side 音

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昨日は、あの後。 眠りにつくまで、どうやって過ごしたか覚えてなくて……。 ただ、目が覚めると隣で眠る琴葉の姿がなくてすごく悲しいと思った。 それでも、悲しみに浸る暇はなく。 生きていかなきゃいけないから。 大人って、本気でしんどいものなんだと理解した。 大人じゃなくて、子供なら……。 失恋の悲しみにどっぷりつかれたのに……。 「仕事しなきゃ」 今日は、14時からリモートで会議がある。 それまでに、必要な書類を作成して提出しなくちゃいけない。 だから、今の俺に琴葉の事を考える時間なんてない。 ・ ・ ・ 忙しかったお陰で、何も考えずに過ごせていた。 最初は、琴葉が隣にいない事が悲しいと思ったけれど……。 3日を過ぎれば、なんとなく受け入れてる自分がいた。 それは、きっと。 琴葉がどこかで生きてるのがわかっているからだと思う。 ピンポーン チカチカとフラッシュが光。 誰かが来たのがわかった。 「久しぶり」 「うん」 琴葉の口元は、もうゆっくりとは動いてはくれない。 琴葉は、数枚のダンボールを持ってきている。 ただ、それに全部入るのかはわからなかったけれど。 「ゴミ袋、もらっていい?」 「うん」 俺は、ゴミ袋を琴葉に手渡す。 「終わったら声かけて」 「わかった」 部屋に入ってベッドに横になる。 こんな時、耳が聞こえなくてよかったと思えた。 琴葉が何をしていても、気づかない。 だから、駄目なんだよな。 もし、強盗が入ってきたら? それでも、俺は気づかない。 琴葉と結婚して、子供が出来て。 子供に何かあったって、俺は気づけない。 普通の人は、仕事しながら子供の声を聞けるけど……。 俺には、出来ない。 ずっと、見とかなきゃいけないから。 仕事なんて、出来ない。 琴葉のお義父さんの言う通りだ。 こんな機械を使ってしか話せないような俺には、何も出来ないんだ。 スマホのギャラリーを開くとそこには、たくさんの琴葉との写真が入っている。 懐かしい。 アプリの画面をスクショしたのは、大好きな琴葉の羅列だったからだ。 【音、愛してるよ】 【何、急に?】 【急じゃないよ!言おうと思ってたの】 【いつ?】 【ずっとだよ。朝から、ずっと。音に愛してるって言おうと決めてたの】 【何それ】 【いいじゃん。いいじゃん】 一日の半分以上が無音の時間に変わった俺に、琴葉が話してくれた言葉。 他の人の言葉は冷たく感じるのに、琴葉の言葉だけはいつだって温度があった。 機械が見せるただの羅列じゃなかった。 出会った時からずっと、その温度だけは変わらなくて……。 ギャラリーをスライドさせる。 琴葉を好きだと思った時の文字。 【音さんは、何で耳が聞こえなくなるの?って、聞いちゃ駄目だよね。ごめんね】 【大丈夫。聞いてもいいから】 【じゃあ、改めて聞くね。何で耳が聞こえなくなるの?】 【事故にあったから……】 【交通事故?】 【そう。お母さんの運転する車に叔母さんと叔母さんの娘と俺が乗ってた。みんなで、温泉旅行に向かう途中で。お父さんが運転する車は、先に進んでた。叔母さんの娘が……】 俺は、読むのをやめる。 琴葉に説明した俺の事故の説明は、文字にするとやけにリアルによみがえって泣きそうになる。 【大変だったんだね。でも、私、音さんが生きててよかったって思った。だって、音さんがこの世界にいなかったら出会えなかったから。ごめんなさい。叔母さんの娘さん、亡くなってるのに……こんな事言って】 琴葉の言葉は、すごく嬉しかった。 あの日の痛みや悲しみが和らぐ気がしたから……。 スマホの画面を指でなぞる。 琴葉の文字にはいつだって温度があった。 だから、俺は好きになった。 目を閉じると今でもリアルにあの日の事を思い出せる。
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