遺された自画像

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 父が亡くなった。父と言っても、私が子供の頃に母とは離婚をしていて、私は母に引き取られている。私ももう四十路を超えていた。両親の離婚後、父とは会ったことがなかった。  父は著名な画家だった。とはいえ、今の日本で画家業だけで食べていくというのはなかなか難しいものもあり、イラストレーターなどメディア向けの仕事も請け負っていたというのを人伝に聞いたことがある。  晩年、父は天涯孤独の身だったらしく、財産分与にあたって唯一の肉親である私に話が来たのだった。そこで私は、初めて父のアトリエ兼自宅に行くこととなった。  閑静な住宅街のマンションの一室。1LDKの部屋は、あまりにも物がないことに驚いた。男の部屋というのはもっとごちゃごちゃしているものだと思っていたのだが、よく考えれば母との離婚理由も絵に没頭するあまり家庭を疎かにしたが故のことだったので、本当にほかのことに興味がなかったのだろう。  リビングがあり、寝室らしき部屋があり、一番奥の部屋がアトリエだろうとその扉を開けたとき、ここは同じ人の部屋なのだろうかと思うほど雑然としているのに今度は驚いた。そこら中に、絵、画材、絵、木製イーゼル、パソコン、絵、絵。父の顔すらほとんど覚えていないのだが、この部屋を見ただけで、父がどれほど絵に執着していたかがよく分かる。  私は絵画に詳しくはなく、とはいえ一応画家の娘ということもあり多少の興味はあった。父の絵がどういうものなのかをネットで見たこともあったが、個展などに行ったことはなかった。  実際見てみるとどうだろう。これが肉親の描いたものなのかと疑うほどの美しい絵画たちがそこにはあった。油彩画とデッサンで溢れたアトリエは、こんなにも雑に扱われていいものなのかと思うほどの量が山積みにされたり散乱していたりで、父の性格の雑さがそこに現れているように思えた。  風景画の名手として名の通った父の絵画たち。部屋の雑然とした雰囲気とは打って変わって、決して荒々しくはなく精密に描かれた絵画たち。それらは、まるで今も風が吹き日差しが差し、そこに生き物たちが息づいてでもいるような瑞々しさを持っていた。父は本当に画家だったのだ、と改めて思う瞬間でもあった。絵画には詳しくないけれど、私も好きだと思える絵ばかりがそこにはあったのだ。
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