12章:アイ

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 時間が経つにつれ、激しい自己嫌悪が荒川を襲う。南の話にもう少し耳を傾ければよかったと後悔した。動揺しながら聞いた南の言葉を無理やり思い出す。南は謝っていたが本来、南は被害者だ。  朋子に謝らないと……頭ではわかっているがやはり気持ちの整理がつかない。頭の奥が鈍い色のクレヨンで塗りつぶされたようだ。ベッドにうつぶせになったまま、ただ時間が流れるのを待っていた。南からの電話が荒川にかかってきたのは南と別れて十分ほどしてからだった。 「……さっきはごめん。朋子の方が辛かったはずなのに」  胸の奥から絞り出した荒川の言葉を受けとめる南の声はもう泣いていなかった。淡淡と昨夜から今日にかけての事実を改めて話す。南の様子に若干の違和感を覚えつつも今度は南の言葉をしっかりと受け止める。  一方的に荒川との関係に終わりをつげた久保田が許せなかったこと、その抗議のため久保田と話をしに久保田の部屋にいったこと、久保田はあまり強くない南を酔わせたうえで無理に襲ってきたこと、一度関係を持つとそれを荒川に話すと脅してさらに関係を強要してきたこと。まるで他人のできごとのように南は話す。  淡淡と語る南に感情の色が戻ったのは改めて久保田が許せない、そして、何より結果的に荒川を傷つけた自分が許せないというくだりだった。そのころには荒川の気持ちはもう融けていた。南に対して過度な負担を与えてしまったことを後悔し、これ以上自分を責めないように伝えた。  南こそ荒川以上に傷ついている。今すぐ南を抱きしめてあげたいと思った荒川は今から部屋に行っていいかと尋ねた。  荒川の質問を聞いていなかったかのように南は荒川に謝罪の言葉を壊れたレコードのように繰り返している。南の異変に気づいた荒川は今どこにいるのか問いただした。スマホの奥から風の音が聞こえる。室内にはいないようだ。  不吉な予感がして荒川は必死に南に呼びかける。しばらく無言が続いた。何度も何度も呼びかけて南からやっと帰ってきた言葉は部屋に久保田の行いを記した手紙を置いてあること、それをどうするかは荒川に任せるということ、そして最後に荒川に感謝の言葉だった。  そこで突然切れた通信。  背中に冷たいものを感じてすぐにかけ直す。呼び出し音は聞こえるがつながる気配がない。耳元で鳴り続ける呼び出し音の外で鈍い音が聞こえた。不吉な予感と共に窓の外をのぞく。  あたりの暗闇と同じように荒川の心にも闇の帳が下りてきた。  譲は目の前で起こったことのように荒川の話を想像して言葉を失くしていた。他の道はなかったのかと南のことを想い強く拳を握り締める。 「急いで私が下りた時にはもう朋子はこと切れていた……朋子を殺したのは私、私が朋子を責めなければ朋子が死ぬなんてなかった。いや、そもそも久保田くんに執着していたところからが私のだめなところだったのかも」 「いや……違うな」  うつむいて言葉を詰まらす荒川に磐田が言い放つ。譲は何を言い出すんだと気が気でなかった。きっと磐田なら荒川にとどめを刺すような一言を言いかねない。 「君の一番の間違いはそうやって自分だけで抱え込んで真実を曲げようとするところだ」  磐田のするどい指摘に自嘲気味に語っていた荒川は思わず小さく笑みを浮かべる。 「……厳しいんですね。こんな時でも」  荒川の返しに珍しく磐田もニッと笑みを返した。 「ああ、真実に対してはね」  変な慰めの言葉よりも荒川にとってはこの厳しさが何よりの救いだった。目の前の哲倫ゼミのアルキメデスに荒川は無言で一度うなずいた。
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