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あなたを消した理由
葉月は無数の男たちから暴力を受けていた。
「あははははは、女は男の赤ちゃんポスト」
「女は男の赤ちゃんポスト」
「みっともないたれ乳! 便器と思って出しちまおうぜ」
「出した後の責任とるの、女だから!」
「ははははは、いい気味! 本人が悪いんだぜ」
「この淫乱」
葉月は乱暴を受けた日の夕方、元に戻した服装で歩道をふらふらと歩いていた。時は2月末、日曜夕方。冷たい雨が降って来たが、さす傘はなく、そうこうする内本降りになり、視界が悪くなった。
彼女は疲労がかさんで目眩を覚えた。途端に後ろからクラクションの音。彼女ははっと振り返った。豪速で走って来る車、車道にはみ出した自分ーー
彼女は倒れてぬかるみに突っ込んでいた――はずだが――、誰かが彼女をがっちり後ろから抱いている。下敷きになったのも、泥んこになったのも彼の方。
突っ込んだ方向は歩道。間一髪、車は彼女達を避けて行った。
「危ないよ、おねえさん」
「ありがとう」
二人は上体を起こした。彼女は彼に詫びた。
「ごめんなさい、私のためにドロドロに」
「お怪我はありませんか」
「はい。私はーー」
彼は彼女と同じ20代くらいに見えた。彼女が立つのを手伝ってくれた。彼女は彼と向かい合った時、その全身バランスの良さに目を奪われた。顔も端整。レインコートごと汚してしまって、申し訳なくなった。彼は怪訝そうな顔。
「傘、持ってないんですか」
彼女は濡れた長髪を額からかきよけた。
「家、近いから」
彼は近くに落ちていた傘を拾った。彼女を助けに出た時に放り出した物と思われる。彼は彼女にそれを差し出した。
「あげる」
「えっ」
彼は戸惑う彼女に傘を押し付けた。
「あげる」
「そんな、あの」
彼はきびすを返すと、雨の中走って行ってしまった。ーー不器用な所と敏捷な動きが獣の子供のよう。名前も聞けなかった。
朝成は表では若い社会人。そろそろ結婚適齢期。見た目にはちょっと自信がある。彼は人間便器の中に欲求不満を出した日の夕方、雨降りの中、傘をさして風景を楽しみながら、自宅に帰ることが出来た。
彼の母親、波子の身体は弱く、父親の亮は働きながら、いつも波子の心配をしていた。朝成は経済的に自立していたが、父親と、勉学に励んでいる19歳の妹、七果を支えるため、家を出ることはまだ考えていなかった。
朝成がリビングに入ると、七果がソファに座ってTVを見ていた。七果が家事手伝いをしていない、ということは、今日の波子は調子がいいのだろう。
七果は最近ボブカットにイメチェンしたようで、我が妹ながらよく似合っている。
「七果、何のニュースだ」
「うん、赤ちゃんポストのことで政治家が難色を示してる」
朝成はこの話題には辟易としていた。
「おれも同じ意見だ。子捨て用のポストなんて受け入れられない。存在したらいけないんだ」
七果が立ち上がって朝成の方を向き、反論。
「じゃあ女性はどうしたらいいの」
「社会が助ければいいじゃないか」
「社会が助けたって、望まない妊娠は望んだことにならないよ」
「子供が可哀想じゃないか!」
朝成が声を荒げると、七果が負けじと噛みついて来た。
「女性は可哀想じゃないの?」
「だって本人が子供作ったんだろ?」
「それこそ、女性だけの責任じゃないよ」
朝成は話にならないと投げ出した。
「そんなの男の知ったこっちゃねーよ。とにかく子供は捨てられたらいけないんだ。捨てる女が悪いに決まってるじゃないか」
朝成は翌週も仲間と組んで葉月を囲んだ。
「ははははは、やられる女が悪いんだ! 今週も便器にしてやるぜ」
「女は男の赤ちゃんポスト!」
葉月は間もなく妊娠を知った。どんなに努力しても流れなかったので、一年後、子供を赤ちゃんポストに送り、その存在を自分の人生から消した――抹消した。
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