第17話 覆水は盆に返らない、しかしそこから出る芽も存在する

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第17話 覆水は盆に返らない、しかしそこから出る芽も存在する

 それにしても。  あれから、朔くんと礼央のふたりと別れて、とぼとぼと家路につきながら。  今日はなんだか本当に色々ありすぎた1日だったな、と思う。  日中にマンションの管理会社からも連絡があって、どうやら来週にはまた元の部屋に住めるようにはなるらしい。  とはいえ、漏水のトラウマの残る家に住めるかどうかは実際に見てみないとわからないけど……。  いずれにしても、柊生さんの家で過ごす日々は、もうすぐ終わりを迎えるということだ。  ……私は、どうしたいのだろう。  どうすればいいのだろう。  叔父や、朔くんと礼央の話を聞いて、ますます足元が揺らぐ。  みんな、柊生さんが私のことを想ってくれていたことを知っていたのかあ……。  そのうえで、意固地になっていたの私だけなんて……。  ガチャ、と玄関のドアを開けると、いつもは真っ暗なはずの室内が、珍しく明るく照らされていることに驚いた。 「ヤマ」  おかえり、と。  柊生さんが玄関まで出迎えにきて、私を抱きしめる。 「柊生さん。……今日は、早かったんですね」 「早いって言ってももう22時だけどな」  むしろヤマの方が遅かったじゃないか、と柊生さんに苦笑される。  ――あ、だめだ。  今になって、柊生さんに会って。  ふわりと鼻先を掠めた、柊生さんの匂いを感じて。  今日1日のあれこれが急によみがえってきて、突然胸がいっぱいになる。  いつもと変わらない、どこか余裕を感じさせる、柊生さんの優しい笑顔。  その笑顔が、私の最後の牙城を突き崩した。 「――ヤマ?」 「ごめ……、なさい……」  突然言葉を詰まらせる私に、困惑した様子で柊生さんが私に声をかける。  ダメだ。  言っちゃダメ。  でも――。    葛藤する想いから逃げ出すように、痛む胸を抑えながら、私は一歩、二歩と柊生さんから後ずさる。  でも――、ダメだ。  迫り上がってきた感情を抑えきれなくて。  抑えようのない想いが。  自らの心のうちで静止する声を飛び越えて。  ぽろりと口から溢れて出てきた。 「……好きです」 「………………え?」  私の、聞こえるか聞こえないかの微かな囁きに、柊生さんが小さく聞き返してくる。 「私……、柊生さんが、好きです」  口にしてしまえば、もう引き返せない。  それをわかっていても。  どうしても言わずにはいられなかった。  柊生さんの顔を直視できずに(うつむ)き。  柊生さんの足元に落としていた自分の目線を。  恐れを振り切って、不安と戦いながら目線を上げる。  驚愕に目を開いたような柊生さんの瞳とかち合って、どくんと私の心臓が大きく跳ねた。  同時に、激しい後悔に苛まれる。  ――だめだ。一旦出よう。  そう思って、玄関の外へ逃げ場を求めて私が一歩後ずさった瞬間。  いち早く察知した柊生さんに「待て!」と言われ、引きかけた腕をぐいっと掴まれた。  そのまま、逃げ出せないよう柊生さんの腕の中に抱き込まれる。 「離してください……」 「離したら逃げるだろ」 「ご、ごめんなさい……! 私、間違えました……!」 「なにがだ」 「なにも……、今言ったこと、忘れてください」 「忘れないだろ。どう考えても」  逃げようとする私を、柊生さんが力づくで抱きしめて逃さないように閉じ込めてくるため、必然私の声はくぐもって聞こえ。  なんとか逃れようとじたばたともがいても、男の人の腕力でさらに力強く抱きしめられるだけで。 「離……、柊生さん、離して……」 「嫌だ」 「柊生さん」 「嫌だったら嫌だ」  そう言うと柊生さんは。  私を強く抱きしめたまま、私の耳元で切なく「ヤマ……」と声を漏らして。  その言葉に切なさに、全部を持って行かれてしまった私は、とうとう堪えきれずに涙を溢れさせてしまった。    ――もうやだ……! 私……!  その一言だけで、柊生さんがどれだけ私のことを思ってくれているか伝わってきてしまって。  我慢できなかった後悔と、吐き出した安堵感と、抱きしめられている多幸感で、気持ちがぐちゃぐちゃだ。  すっかり逃げ出す気力も失い、私がただ涙に震えていると、柊生さんはしばらく私を抱きしめたまま、私が落ち着くのを黙って待っていてくれた。  やがて、抱きしめられる腕が少し弱まると、涙に濡れた私の頬を、柊生さんが手のひらで優しく包むように触れ、濡れた水滴を(こす)って(ぬぐ)いとる。    その動きに、反射的に柊生さんの方に向けて顔を上げると、そのまま柊生さんが私の頬の涙の残る部分に唇で触れてきた。  これじゃあほとんどキスされているのと変わらないな、と。  ぼうっと思いながら黙って受け入れていたら、最後に唇に軽くキスを落とされた。 「……しゅ、柊生さん……」 「……なんだよ」  油断していた私は、まさか唇に来るとは思っていなかったので、思わず真っ赤になった顔で柊生さんを見上げると、目線の先では柊生さんが拗ねたような顔でこちらを見返してきていた。 「これはまだ……、協定外です……!」 「なんだよ協定外って」  相変わらず拗ねたような顔でそう言い返してくる柊生さんだったが、「ほら、いいから、いつまでここにいんだよ」と言って、私をリビングに引っ張っていく。  私の手を引いて、私を引っ張っていく柊生さんの背中は、今更だけどちゃんとした男の人の背中なんだなと思った。  そうして、リビングに手を引かれて連れてこられた私は、ソファに座らされたかと思うと、そのまま再び抱きついてきた柊生さんにソファに押し倒された。 「わ……、ちょっ……」    驚いた私が抗議の声を上げたが、それよりも柊生さんが、縋り付くように私を抱きしめてくるので、それ以上何を言うこともできず。 「ヤマ……、好きだ」  と、耳元で小さく囁いてくるのを、私はそっと、抱きしめ返したのだった。
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