流麗な跡(手紙を読んで思った事)

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他人の字が好きです。正確に言えば、「自分に向けられて書かれた文字」が好きです。そう思うようになったのは友人に手紙を貰ったことがきっかけです。手紙というのは、それを書いている間は読み手のことだけを想っています。そしてその読み手となり得るのは大抵1人しかいません。そんな特等席に自分がいられるなんて、なんて幸福者なんでしょう。そんな背景を考えると、僕は手紙を受け取ることが大好きで、とても嬉しく感じます。もちろん手紙を書くことも大好きです。相手の事ばかり考えることが出来ますからね。 手紙を書いてくれた人の文字であれば、どんな文字でも愛おしく感じます。たとえ本人は自身の文字を好きじゃなくても、僕は好きです。なぜなら僕のことを想ってくれている人の筆跡なのだから。 以上の説明を読むと「字が好きなのではなく、手紙をくれる人が好きなのでは」と思われるでしょう。それはそうです。しかし好きな文字の形、というものもあります。 僕は小学3年生の頃に、自分の文字を矯正しました。好きな漫画家さんの文字に美しさを覚え、僕はそれからその人の文字を真似していました。 たまに「可愛い文字だね」と誉め言葉のような、そうでないような言葉を言われることがあります。ですが僕は誉め言葉だとして受け取っています。 そして何より、自分自身も自分の文字が理想的な形だと思っています。 しかし今まで出会った文字の中で最も美しいものは、僕のものではありません。とある友人の字です。本人は綺麗ではないと言っていましたが、僕にとっては美の真骨頂がその字に表れていると言っても過言ではありません(美とは何か、という形而上学的議論は置いておきましょう)。文字同士の間隔、サイズ、形、力の抜け具合、どれをとっても完璧です。まるで紙に溶けていきそうな、はたまた紙を通じてそれを持っている僕の中へ直接入ってきそうな、そんな儚さを持ち合わせています。僕には真似が出来ませんし、出来ないからこそ美しいのでしょう。 僕はその文字を抱きしめたくなりました。しかしそんなことは出来ません。 それに今からこの字に矯正することも出来ません。自身の字に慣れ過ぎました。 憧れは手が届かないから綺麗なのでしょう、恐らく。
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