静かな朝

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静かな朝

「無理して善人のフリをするな」  かたちを得た闇が語って男に寄り添う。  男の顎を指先で撫で回して子猫でも扱うように弄ぶ。 「人類みな何かしらの(・・・・・)加害者さ」 「悟ったふうなことを言うな!」  絡みつく腕に逆らって男は藻掻(もが)くも振りほどけない。 「誰かに八つ当たりをしたくてたまらないんだろう? 今まで味わってきた理不尽をバラまきたいんだろう? どっちの母親も(・・・・・・・)キミで()さ晴らしをしてたんだもんな。片や憎悪の対象として片や欲望の発露として散々にね」 「今の私は大衆のためにある(はら)い屋だ!」 「いくらイジメても害霊(がいれい)なら罪の意識を抱かずに済む。むしろ自分よりも(みじ)めな奴を見下して優越感に浸れる」 「違うっ……害霊は滅すべき存在だからっ……」  男の抵抗が弱々しくなった頃合いを狙いすましてか、影は脱皮でもするかのように本当の顔をあらわにした。 「恥ずかしがらずに認めろよキミの本性はケダモノさ。この傷をもらった日から僕にはぜぇんぶお見通しだよ」  病的に白い肌の細面。  右頬を縦断する古傷。  § 「くぅっ」  石丸(イシマル)は自らの呻きによって覚醒に導かれた。  無意識に天井に向かって伸ばしていた腕をおろすと、汗ばんだ額に手の甲を()てがって乱れた呼吸を整える。 「私はまだ怯えているのか……あいつに……」  寝間から庭先に出て朝日のまぶしさに目を細めると、井戸水で念入りに身を清めてから(はかま)狩衣(かりぎぬ)に着替える。鏡の前で濡れ羽色の長髪を結って表情も引き締めたら、朝餉(あさげ)もそこそこに境内(けいだい)全域の掃除を黙々こなしていく。  清涼な風に吹かれた木々が葉を散らす。  石丸は(ほうき)を握る手を止めて、青白い空を(あお)いで(つぶや)く。 「静かだ……」  今日が特別に静かというわけではない。  それもそのはずでこの神社には石丸しかいないのだ。さりとて彼が最高責任者たる宮司(ぐうじ)というわけでもない。 「ま! 平和なのは良きことだな!」  この田舎町には無数の宗教施設が節操なく配置され、外部と異なる独自の管理体制によって成り立っていた。寺院における壇家(だんか)とか神社における氏子(うじこ)というような、本来なら個別に支援を行うスポンサーなど存在しない。代わりにすべての運営を神仏問わずに取り仕切るのが、古来より祭事を司ってきた久那土(クナド)家という一族である。 「寂しいと独り言のクセがついていけないハハハ」  ひとりで喋ってひとりで空笑いする石丸だった。  そんな彼のもとに……
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