遺された自画像

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 父がこの絵を消したのは、自分への戒めだったのかもしれない。幸せだった時間、幸福なその瞬間の絵を、不幸にした母や私に対する罪悪感で上から塗りつぶしたんじゃないか。それでも、いつか見つけてほしくて、愛情に気付いてほしくて、あんな絵具で要りもしない自画像を描いたんじゃないか。そんな想像ができてしまった。  これは、母に見せなければならない――はっきりとそう思った。母がどんな反応をするのかは分からないけれど、一度は愛し合って結婚した二人だ。こんなにも温かい絵が母に届かないのは絶対に間違っている、という確信だけが私を包んでいた。 「この絵、どうされるんですか?先生の作品でこんなにレアなものならさぞ値も張ると思いますが…」  そう言いかけた安藤が私の表情を見て言葉を飲み込んだのが分かった。私は勝手な想像をしただけなのに、涙を流していたのだった。  違うかもしれない。壊れた家庭を塗りつぶしたくて、ただそこにあった絵具をただ混ぜて描いただけかもしれない。そうも思ったけれど、まだまだ絵は大量にある。私はこれからどんな絵が出てくるのか、もう全部見ないと気が収まらなくなっていた。 「これは売りません。…それと、残りの絵もぜんぶ、同じように修復してもらえますか」  私はそう言った。  お金は心配いらなかった。父の保険と、遺産があったからだ。もしかしたら、このために父はお金や絵を残したのかもしれないと思った。母は泣くだろうか、笑うだろうか。それとも、だったらどうして大事にしてくれなかったのかと嘆くだろうか。  人の気持ちなど分からない。それでも、芸術にはそれを伝える力があるのだな、と考えないではいられなかった。晩年の父の孤独を思って、私はまた涙がこみ上げるのを感じたのだった。
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