微睡む夢に、愛執の影 Ancient Egypt. At Thebes.【2】

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 夫を奪われた妃が、空に向けて両手を掲げた。  太陽神(アメン)が与える光の恩恵が、等しく大地に降り注ぐ。神の寵児(まなご)と称えられた国王を喪った翌朝だというのに、そんな悲劇など無かったかのように今日も陽は昇り、輝いている。  空に伸ばした妃の手の中で、澄んだ蒼天に溶けゆくように重なるのは青い睡蓮だ。 「この花から生まれたとされる天空神(ホルス)のごとき尊いひと。私のトゥト様に、聖なる花を捧げます」  再生の象徴、睡蓮に、妃は想いを込める。今は見えぬ来世に向け、誓いの言葉を紡ぐ。 「どうぞ安らかに。そして、待っていてください。私があなたの仇を討つ日を」  立ちのぼる高雅な花香に女の情念が絡み、重苦しい妖しさが場に満ちる。  もう既に、王の遺体は祭壇室に運ばれている。かつて、敵国からも美貌を讃えられた少年王は数十日をかけてミイラへと姿を変え、死者の国で冥界神(アヌビス)の審判を受ける。(はなむけ)は、青睡蓮と黄金のマスクだ。  夫の棺に捧げるため、最も美しく開花した花を妻は手ずから掬い上げた。聖花の芳香に満ちた雫が、青い花弁からポタポタと滴り落ちる。  花池の水に濡れて尚、王妃の手指にこびりついた血は落ちない。凶刃に倒れた夫に駆け寄り、抱きしめた時に付いたものだ。
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