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第10話 容疑者たち③
最後の部屋には、ひどく怯えた顔をした小柄な青年が、小さくなって部屋の隅で縮こまっていた。
船乗りという職業らしく日焼けして、荷運びをするためか腕が太く、肩幅が広い。
「あ、あの…その」
ネフェルカプタハがまだ何も尋ねないうちから、青年は、涙目になって口を開いた。
「す、すんませんでした。出来心だったんす…神像を勝手に見てしまって…お、おれ、目を潰されたりします?!」
「は? いや、ちょっと待て。話がぜんぜん見えない。神像を見た…?」
「えっ、その件じゃないんですか」
「いや、その件だと思うんだが。まず、順を追って落ち着いて話せ」
どうやら、この青年は、事情をよく分からずに連れて来られたらしい。言葉には、微かに東方訛りがあった。おそらく下流の、それも東の国境に近い地域の出身だ。
「まず聞くが、あんた、昨日の夕方にネフェルテム神の小神殿にいたんだよな」
「はい。夕方に船が着いて、荷物の受け渡しは今日から始まる予定だったんす。商品は、織物とか…。帰りは空荷だから、下流に行きたい客を募って、積んで帰るつもりっした」
「この街に来たのは、初めてか?」
「いや、何回か…。お、おれが仕事を任されて、一人で来るのは今回が初めてっすけど。」
「ふーん。で、何でまた、着いて早々に神殿に? 別にネフェルテム神の信者ってわけでもないだろうし、この街の神殿に用事なんて無いだろ。」
「街の着き場から、すぐそこじゃないすか。目の前にあったし、前は親方に荷物の番をさせられてて、ゆっくり見て回れなかったから…。」
おどおどした青年は、慣れない丁寧な口調をなんとかひねり出そうと苦労しているような喋り方だった。
目の前に居る二人はどう見ても年下なのだが、格好からして、自分より偉い立場なのだと認識しているらしかった。
「で、何を見た」
「…あの、ええと。その、神像を」
「神像ってのは、奥の至聖所におわすんだぞ。一般信徒の礼拝場所は列柱の前だ。その奥に勝手に入ったっっつーことか」
「…すいません」
「いちいち謝らなくてもいい。んで、あんたが見た、ってのは、小神像か?」
「え、いえ…壁の前に立ってる、大きな石製のやつです。」
「てことは、本尊のほうだな…。手前に扉があるはずなんだがな。扉を開けたのか?」
「いや、なんかモメてるみたいで、半開きで。それで、隙間から中が見えると思って、好奇心に負けたんす。こんなでかい神殿の神像だったら、さぞかし立派な神像なんだと思って」
「その時、中に誰か居たってことか?」
「ああ、はい。怖そうな爺さんが不機嫌そうに出ていった後、扉の隙間から覗いたら、神官さんが一人、何かブツブツ言いながら祭壇の前でお祈りしてました」
「……なるほど」
ということは、彼が中を覗いたのは、ネブケドが仕事道具を片付けて外に出ていった後、ということになる。そして不道徳なパヘムは、この青年が奥の至聖所を覗いていることにも気づかずに、自分の仕事のほうを大急ぎでこなそうとしていたわけだ。
それにしても、あり得ない状況だった。
至聖所の扉には、通常なら閂が掛けられて、誰も居ない時間帯は封印されているものだ。
朝のお勤めで開いたあとは封印し、そのまま、夕方に再び封印が破られるまで開かれることはない。通常ならば――。
その約束事が、この日だけは、雑に破られていた。
朝夕以外で封印を破る場合には、立会の神官のもとで管理されて行われるはずで、何度か出入りする際にも念を入れて閂だけは掛ける決まりになっているのに、パヘムは、それすらせずに、扉が半開きのまま何かに気を取られていたのだ。
「――で」
ネフェルカプタハは、本題に入った。
「その時、小神殿の中には他に誰も居なかったのか?」
そう。
そこが、一番の問題なのだ。
神官パヘムと、絵師ネブケドと、この船乗りの青年ティホル。今のところ、神像の消えた時間帯に小神殿にいた人物は、この三人だけだ。
もし、それ以外にもいたのなら――。
「ああ、はい。なんか居ました、異国人っぽい格好した観光客が」
「!」
ネフェルカプタハとチェティは、同時に反応した。
「観光客、ってのは、どうしてそう思った」
「え、なんか、お祈りとかせずにウロウロ、辺りを見て回ってたから。おれが奥から戻ってきたのを見て奥の方に行こうとしてたんで、そっちは駄目だって一応言いましたけど、言葉が通じてたかは、わかんないっす」
「なるほど。で、お前は、神像を盗み見して、そのあと、すぐに立ち去ったのか」
「いや、普通にお祈りを…せっかく来たんだし、何もしないってのはおかしいでしょ。したら、奥の部屋から大騒ぎが聞こえてきて、神像がどうとか叫んでたから、盗み見がバレたんだと思って、おれ、怖くなって…」
「はあ、なるほど」
それで、自分のせいだと思いこんで怯えていたのか。
「まあ、一つ言っとくと、盗み見くらいで目つぶしの刑なんかしねぇよ。そこは安心しろ」
「そ、そうなんすか…じゃ、おれ、無罪放免っすか?!」
「いや、無罪は無いな。盗み見自体も良くない。ただ、問題は、そこじゃねぇんだよなあ」
腕組みをしたまま、ネフェルカプタハは、じっと青年を見つめた。
嘘――は、ついていない気がする。だが、確かめなければならないことはまだ、幾つかある。
「お前が見かけた異国人だが、どんな奴だった」
「えっ? どんな、って…。よくある黒髪の、薄い色の目した、なんかアジア人っぽい奴でしたけど。軍人かなーって雰囲気だったし、最近、下流からそういうの何人か船に乗せたから、遠征隊にいた傭兵かなって、なんとなく思ってたっす」
「東の異国出身の傭兵がこんな上流まで、ねえ。で? そいつは、お前より前に小神殿を出たのか? それとも、後か?」
「えっ、知らないす」
「知らない?」
「てか、気づいたらいなくなってて。なんか…気配が無いっつーか、足運びが静かな奴で。拝礼してて顔上げたら、もう姿が見えなかったから、先に出たんじゃないかとは思います」
「……。」
最後の手がかりだ。容疑者は、一人に絞られた。
その、傭兵風の異国人だ。
沈黙が落ちた。
不安げに二人を見比べるティホルの視線に気づいて、ネフェルカプタハは、小さく咳払いしながら、取ってつけたように尋ねる。
「あー…ちなみに、ネフェルテム神を見た感想は? どうだった」
「はあ。意外と普通でした。けど、いいお顔でしたね。優しそうなのに、凛として」
「だろ? うちの街の職人が作った、最高傑作だからな。」
ネフェルカプタハは、にやりと笑ったあと、慌てて真顔に戻った。横からチェティに睨まれたせいだ。
「ま、それはそれとして、神域を勝手に盗み見したんだから、罰は受けてもらうぞ。牢屋じゃ寝心地悪いだろうし、神官用の懲罰房で勘弁してやる。」
「ええ~…」
「ええー、じゃねえぞ全く。仕事に支障がないように、手っ取り早く足の裏の鞭打ち十回くらいで放免してやっから、一晩くらい真面目に反省しろ」
「うう…。はい…。」
青年は、最初に見たのと同じようにしょんぼりと肩を落として、敷物の端で小さくなってしまった。
部屋を出た頃には、もう、夕方も遅い時間になっていた。
ネフェルカプタハは、見張りの兵士に手早く青年の処遇について伝えると、最初にジェフティから受け取った、容疑者の指名の並べられた一覧をチェティに渡した。
「んじゃ、俺はこれから夕方のお勤めなんだわ。結果は、ジェフティさんに伝えといて貰えるか」
「分かった」
チェティは頷いて、一覧を丸めて隣の筆写室へ向かう。
(さて、と…。)
お勤めが終われば、日も暮れている。次にチェティやジェフティと会えるとしたら、明日の朝か。どのみち、今からではできることも限られている。
それまでに、考えておくべきことは、山程あった。
空白の時間をついて神像を持ち出せたのは、小神殿の中をウロついていたという、異国人の男しかいない。だとすれば、パヘムが握りしめていた布の端切れは、まさに、その男を指していたことになる。
だが、神像を盗んで高跳びするなら兎も角、夜中に再び鉢合わせるとは、一体、どういう状況なのだろう? まさか、盗んだ神像をもう一度、戻しに侵入してきた――
(…いや、待てよ)
本殿に続く回廊を歩き出そうとしていたネフェルカプタハは、ふと、足を止めて、壁の南側に見えている小神殿の屋根のほうを見やった。
逆だ。
大神殿の外周壁は小神殿の屋根より高く、やや傾斜があるものの、ほとんど直立していて、登ったり、降りたりする事は到底無理だ。
だが、ネフェルテム神の小神殿のある場所の裏手の、聖牛の社や薬草園がある区画と、法廷や施薬所のある区画を隔てる壁は薄くて低い。身軽な者なら、よじ登って乗り越えることくらいは出来る。
騒ぎが起きて小神殿の表側の入り口が閉ざされた後、人の途切れた時間を見計らってこっそり脱出しようとすれば、どんな方法を取る?
(――そうか!)
ネフェルカプタハは足を止め、筆写室のほうを振り返った。
相棒のチェティならきっと、こんなことはもう、とっくに気づいている。
だとしても、自分の思いつきが合っているかどうかだけは、確かめたい。
彼は法衣の裾をたくし上げると、そちらに向かって、全速力で駆け出した。
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