失恋と課長と雪だるま

1/1
18人が本棚に入れています
本棚に追加
/1ページ
予報通り夕方から降り出した雪は着実に積もって電車を止めるまでになっていた。 会社のフロアはビルの12階にあり、地上の変化に気が付かなかった。 ビルの自動ドアを出て立ち止まる。 『困ったな。』 呟いてみるけど自業自得。 東京の電車が雪に弱いのはちょっと考えればわかったのに。 来週でも間に合う仕事で残業したから罰が当たった。 明日からの三連休にスキー場に行く話をしながら帰る人達と一緒になりたくなかった。 オフィスビルだらけのこのあたりは車も人も行き交わなくなって私ひとりだ。 このまま時間が止まったらいいのに。 花びらのような雪が規則的に落ちてくるのをぼんやり見ていたら自動ドアが開く音がした。 『お疲れ。』 同じ部の吉沢(よしざわ)課長だった。 席にいたっけ? 『電車止まって帰れなくなった?』 『お疲れさまです。 …まあそんなところです。』 昨年親会社から出向してきた彼が課長になってから格段と仕事がやりやすくなった。 仕事ができるうえに親会社から来たということで、歳は近そうだけど話すのはまだ緊張する。 『私が最後だと思ってました。』 『会議室にいたからね。 ひとり置いて帰れないしな。』 うわぁ、そうか。 私情で無駄に残業したことが恥ずかしくなった。 『申し訳ありません、こんな日に。 ご迷惑お掛けしました。』 『いや、違う、俺もやることがあったらいいんだ。』 また私がここにいたら帰れないよね。 さよならして別の場所で佇もう。 挨拶しようと顔を見上げたら先に話し出された。 『諏訪(すわ)君は迎えに来てくれないの?』 完璧に隠し通したと思っていた社内恋愛をあっさり暴かれた。 どこまで優秀なのこの人は。 ふと、そんな考えが馬鹿馬鹿しくなり課長と話す緊張が緩む。 非日常的な風景と時間の中では何を言っても許される気がした。 『誰にもバレてないと思ってたんだけどなー。 別れましたよ、先月。』 『君を見てればわかる。 …そしてたぶんそうだろうと思っていた。』 すべてお見通し。 ほんと優秀。 社内恋愛を隠すということは、つまり会社で私は彼から一番遠くなった。 この会社は若い人が多く、学生のサークルのように仲が良い。 同期の翔真(しょうま)は社交的な人だ。 だから普段からやきもきしていた。 そしてバレンタイン前の三連休に営業のみんなにボードに誘われたから行ってくると言った。 私と行くはずだったのに。 先に約束してたのに。 車を持っている俺は断れないと。 同じようなことが頻繁にあって、もう心が折れてしまった。 彼女になんかならない方が楽しく過ごせたのかもしれない。 『社内の人と付き合うには私の忍耐と覚悟が足りなかったんです。』 『アイツがガキだっただけだろ。』 急に口が悪くなった課長に驚いたが、一緒に怒ってくれてる気がして嬉しかった。 雪は止まずに降り続く。 明日颯爽と雪山から滑り降りてくる翔真が目に浮かぶ。 私はそこにはいない。 『雪は嫌な思い出ばかりですよ。』 落ちてくる雪を手袋で受けながら愚痴ってしまった。 『俺は雪国の出身だ。 雪が嫌われたら淋しいな。』 課長はコートのフードを被り、エントランスの横に積もるふわふわの雪を丸めはじめた。 『東京でこんないい雪は珍しい。 何もしないのは勿体ない。 雪だるま作るぞ。』 『…はっ?』 躊躇する私を早く早くと促しながら雪の玉をどんどん大きくしていく。 私もコートのフードを被り、半信半疑で手伝いだした。 雪だるま作りにおいても手際の良さを見せつける課長が面白くて、楽しくなってきた。 夢中で雪を集めながらお互いに自分の事を話した。 やっぱり年齢は2つしか違わなくて、同じような時を過ごしてきていた。 お酒は苦手で甘い物が好きだという課長に『似合いませんね』と言ったら雪をかけられた。 全力でやり返したら『うぉー!』と言って逃げ回りゲラゲラ笑っていた。 『目はどうするか。』 腕組みをして真剣に考える課長の横で、目にぴったりな黒い玉砂利が花壇に敷いてあるのを思い出した。 雪から掘り出してバランスを見ながら慎重にくっつける。 そんな私を見て『君の仕事はいつも丁寧でいい。』と言ってくれた。 『完成!』 2人で手を叩いて結構大きく仕上がった雪だるまを眺める。 『雪かきにもなって一石二鳥だっただろ?』 デスクでは見たことの無い得意げな顔を可愛いと思ってしまう。 楽しかった。 ただただ楽しかった。 こんな気持ち、しばらく忘れていた。 『ありがとうございます。 楽しい雪の思い出ができました。』 課長は私のフードの雪を払ってくれながら『だろ!』と言った。 終わってみるとお互いコートが雪だらけになっていた。 防水のブーツを履いているけれど、足先も冷たい。 使い物にならなくなった手袋はバッグに結びつけた。 今ならタクシーも2台くらい捕まるかな。 帰りましょうかと言いかけたらまた先に話し出された。 『さて帰るか。 車で来てるんだ。送るよ。』 『えっ、でもあの…』 『コートがびしょ濡れだとか、家が反対方向だとかそんなの承知で言ってるんだ。 気にしないで来いよ。』 やっぱり私の考えはお見通し。 課長には敵わないな。 戸惑う私の手を掴んで歩き出した。 驚いたけど…素手で雪を丸めていたのに先を歩く課長の手は温かく、振り解く気になれなかった。 『それに』 少し間を置いてから続けた。 『フリーだって確定したんだ。 少しつけこませろよ。』 さらに驚いた私を振り向かずに歩く課長の手はますます温かくなった。
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!