第二幕 リラとカラボス 2.鴉の棲み処

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第二幕 リラとカラボス 2.鴉の棲み処

 夜明けに西の山地を飛び立った鴉の群れは日が暮れるころ森に帰る。めいめいがねぐらにしている木に戻り、羽根をつくろい、仲間や兄弟と鳴きかわし、あちこちで見聞きした出来事をおしゃべりする。鴉の言葉は木々の葉をふるわせ、小枝を伝わってカラボスに届く。  鴉は賢く、その目は鋭い。町や村の上空を飛びながら、人間たちが見落としてしまうことにも気づく。だからカラボスは人の近寄らない山地の森にいながら、いま世界で何が起きているか知ることができるのだ。鴉たちはカラボスの仲間で、友で、家族だった。  光を集める小さなもの、ガラス玉や金貨や宝石が彼らのお気に入りで、かすめとって西の山地に持ち帰ることもある。カラボスはめいめいが自分の巣に宝を隠しているのを知っていたが、けっして取り上げることはない。だが鴉たちはカラボスを群れの頭とでも思っているのか、いちばん美しいものは彼の住まいに落としていくのだった。  カラボスの住まいも鴉たちと同じように木の上にあった。それも一カ所ではなく、西の山地の森に散らばる巨木の枝にヤドリギのようにくっついていた。外観は天候の魔法で集めた小枝をさらに魔法で編み上げた小屋で、とても高い木の枝にあったから、地上からは小さな鳥の巣のようにみえた。  小枝で編んだ小屋と聞くと多くの人は粗末な住まいだと思うにちがいない。ところがどれをとってもそんなことはなく、内部は広々として、木と上等な蜜蝋の香りが漂う居心地のいい空間になっていた。カラボスは目的に応じて小屋を使い分けていた。北の巨木の小屋は寝室、南西の巨木の小屋は書斎、東の巨木の小屋は魔法の実験用といった具合である。  カラボスにとっては森全体が宮殿のようなもので、彼は風に乗って自在に小屋を行き来した。だが、友の鴉たちはどの小屋が何の目的で使われているかなど頓着しなかったから、すべての小屋に彼らが持ちこんだ宝石が散らばっていた。カラボスは人間の財宝にほとんど興味がなかったので――たまに魔術の実験に使う以外は――たいていの宝石は蹴散らされて小屋の隅に追いやられ、輝く埃となって積もっていた。  この日のカラボスは夜になるまで書斎に使っている小屋で本を読んでいた。といってもただの本ではない。床の半分を覆うほど巨大な書物である。  カラボスは床に肘をついて寝そべりながら、ゆっくり目を通していた。ときおりぱちんと指を鳴らすと風がページをめくってくれる。太陽の光はカラボスの魔法によって雨の雫のように木の葉のあいだを伝わり流れ、小屋の中に吊り下げたランプに宿る。だから小屋の中には常に、カラボスが望むだけの光があった。  光が照らしている書物は遠い昔、師が二人の弟子のために書き残したものだ。といっても、ほとんどは師が直接教えてくれたことだったし、カラボスは何度もくりかえし読んでいたから、文字で書かれた内容はすべて頭に入っていた。ところが、魔法について書かれたこの本にはさらなる秘密があった。  本自体に師匠の魔法がかけられていて、ページをめくるたびにおかしなことが起きるのである。たとえば行と行のあいだからカエルが飛び出したり、キノコが生えたり、得もいわれぬ歌声が響いたり、といった調子だ。そして新たな出来事が起きるたび、書かれた文字はまったく変わらないにもかかわらず、ページの上には新しい意味が加わった。  ちなみに師がこの本を完成させ、二人で仲良く使うようにといってカラボスと兄弟子に与えた時、この本はずっと小さかった。手のひらにおさまるほどの大きさで、だから兄弟子のリラはこれをとるにたらないものとみなし、カラボスがこの本を持ち出すのを止めなかったのだろう。  リラは知識に貪欲だったから、大切なものだと信じていたら絶対に止めたはずだ。カラボスもこの書物がそこまで重要なものだとは思っていなかった。ただ彼は師と共にすごした時間を忘れたくなかっただけなのだ。  ところがこの書物はカラボスが読むたびにすこしずつ大きくなった。ページをめくるたびに書かれた言葉に新しい意味が加わり、それにともなって本は成長した。今では書斎小屋の床半分を占めるほどの大きさだ。  カラボスは肘をついたままページを眺め、小さくあくびをした。  小屋の外で羽ばたきが響いた。小枝の隙間から何かが押しこまれ、床を跳ねてページの上を転がる。カットされた青い宝石だ。カラボスは笑みをうかべて体を起こした。 「戻ったのか」  宝石をつまみ、手のひらに転がす。空中に大きな鴉があらわれた。広げたページのすぐそばに舞い降りて、賢しらな眸をカラボスに向ける。  カァ。  宝石から青い光が放たれ、球体となって小屋に浮かんだ。光の中にあらわれたのは鴉の眼に映ったフロレスタン国の中枢である。数日前までそこには荒れ果てた城があった。だがいま球体の中にみえるのは広い庭園を控えた豪奢な城館だ。四つあった塔はひとつになり、門には紋章つきの馬車が横付けになっている。  カラボスは腕を組み、目を細めた。 「リラめ、いったい何のつもりだ?」  鴉は慎重に城館を偵察していた。上空を旋回し、近づいては遠ざかり、リラがかけた罠を避けている。庭園や回廊に人間が何人もうろついているが、リラの姿はない。黒髪の少年が人間たちのあいだにいる。少年? カラボスの記憶にある姿よりは成長しているようにみえる。  カラボスは眉間にしわを寄せた。あれは―― 「俺は失敗したのか? それにしては……妙だな」  カラボスは手をふった。青い光の球体は即座に消え去った。どこからか風が吹きこみ、開いたままだった本がぱらぱらと閉じていく。立ち上がったカラボスの肩に鴉がとまる。バサッと翼がはためくような音が消えたとき、カラボスはもうその小屋にいなかった。森の東の巨木に移動したのだ。太い枝から吊り下がった魔法の実験用の小屋に舞い降りる。  こちらの小屋の内部は書斎より広かったが、棚や机にさまざまな物が雑然と並んでいるために、実際より狭くみえた。カラボスは奥の棚の裏側に手をつっこみ、ふるぼけた鏡を取り出して机の上に置いた。棚にならぶ壺から光る宝石をひとつかみとって鏡の上に無造作に置くと、宝石の壺のとなりに置かれていた小さな瓶の中身を宝石にふりかける。最後に机の上のガラス瓶からスポイトで一滴、金色の雫を垂らした。  机の上の鏡からパチパチとはじけるような音が響いた。銀の上で宝石が溶けているのだ。宝石は虹色の被膜となって鏡を覆った。カラボスはうなずき、鏡に向かって命令した。 「フロレスタン国の城で、王子の誕生を祝う宴の大広間で、俺が立ち去ったあとを出せ。目印は十二枚の金の皿」  これは過去をさかのぼってたしかめる魔法だった。カラボスの言葉がおわったとたん、鏡の表面で虹の七色がぐるぐると回転しはじめる。それはだんだん小さくなり、やがて虹のうずまく殻をもつ本物の卵に変わり、鏡の上にぽこりと浮き上がった。カラボスは虹の卵を左手で掴むと、右手で鏡を壁にたてかけ、左手を鏡に叩きつけた。  鏡の表面にフロレスタン国の大広間が映し出された。  黒い鴉の羽根が散らばり、人々が恐慌に陥るなか、純白の髪のリラが立ち上がって、ゆりかごに近づく。 『この呪いを取り消すことはできないが、呪いの内容を変えることはできる。紡ぎ車に刺されても王子は死なず、眠るだけだ。百年の眠りののち、真実の愛を捧げる者が王子を目覚めさせる』  カラボスはまばたきもせず鏡をみつめていた。白い髪をなびかせたリラの美貌をみるたび、その眸に暗い影がよぎり、唇は苦痛をこらえるようにゆがんだ。 「あいつが城で守っているのはこれか。だがあの人間は王子にそっくりだ。いったいどうなっている?」  カラボスは鏡の前で腕をくむと、しばらくそのまま考えこんだ。
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