プロローグ

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プロローグ

一.  不機嫌な時、不機嫌なままでいたい。誰にも迷惑かけないから。 八つ当たりなんかしないし、別に一日中って訳じゃない。 ただ、ちょっと気の済むまでは、部屋から出た時だって不機嫌なままでいさせてほしい。    「あー、面倒くせぇなぁー…」 水原十夜(みずはらじゅうや)は自室のベッドでゴロンと寝返りをうった。 十夜は現在、16歳の高校2年生。 父親は十夜が小学校3年生の時に病気で亡くなり、そこから高校2年生の途中まで東京郊外の一軒家で母親と二人で暮らしていた。 過去形なのはこの度、母親の再婚が決まったからだ。    十夜の母親、水原朝子(みずはらあさこ)はアミューズメント施設の営業職の41歳。 33歳の時、夫である水原源太(みずはらげんた)を病気で亡くしている。 以降、時々源太の実家を頼りながらも十夜を一人で育て上げ、39歳の時に仕事関係でこの度の再婚相手である時任(ときとう)と出会い、交際を始めた。 朝子と時任は、十夜が20歳(はたち)になったら籍を入れるという予定で、十夜と朝子が暮らすこの一軒家に移り住む形で同居を開始した。    だが本音を言うと、なぜか「すっっっっっっっっごい嫌」なのだ。 時任の事は良い人間だと思うし、表面的にはソツなくやっているのだが、内心めちゃくちゃ気を遣っている。時任の人間性が嫌なのではなく、他人とずっと一緒に生活することに抵抗があるのだ。 十夜は自分の事を面倒くさい人間だという自覚があり、他人にはどうしても気を遣ってしまう、自分の本心を見せることに抵抗がある、そんな自分に心底疲れきっていた。 二.  「私も、十夜くんには、トオヤよりジュウヤの方が合ってる、と思うかな」  時を少しだけ遡り、新しい家族の食事会でそう言ったのは、この度、姉になった時任榛名(ときとうはるな)であった。 時任には前妻との間に大学1年生の娘が一人いて、それが榛名であった。    十夜は大学生の姉というものに完全に気後れしていた。 中学こそ共学だったが、高校は男子校で、女子と何を話せば良いかなんて全然わからないし、どうせ陰キャだとバレて引かれるのがオチだと思うと、四人での食事会が決まった時から憂鬱で仕方がなく、逃げ出したくて堪らなかった。    当日まで十夜の頭の中では地獄の食事会が繰り広げられ、 顔も知らない想像上の榛名は、陽キャなノリで会話を盛り上げて十夜は完全に置いてけぼりを食らうか(よくよく考えれば、陽キャだとしても親の前でウェーイはないだろうと思った)、 十夜にドン引きして嫌そうな顔をされるか、など十夜自身に自虐的でしかないロクでもない妄想ばかりが浮かんでは消えた。    実際に会った榛名は、自分から話し出すタイプではなかったが、しっかりと、そしてさっぱりとした話し方をしており、ふわっとしたポニーテールと、くりっとして少し切れ長の猫みたいな目がその利発さを表していた。 ふと、見ている事に気づかれたかと内心焦りながら十夜は何事もない様な表情を作り、しばしの間、会話を聞きながら食べることに集中したのだ。      そんな中で、時任が十夜の名前を褒めたことから、朝子による名付けエピソードが始まった。 朝子は十夜を出産した時、漢字は同じで読みを「トオヤ」と名付けた。 だが、夫である源太は生来マイペースな人間で人の話をほとんど聞いていない性分であり、役所に届け出する際に、漢字はしっかり覚えていたものの読みを「ジュウヤ」と書いてきたのだ。 それに怒った妻に対して「そうだったっけ?」と全く悪びれずに「でもこの方が良くない?」と本気で陽気に笑ってみせたのだ。    この名付けエピソードは十夜が物心ついた頃から度々聞かされ、父が亡くなった後にも年に一回は聞いていた気がする。 そんなマイペース過ぎる父親であったが、決してちゃらんぽらんでも浮気性でもなく、仕事はしっかりとし、自分達を大事にしていたと母が言っていたのを覚えている。    このエピソードが時任親子にもひとしきりウケた後、榛名がそう言った。そして、 「あっ、朝子さんにはすみません」 と、即座に母に対しての気遣いを入れた。 母もなんだかんだでそう思っていたと嬉しそうだった。 そして、十夜自身が「ジュウヤ」の方を実は気に入っていたので、そう言ってもらえて悪い気はしなかった。本当は何でそう思ったのか聞きたかったのだが、あえてそこは考えないことにした。 三.  これから同居という、精神的な死活問題が待ち構えている十夜と比べて、榛名はそこまで不安そうな感じがしなかった。 二歳差って言うのはこんなに精神的に差があるものなのか…。それとも男の方が精神的に未熟って事か…?など、あれこれ考えが脳裏を巡ったが、おそらくの理由はすぐ判った。    榛名は母親が亡くなった後、近くに住んでいた母方の祖父母の家で暮らしていたという事だった。時任は仕事が忙しく、家事などで榛名に負担をかけたくなかったため、自分の事は自分でやるからとマンションで単身暮らしをしていた。 榛名は高校卒業まで祖父母と三人で暮らし、大学入学時に女子寮に入った。 祖父母は榛名との生活を歓迎してくれていたし、女の子だからと色々気を遣ってくれてはいたが、過保護や過干渉はなく気が楽であったと。 また、女子は父親とはある程度の距離を置きたいものなので、丁度良かったと。 榛名にとっては、これからの生活もこれまでと大して変わらないのだ。    兎にも角にも、十夜が想像していたよりずっと穏便に食事会の時間は過ぎた。 が、しかし、時任との同居が十夜にとって相当気が重すぎることは揺るがぬ事実だった。 四.  しかし…。また新たに寝返りを打ち、スマホをいじりながら十夜は思った。 「どうせなら、俺が大学に入って家を出てから同居してくれれば良かったのに」 心底そう思いながら溜息をついた。だが早く分かって良かった面もある。 これまで十夜は進学先を都内の大学で考えていたが、思い切って関西の大学に進路希望を変更した。 「マジで一人になりたい。孤独とか全然思わない。こんな息の詰まる生活から早く離れたい」 だが…。 榛名のことはもうちょっと知りたかったかもしれない。そう思うのだった。    
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