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わたしの家から岩橋くんの美容室までは、徒歩で三十分。けれど、公園を抜けていけば時間短縮できる。
一人で出かけると言ったわたしを、父が止めた。
「夜の公園は危ない。暗がりに連れていかれたら大変だ。父さんが送り迎えする」
「大丈夫だよー」
「いや、大丈夫じゃない。ゆらりに何かあったら、父さん、一生泣く」
わたしに何かあったら泣くというのは、誇張でもなんでもなく本当だと思う。父は涙脆い。
夕飯を早めに食べ終えると、テレビを見ているさらりとくるりに、わたしと父で交互に念押しする。
「誰か来ても、絶対に開けちゃダメだからね!」
「火を使うなよ」
「何かあったら、電話して」
「父さん、すぐに走ってくるから。電話よこすんだぞ」
「もぅ、二人とも心配性なんだから。私、中二だよ。大丈夫だって」
さらりが呆れながら言うのに、くるりも賛同する。
「ボクたち、留守番何回もしているし。言わなくてもわかっている!」
「そうなんだけど、最近火事があったから心配で……」
「いいから、早く行って。テレビ、いいとこなんだから邪魔しないで!」
「ごめん」
しっかり者のくるりに怒られて、わたしと父は外に出た。
「ゆらりもさらりもくるりも、しっかり者に育ったなぁ」
「お父さんがぽやってしているから、しっかり者に育ったんだよ」
「それはある」
公園を抜け、大通りに出る。
すると、可愛らしいピンク色の建物の前で、若い女性二人が立ち話をしていた。建物の看板には、『ゆきなダンススタジオ』とある。
ダンスレッスンが終わった生徒が話しているのだろうと思いながら、二人の前を通りすぎようとした。
「あれ? もしかして、ゆらりちゃん?」
「え……」
声をかけられるまで、若い女性が誰かわからなかった。
わたしの名前を呼んだのは──川瀬杏樹。
杏樹も、こんな時間にわたしに会うとは思っていなかったのだろう。驚いた顔をしている。
「すっごい偶然。今からどこかに行くの?」
「あー……ちょっと用事があって……。そういえば、川瀬さん。ダンス習っているんだよね。このスタジオ?」
「うん。小学生から、ずっとここ」
杏樹に挨拶をされた日から、わたしたちは普通に話すようになった。
といっても、水都のことや家族やバイトのことは話さないよう、わたしは注意を払っている。
杏樹は最初、「由良くんと話すようになったんだね」と探りを入れてきた。それに対してわたしが曖昧な返事をすると、それ以上は言ってこなかった。
それ以降、杏樹は水都の話を振ってこない。
杏樹がなぜわたしに話しかけてくるようになったのか、いまだにわからずにいる。
「杏樹の友達?」
杏樹と話していた女性が聞いてきた。彼女に視線を向け──驚きのあまり息を飲んだ。
(水都と腕を組んでいた子じゃ……)
中学生のとき。学校帰りの水都を見かけたことがある。同じ制服を着た女子が、水都の腕に手を絡めていた。
水都は無表情だったけれど、その女子がとても嬉しそうに笑っていたから、彼氏彼女の関係なのだと思った。
けれどそれは誤解だったことが、先月わかった。
「彼女じゃない。全然好きじゃない。佐々木さん、スキンシップが激しいんだ。すっごく迷惑だった」
水都はそう、キッパリと否定した。
間近で見る佐々木さんは、やはり整った綺麗な顔をしている。ヨーロッパ系の血が流れているように見える。
透明感のある白い肌。二重のはっきりとした大きな目。スッとのびた鼻筋。ヘーゼル色の瞳。ダークブラウン色の髪をお団子にしている。
杏樹は愛想のいい声で、わたしたちを引き合わせた。
「そう、同じ学校の友達。クラスは違うんだけどね。鈴木ゆらりちゃんっていうの。可愛い名前だよね。性格も可愛いんだよ。こっちは、佐々木萌華ちゃん。お母さんがイタリア人で、超美人なんだ。羨ましい」
「でも、うるさいけどね」
「確かにー。ずっとしゃべっているよね」
杏樹と佐々木さんは顔を見合わせると、楽しげな笑い声をあげた。
それから、杏樹の視線がわたしの隣に向いた。察した父が、ペコリと頭を下げる。
「ゆらりの父です。娘がお世話になっています」
杏樹も佐々木さんも、わたしの父だとわかっていたのだろう。驚いた顔をすることなく、無言で会釈を返した。
沈黙を破ったのは、杏樹。
「じゃ、また明日、学校で」
「うん。じゃあ……」
わたしたちは手を振り、別れた。佐々木さんもにこやかに手を振った。
美容室に着くまでの間。わたしは頭を悩ませた。
(社交儀礼で友達って言ったのかな? わたしの名前と性格を可愛いだなんて……どういうつもりで言ったんだろう?)
そんなことを考えているうちに、美容室に着いた。店内に入って、驚く。
待合室の椅子に岩橋くんと──そしてなぜか、水都が座っている。
「どうして……」
「ゆらりさん、聞いてよぉー! 水都、ひどいんだ。俺がゆらりさんに変なことするんじゃないかって、疑っていてさ。ひどいだろう⁉」
岩橋くんは嘘泣き顔で近づくと、わたしの肩を叩こうとし……その手を、触れる寸前で止めた。
「後ろの人、誰?」
「お父さんです。心配でついてきてくれたんです」
「あ……」
岩橋くんはわたしの肩を叩こうとした手で頭を搔くと、
「こ、ここ、こんばんは……」
と、吃りながら挨拶をしたのだった。
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