる十歳迄、私は両親の愛を一身に受けていた。ずっとそれが続くものと思っていた。 なのに、思ってもいなかった歳の離れた妹の誕生で、両親の愛情は一気に実果へと流れを変えた。 私は突然、荒野に一人きり放り出されたような気分になった。 勿論小学四年生といえば、それなりに友達もいたし、両親も特に私を溺愛していたという程ではなかった。 けれど、自分だけに注がれていた愛情が突然他方に向けられたことに輪を掛けて、私が疎外感や孤独感を覚えるようになったのは、実果が私より”可愛い子供”だったからだと思う。 容姿だけではなく、実果は甘え上手だった。時には素直に、時には生意気に、人に甘え、人を魅了してしまうのだ。 そういう点で、繁は実果と共通しているかもしれない。 私は人に甘えるのが苦手だった。 だから甘え上手な実果を見る度に、例えようの無い劣等感を感じたのだし、実果が嫌いだった。 なのに何故、実果と同じような類の繁にこんなにも執着するのか? 自分でも分からない。 「式場とか、キャンセル料が掛かっちゃうわね」 徐ろに母が言った。 「実乃里、あなた仕事も辞めちゃったんだし、今更戻れないんでしょ? どうするの? いっそあの男、訴えたら?」 「え……!?」 考えもしなかった母の言葉に、一瞬私はたじろいだ。 「そうよ。金銭的にも社会的にも迷惑被ってるんだから、訴えて損害賠償請求したら? それでお金取って別れなさい」 「そうだな。大事にはしたくないが、そのほうがけじめが付いていいんじゃないか」 母の意見に、また父が賛同する。 「ちょ…ちょっと待って。幾ら何でも、そこまでは…」 繁を訴えるなんて。全く考えてなかったし、考えられない。 そりゃ、私だって凄くショックを受けたし、金銭的な事や今後の事を考えると頭が痛い。正直お先真っ暗な気がする。 でも、だからといって繁を訴えるなんて、そんな気には到底なれなかった。 「やっちゃえ、やっちゃえ。裁判、面白そうーっ」 実果までもが、面白がって囃し立てる。 「もうっ、やめてよっ」 私は思わず声を荒げた。 ソファーから立ち上がって拳を握り締めている私を、驚いたように父と母が凝視している。実果はというと、ビールを持って固まってはいるけれど、相変わらず面白そうに私を見ている。 「これはあたしと繁の問題だから。お母さん達にまで迷惑掛けたのは悪いと思うけど、自分で何とかするから。これ以上口出ししないで」 「そんな事言ったって、あなた一人でこれから生活はどうするの? せめて家に戻って来たら?今のマンション引き払って。ね?」 「そうだな。家賃も大変だし、そうしなさい。もう解約の手続きもしてあるんだろう?」 言い募る母と父を、「暫くは貯金があるから大丈夫」と説得して、私はなんとか家を出た。 今更家に戻るつもりは無かった。 家に戻ったら、それこそ出戻り宜しく近所で噂の種にされるだけだし、それに―。 それに、実果のいる家で暮らすのは、耐えられそうになかった。
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