23話 戦乙女の秘密②

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23話 戦乙女の秘密②

「ネフィル。君を死なせたくなかったから、俺は君の騎士になった。君を傷つけようとする敵がいればそいつらから君を守る義務が俺にはある。同様に君が君自身を害するなら、君を守るためにそれを止める」  民に信仰されているニーベルンゲンの戦乙女(ヴァルキリー)の騎士としてではなく、書物から知識を学び、自分の足で立つネフィリムという一人の青年を守る騎士としての気持ちだった。 「ネフィルの知識がなければ俺も君も、今頃生きていなかったかもしれない。そんな君が、ニーベルンゲンに戻って戦乙女(ヴァルキリー)の重責や“儀式”に苦しみ、また『死にたい』と思ってしまうのならば、俺は君がニーベルンゲンに帰ることを歓迎できない」  ネフィリムの口がわずかに開く。が、また閉じる。  何かを言おうとして迷っている。  風がわずかに強くなってきたころ、ネフィリムはぽつぽつと話し出した。 「シグルズは不思議に思わなかったのか。なぜ戦乙女(ヴァルキリー)が……私が男なのか」  シグルズも当初、ネフィリムのことを女性だと思っていた。実際に中性的な容姿をしているので、女性と勘違いしている人間も多くいるに違いない。 「ニーベルンゲンは歴史の浅い国で、私の母の母……祖母の代から始まった。祖母は初代の戦乙女(ヴァルキリー)、名をブリュンヒルデと言う」  ブリュンヒルデ。シグルズもどこかで聞いたことがある名前だった。 「祖母はもともと北にある大国・エインヘリヤルの巫女だった。エインヘリヤルは『神の国』を作るために巫女の神通力(じんつうりき)を利用しようとしたが、それを嫌った祖母は多くの同志とともに逃げ出した。彼らとともに隠れ集落を作ったのがニーベルンゲンの始まりと言われる」  シグルズは初めて聞く話だったので興味深く聞いた。  宗教国家・エインヘリヤル。  ミドガルズ大帝国との間には「堕ちた森(ギヌ・ガ・カップ)」が介在しており、距離的にも遠く離れているために密接な関係があるわけではない。国内の情勢がよく分からず、周囲の国々からも警戒されている国家だ。 「当初祖母たちは慎ましく暮らしていたが、近隣の国々で差別され生きる場所を無くした民族や身分の者たちも次々に集まってきて、エインヘリヤルの追手も迫ってきた。彼らを守るために祖母は戦うしかなかった。  異なる人種、異なる言語の人間たちを統率し他国の軍に勝つための強い御旗(みはた)。――それが戦乙女(ヴァルキリー)信仰であり、祖母の持つ神通力だった」 「神通力ね……。ネフィルの話を疑うわけではないが、この世界にそんなものが本当にあるのか」 「正直、私もよく分からない。それが戦乙女(ヴァルキリー)信仰を強めるための作り話だった可能性ももちろんある」  神話や物語の上ではよく聞く話だが、それが現実に介入してくると途端に胡散臭(うさんくさ)くなる。  だが実際に、エインヘリヤルやニーベルンゲンはそういった「神の力」を(いしずえ)に建国された国だ。 「真偽はともあれ、祖母には神通力が宿っていたと言われている。そして祖母の娘である私の母もまた同様だった。母は祖母が亡くなった後、次代の戦乙女(ヴァルキリー)としてニーベルンゲンの象徴となった。国主は父だが、国民の精神的統率は母によって行われていた」  ネフィリムの母。  今回の反乱によって生死不明とされているニーベルンゲンの王妃。 「母にもまた、神通力があった……とされている。母はあまり戦場には出なかったから、真実は分からない。そして戦乙女(ヴァルキリー)の母から生まれたのは私と兄。どちらも男だった」  そこで話を区切ったネフィリムは湖のほうへ目をやった。  水面に映るネフィリムの姿は美しい。()()色の黒い髪と黒い瞳。  その姿に神秘性を見出す人間がいることは見ただけで分かる。 「ニーベルンゲンは小国だ。民族も出自も異なる国民が団結して他国の脅威を跳ねのけるためには戦乙女(ヴァルキリー)への信仰心が不可欠だった。私を生んでから病気がちになった母は、母と瓜ふたつの顔をした私を———弟のほうを、次期戦乙女(ヴァルキリー)に指名した」  戦乙女(ヴァルキリー)の視覚的特徴は黒い髪と黒い目。どちらも継いだのは私だった、とネフィリムは続けた。 「私には神通力がない。そもそも性別すら違う。だが国を守るためには仕方なかった。私は戦乙女(ヴァルキリー)になり、兄は持ち前の行政手腕や外交能力を生かして宰相になった。そうやってニーベルンゲンを守っていこうと誓ったんだ」  ネフィリムは小さく笑った。その笑顔には疲れが伴っていた。
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