9人が本棚に入れています
本棚に追加
/7ページ
「――どうだった?」
ヘッドフォンを外しながら、シロクマさんが問いかけてくる。うつ向いたまま目も合わせてこずにセーターの裾をパタパタさせるのは、暑いからか、それとも。
「……………………凄かった」
そして僕は、単純に言葉を選べなかった。
引きずり込まれた。知っている曲のはずなのに違って聞こえた。
有り体な言葉だけれど、音楽がこんなに凄いだなんて、思いもしなかった。
「……シロクマさんが言ってた通り、二番から化けた。あ、でも初めのシンバルの時点で、もう――」
だけど何か話さないと。未だ落ち着かない心の内を必死に言葉にして、ああ、これじゃシロクマさんのこと何にも話していないだなんて焦ったりして。
「だよね! あとからちゃんと聞いてみたら、ハイハット刻み始めた時点でなんかスゴくって……!」
そして肝心のシロクマさんが話に乗ってくる。きっと両手で叩いていた本の位置にあるシンバルがハイハットと言うのだろう。
「うん。全部で聞いたら目立たない音だけど、ああやって聞けば、曲の雰囲気を作ってるみたいな」
「そうそう! 海の歌だから、白い砂浜! これってそういう歌らしいの!」
僕の言葉にかぶせるように、シロクマさんが聞いたことがないほど声を弾ませる。その声量に、あとカーテンの向こうの薄暗さだとか団地の一角だったりだとかを思い出して、少し背筋が冷えて、ようやく落ち着いてくる。
「どうしよう、今、すごく楽しいかも……こんなこと話できるなんて、思ってなかったし……!」
だけど、まるで対照的に。シロクマさんの声色に、隠しきれない火が点る。
――変だよね?
いつか、シロクマさんが口にしていた言葉が不意に浮かぶ。人より無防備に見える彼女の心は、だけどどこか線引きしたその向こう側で、分かり合えないと思っていたのかもしれない。
分かり合いたいと思っていたのかもしれない。今の嬉しさが、僕には計りきれないかもしれないほどに。
だから、思っていたよりもずっと分かり合えた気がすると、頷き合うのも、きっと悪くない。きっと今以上の笑顔を浮かべるシロクマさんを見たい気持ちは嘘じゃない。
「……この歌自体は、多分、そうなんだろうけど」
でも。それだけじゃ、もったいなくて。
「シロクマさんが描いた音は、星屑みたいにもっと黄色い感じがした、かな」
もっと。僕が見たシロクマさんを、少しでも話したくて。
引き込まれたのは歌のせいだけじゃないんだ。見たことのない、だけど今しがたに見たばっかりのような、思い描いたイメージが、あまりにも、きれいで。
確かに波打ち際なんだ。でも溢れ出た色彩は足元なんかじゃなくて、音からじゃなくて。シロクマさんのスティックから零れ落ちたように感じたんだ。
そこにあるはずのシンバルの色のせいだろうか。キラキラと、流れたように。
「星屑……いや、星砂、かな。白い色なら、シロクマさんの方がもっと眩しいから」
そして口にする内に、言葉がイメージにたどり着く。
星砂。流れ落ちた瞬きが波に浚われ、黄色い光をキラキラと奏でる。
真っ白な服を着た、真っ黒な髪の女の子が、空に描く。音になった星砂が、キラキラ、揺れるような――
「――えっと、ちょっと…………ちょっと待って!」
そんな僕の意識を今に引き戻すシロクマさんの声。見れば目の前で、何かを言いかけては口をつぐんで、意味にならない言葉を繰り返していた。
あからさまに頬を赤らめて。
今更ながら、嫌な予感がした。
いや、予感と言うか……思い返した、と言うか。
こうなる前に何をしたか?
僕が一体何を口にしたか?
――シロクマさんの方が、もっと眩しいから。
そう言葉にしたわけで――
「あ…………はははは……シロクマさん……えっと、ね――」
それこそ眩しいくらいに頭の中が真っ白だ。余りにも、余りにも恥ずかしすぎて目より先に意識が眩みそうなくらい。
「い……言いすぎだよ……っ。お世辞だって分かるけど……さすがに、恥ずかし――」
対しシロクマさんは今だけアカクマさんになっていた。真っ赤な両の頬を、同じく真っ赤になった手で抑えて、俯いてみたり、上目使いに僕を見たり。
大変なことを言ってしまった。
そうは思っているのだけれど。
「……言いすぎじゃ、ないよ」
だけど、黙っていられなかった。だからこそ伝えたかった。
「僕が引き付けられたのは、きっとシロクマさんにだよ。シロクマさんが描いた音が、本当に、見えた気がしたから」
僕が見た、他の誰も知らないシロクマさんのことを。他の誰でもない、そのシロクマさん自身に。
言葉にしながら、必死に思いを巡らせる。届けたくて仕方がなかった。
「だ……だから、良かったらもっと見せて、聞かせてよ! シロクマさん、すごく良かったんだから!」
なのに口をつくのは、どこか薄まって無難な言葉だ。違う、これじゃ伝わらないのに。
そう思うのに。
「……えへへ……っ」
シロクマさんが嬉しそうに、本当に嬉しそうに笑うから。
ほんの一瞬、だけど確かに呼吸の仕方を忘れてしまう。
そして、思わず目を背けてしまった理由を、僕は自分で読みきれていない。同じなら、今の気分を言葉にまとめれた方が今度こそ落ち着けるのに。
「ねえ! じゃあ良かったらもう一曲見てよ? どう見えるか聞いてみたい!」
僕とは対極的に冷めやらない調子のシロクマさんが、視界の傍らでスティックをブンブンさせる。
落ち着かないのは僕も同じだけれど、客観的に、そろそろ本気で静かにしてもらうべきかと思い悩む。だから言葉に困りながらも、頑張ってシロクマさんに向き直る。
「…………あ……っ」
そして、どちらからともなく、ほとんど同時に。僕達は、言葉にならない声を落とした。
互いに視線が向かうは、シロクマさんが中途半端に掲げたスティックの先。
きっとよく使うのだろう、初めに擦りむいていた右手の側。
逆剥けるように、折れてしまっていた。
最初のコメントを投稿しよう!