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遠くで、小さな記憶が揺れている。信号機を優しく覆う雪の、そのさらに遠くだ。僕と彼女は、それを眺めながら歩いている。どこから来たのかを、僕はまだ知らない。遠くで、小さな記憶が揺れている。
「ねえ、見て」
そういって彼女はその今にも溶け出しそうな白い指の先で、雪を捕まえた。白い息が、僕たちの周りを舞っていた。
「よく見て」
そういって差し出された雪は、花弁のような形をゆっくりと溶かしていき、終いには、ただ水になった。
「寂しいの?」
「いや、寂しいわけじゃないんだ」
寂しいわけじゃ、ないんだ。彼女は心配そうに僕の顔を見つめている。僕の感情を測りかねているんだ。表現が下手な僕の感情を、彼女はいつも迎えに来てくれるのだった。僕のこの孤独を、ほんの少しだって取り溢すまいと、彼女はそんなグラスのような目で僕を見ていた。
「大丈夫よ。失って困るものなんてなにひとつだってないわ」
なにひとつだって。
僕達は歩みを止めることはなかった。靴に少しずつ、雪が染みていって、足は重くなっていく。それは、仕方のないことだけど。
「そうかな。でも寂しいわけじゃないんだけど、少し辛いような気もするんだ。よく分からない」
「なら、平気よ。どんなことだって、分からないうちは案外平気なのよ。それで、分かるようになった時にはもう辛くないものよ」
「そっか」
雪が静かに降っている。信号機が点滅している。星が揺れている。彼女は、笑っている。
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