Track.3.  supernova

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count.11.  薄暗い部屋の中でメタリックブルーのギターが鈍く光る。  ほこりにまみれたギターは劣化からか、所々弦が飛び出している。  立ち上がって、ギターに近づく。  ネックと弦の間に挟まれた、色あせた青いピックを取る。  一音だけ弾いてみれば、わずかに弦が震えてくぐもった音がする。  チューニングされていない音は、記憶の中のどの音色にも結びつかない。 「あれ、お兄ちゃん帰ってきてたの?」  急に声をかけられて、驚いて顔をあげる。  部屋の入り口に立っていたのは妹の玲だった。  玲はずかずかと圭の部屋に入りこむ。 「ちょ、勝手に入るなよ」 「いいじゃん、別に。ギター、またやるの?」  本棚のマンガを物色しながら何気なく返ってきた問いかけに、圭はそっと息を飲む。 「いや……」  歯切れ悪い圭の返事に、玲は探るような視線を投げてくる。  逃げるように下を向いて、きゅっとピックを握る。  高校の頃に始めたギターは、なかなか思うように弾けなくて、憧れの音には近づけなかった。  やきもきしている間に、触れる頻度も次第に減ってきて、どんどん奥に追いやってしまった。  ギターを聴く頻度も減ってくると、目にするのも辛くなる時もあった。  それでも、なぜか手放すことは、できなかった。 「……まあ、お兄ちゃんの後悔がないようにやればいいんじゃない? これ、借りてくね」  それだけ言うと玲はマンガを数冊抱えて、圭の部屋から出ていく。  抜いた分だけ、本棚にはぽっかりと隙間ができる。  不意に訪れた静けさに、圭は張り詰めていた息をふっと吐き出す。 「……後悔、か」  圭は手元のピックをそっと見る。  高校時代、図らずも涼とおそろいで買ったそのピックは、ひどく色あせてくすんでいる。  小さく唇をかむと、ピックを元の位置に戻す。  カーテンを引いて、ベッドに潜り込んだ。 ***  翌週の土曜日。  気が乗らないまま、圭は涼と待ち合わせ場所に決めた、新宿駅南口の改札前に向かう。  背の高い涼は人混みの中でもすぐに見つかった。 「悪い。待たせた」 「いや。俺も、さっき着いたところ」  人の合間を縫って涼に近づく。  目の前に立つと、不意に涼が、ふ、と表情を和らげる。 「……まだ、それ、持っていたんだね」  優しげに目を細めた涼が、圭の背後に視線を投げる。  その先にあるものを察し、圭はバツが悪そうに下を向く。 「あー……うん、まあ。一応、持ってきてみた。弦とかボロボロだし、使えそうもないけど」  ぼそりと返すと、少し色落ちした、黒いギターカバーを背負い直す。  正直、これを持ってくるのはずいぶん、悩んだ。  でも教わる手前、手ぶらで来るのもなんとなく気がひけた。 「大丈夫。弦なら、うちにもあると思うし、着いたら、張り替えよう」  涼はそう言うと先導するように前を歩く。  その少し後ろに圭も続く。  練習場所でもある、涼が務めるライブハウスを目指した。 「今日はライブが十八時からだから、十四時までは自由に使っていいって」  ライブハウスにたどり着くと、入り口の扉の鍵を開けながら、涼が言う。  中に入って、電気をつける。  ぱっと店内に明かりがともり、がらんとしたステージと会場が照らされる。  涼はバーカウンターのイスにギターを下ろす。 「ちょっと裏から弦、取ってくるね。ギター置いて、適当にかけてて。圭のギターってエレキギターだったよね」 「あ、うん。そうだけど……」  言い終わる前に、涼はバーカウンターの脇にあるドアから奥の部屋に入っていく。  その背中を見送ると、ひとつ間をあけて、イスに座る。  おずおずと背負っていたギターカバーの中からギターを取り出す。  白い蛍光灯の下、色を落としたメタリックブルーのボディが鈍く光る。  膝の上にギターを置き、ボディの表面をなでる。  ざらざらした指触りに、目を細める。  BGMもかからない静かな空間で、自分の鼓動の音だけが一定のリズムを刻んでいる。  自然と高まる緊張感に、そっと目を閉じて、息を吐き出す。  待っている時間が、ひどく長い。 しばらくじっとしていると、カウンター脇のドアが開く。 「ごめん、なかなか丁度いいのが見つからなくて。多分、これで大丈夫だと思うよ」  涼は大股で圭のそばまで来ると、奥から持ってきた道具をカウンターの上に並べる。  その様子を見守っていると、笑顔の涼が手を差し出してくる。 「ギター貸して。弦、取り替えるよ」 「おお、あ、ありがとう……」  言われるがまま、圭は自分のギターを涼に渡す。  涼はカウンターのあいたスペースにギターを寝かせると、慈しむように表面をなでる。  優しいその手つきを自然と追いかけ、涼の手元を覗きこむ。  涼はボディが傷つかないようにするためか、楽器用のクロスをブリッジに挟みこむ。  ひっくり返して、後ろについているバックパネルのねじを取る。  そっとパネルを外すと表に向ける。  ほっそりとした指先をわずかに朱色に染めて、ヘッド部分にあるつまみをぐっと回す。  少しずつたわんできた弦を、ぱちり、ぱちり、と一本ずつニッパーでカットしていく。  切った弦をするすると手繰り寄せ、くるくると巻きながらヘッド側からつまみに絡む古い弦を取り除く。  ボディの裏側のむき出しのバネの下。  横一列に並んだ小さな穴から、残っている弦の先端をそうっとつまむ。  細い指先で一本一本、ゆっくりと引き抜いていく。  同じように、くるくると弦をまとめる。  一通り弦を外すと、楽器用のクロスをもう一枚取り出す。  ポリッシュの容器を傾け、ぽたり、ぽたりとオイルでクロスを湿らせる。  ボディの表面を優しくなで、外側の汚れを落としていく。  別の液体を引き寄せ、数滴のオイルをクロスに垂らす。  今度は、むき出しになったネックを磨きあげる。  うっすらとほこりをまとっていたギターは少しずつ、つややかにきらめいて本来の色を取り戻していく。  ギターのボディに触れ、新しい弦を取り出す。  くるくると巻いてあるそれをきれいにほどく。  弦をつまんで、すっと一本、裏側の小さな穴を通して、細い弦から張り変えていく。  丁寧に慎重に。繊細なガラス細工に触れるように。  大切な宝物を修復するように。  流れるようなその指先を、圭は黙って見つめた。  ヘッドの突起に弦を巻きつけ、少し張りが出るまで、ぐ、ぐ、とつまみを締める。  バックパネルを閉じて、ブリッジに挟んでいたクロスを抜きとる。  全て完了すると、一通り確認をしてから、ギターをアンプに繋ぐ。  涼がギターをゆるく構える。  ピックを取り出し、すっと息を吸う。  ジャ、  軽い調子で弦を弾いた、その瞬間。  くすんでいたギターの音が鮮やかに色づく。  涼は一音ずつ確かめるように、音程を合わせていく。  空気を震わせるその音に、圭は思わず目を見開く。  チューニングが終わると、涼は優しげに笑う。  慈しむようにそっと、ギターの表面をなでる。  はい、と圭にギターを手渡してきた。  受け取った圭は、まじまじとギターを観察する。 「すげー……」  見事なまでの復活に思わず、声がもれる。  ぼろぼろだった弦はきれいに張り替えられて、灰色がかっていたメタリックブルーのボディは本来の輝きを取り戻す。  表面をなでれば、するりとなめらかな木の感触。  触れた指先から、涼の体温が、じり、とほのかに伝わってくる。  胸の奥には、ちり、といつかの熱が蘇る。  アンプから響いたのは、一度は追いかけるのを諦めた、あの音だった。  不意に湧き出た感情を持て余して、圭は唇をかむ。 「あ、そ、そうだ。お金。弦っていくら?」  圭は目線をギターに向けたまま、ごまかすように涼に聞く。 「いいよ、これくらい。まだたくさんあるし」  カウンターのイスに腰をかけて、涼がそう返す。 「でも……」 「それなら」  涼は顔を上げた圭と視線を合わせると、にっこりと優しく笑う。 「大切に、使ってあげてよ。せっかく頑張って買った、ギターなんだからさ」  その言葉に、圭は息を飲みこんだ。  視線を落とし、きれいに磨き上げられたギターの表面に触れる。 「……うん。わかった」  圭が小さくうなずくと、涼はイスに立てかけていたギターケースを引き寄せる。 「じゃあ、さっそく、やろうか」  じいっとファスナーを開けて、中からギターを取り出した。
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