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誰もいない公園に、水音だけが響き渡る。
どうやら、中央通り一帯で恒例行事の『牡丹踊り』が始まっており、皆それを見るのに夢中のようだ。
隼人は公園の端にある蛇口で、男が隣で見守る中、火傷を負った指を冷やしていた。
隼人の左手人差し指が、ひんやりとした水の冷たさを感じる。
中腰がきつくなり、二人は腰を屈めて会話を始めた。
「俺は相津大一や。君は? 」
男がそう尋ねた。
「……池光……隼斗」
「隼人くん、宜しくな」と大一が言うと、「馴れ馴れしい」とぶっきら棒に隼人は答えた。
大一は、嬉しそうに笑った。
たこ焼き売りの時とは違う、くしゃっとした子供のような笑みだった。
それが心から出たものであることは、接客が苦手な隼人にもすぐにわかった。
「なあ、隼人くん」
大一の顔から笑みが引いていく。そして、隼人を真っ直ぐ見るようにして彼は言った。
「付き合お。冗談抜きで」
呼吸が止まった。
それを聞いた隼人は、息を吸うのも忘れて唾を飲み込んだ。
水音さえ聞こえなくなる。
指先の冷たさもどこかへ消える。
ただでさえ力強い大一の目が、今は鋭く隼人を捕らえていた。
「……断る」
「なんで。男やからか?」
「それもある」
「それも?……なら他には?」
隼斗からすれば、出会ってから付き合うまでの長さは、相手との関係をどれだけ大切したいか、に直結しているものだった。
つまり、出会ったその日に口説く、ということは、その程度の熱量でしかない。
「遊びか思うとるんか?」
「……」
「違う、ゆーても信用せんやろ。そんなもん、自分で直接確かめてみーや」
「は……」
眼球からは色気が漂い、口元は彼を誘おうとする。
いや、そんなもの本当はなかったのかもしれない。
しかし、隼人にはそう見えたのだ。
そう見えてしまったのだ。
その瞬間、風が強く雄叫びを上げ遠くから黄色い奇声が飛んだ。
屋台の方だ。きっと風のせいで、何かが飛ばされたのだろう。
どうでもいい。
そんな事はどうでもよかった。
彼の金色の髪がゆらりと、元に戻るようにして、彼の目元を覆う。
合間に彼の鋭い眼差しが覗いたまま。
隼人は戸惑って、水で冷やしたばかりの指先が震えた。
「ごめん」
突然後悔したように男はうなだれる。
「本当にドンピシャで好みやねん。わかるか? めっちゃ好きな芸能人が目の前にいる感じや。我慢出来へん」
「意味…わからない。」
「うん。じゃあとりあえず、君はここから逃げた方がええ。じゃないと、俺に襲われるからな」
隼人は拍子抜けする。
「ああでも、お願いやから、ご褒美として連絡先だけはください。」と必死にねだる大一に、吹き出しそうになった。
人として嫌いではなかった。
「あかんか? やっぱ、連絡先教えたくないよな」
一人で勝手に自己完結してしょぼくれている男をよそに、辺りを少し確認してから、隼人は言った。
「すごく下手だと思う」
少し戸惑って恥じらいながらそう言うと、そこには目の色を変えて動揺する可愛い犬がいた。
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