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②①
自分の身体の異変に驚くほど冷静だったのは、既に糸という異変になれてしまっていたからだ。
美香はとりあえずトイレで用を足そうとしたが、痛みはあるのに便はまるっきり出なかった。
その間も美香は膨れた腹を眺めていた。
よく観察するとあちこちに感じる痛みの箇所だけ、まるで息をするかのように膨れては萎み、萎んでは膨らむといった事を繰り返していた。
部分的だから膨らみは小さいものに見えた。
けれど幾ら自分の身体だとはいえは、そんな風な動き方をされるとさすがに気色悪くなった。
美香は便座から起き上がり上半身を鏡に映し出した。
見間違いではなかった。今、確かに自分の身体の腹部のあちこちで異変が起きている。
突起のように膨らんでは萎むのは腹の中に何かがいるからかも知れない。
それが何であれ、良い事ではないくらい馬鹿でめまわかる。
と美香は思った。
沸騰した水のように、その突起は徐々に美香のお腹全体へとその数を増やしていった。
その内、私の腹はこのわけのわからない生物のように動くそれによって突き破られ私は大量の血を噴き出し、内臓を揉みくちゃにされ、下手すると引き出されて死んでしまうのだろう。
「痛くなければいいけど…」
そのような言葉が無意識の内について出た。
この部屋から逃げ出し生き延びる希望は既に美香の中から抜け落ちていた。
誰も助けに来てくれない。会話も出来ないじゃ、
ただ自分の身体に起きている事をまじまじと眺めながら、行く末に怯えるしかなかった。
こうなった原因くらい知りたかったけど、何もかもどうでも良くなった。
想像に過ぎないけど、きっと三越さんも私と同じ目に遭った気がする。
電話口から聞こえた、
「キレキレキレキレキレキレキレキレキレイ」
という言葉は、恐らく私が電話をかけた人達には似たような言葉が聞こえたに違いない。
どんな風に聞こえたのか知りたかったが、誰も尋ねて来なければ知る事すら出来ない。
それがちょっとだけ、悔しかった。
私がこのような目に遭っているのは間違いなく三越さんの肩にあった糸を私が取った事により始まったと考えられる。
どうやってかは知らないが、その糸が私の中に、身体の中に入り込み私を新たな宿主としたのだと思う。
糸はそうやって次から次へと私が遭っている状態へ引き込み、肉体を喰らい尽くすのだ。
だから私が話す言葉は私自身はしっかりとした言葉を話しているつもりでも、聞く側からしてみれば、三越さんからの電話で私が耳にした言葉と同様の物が私の言葉として発せられていたのかも知れない。
そうだとしたら、キモ過ぎだしそんな変な電話には返事なんて出来るわけがない。
後輩に悪いことしたな、と美香は思った。
糸に触れないと宿主にされないのであれば、私は誰の命も奪わなくて済むという事だ。
つまり、唯一、電話に出てくれた後輩の命は無事だという事だ。
美香は少しばかホッとした。もう人は殺したくはない。
身を守る為だったとしても、やはり人の命を軽んじるのは罪深い事だ。
そう思った時、美香は、今、自身が置かれてある境遇に納得がいった気がした。
つまり、私は人を殺した。殺されかけたとしても、それがどんな理由があったにしろ、その罰として私はこのような酷い目に遭っているのかも知れない。
それなら仕方がない。自業自得だった。
「良かった。うん。本当に…そうでないと、そうあらねば、命を軽んじられている数多の人達が報われないものね」
そう考えた美香は今も無数に突起したり、凹んだりしている糸の何かは、直ぐにでも私の腹を突き破って出て来ようとしている。
でもきっとこの生物はこの世界に必要なモノなのだろう。
ここまで考えたら足掻きもがくのが馬鹿らしくなった。
諦めではなく、美香自身、自ら犯した罪の受容だった。
糸が身体に付かないよう横向きで寝ていたが、それも止めた。
仰向けに寝て、腕を垂らした。
それにより糸は美香の身体に付着した。
もう剥がす事は出来ない。
剥がすとしたら、胸や皮膚が千切れ夥しい血が身体から噴き出すだろう。
けれどその必要はない。私は受け入れたのだ。
握られた包丁も糸に絡めら取られ、その用途を放棄している。
「さぁ。出て来なよ。私の腹を食いちぎってその姿を見せてみなよ」
美香が呟くと同時に、連続してインターホンが鳴った。それは絶え間なく繰り返された。
「誰?」
と思ったのと同時に、美香の脳裏に後輩の顔がチラついた。
そして命を放棄した筈の美香に、僅かばかりの希望、否、被害者意識が美香の心を埋め尽くした。
いくら何でも私がこんな目に遭うのは理不尽すぎる!
美香はベッドから降り、玄関へと急いだ。
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