小さなお稲荷さんの秘密

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「絶対に秘密よ」 そう言って、おばあちゃんは、人差し指を唇の前に立てた。 いたずらっ子のように、目をキラキラさせて、笑った。  病院の白いベッドの上で、祖母 百合(ゆり)は、孫娘の花純(かすみ)を手招いた。  花純は、誘われるように、おばあちゃんの口元に、耳を寄せた。 「月の無い夜にね、御狐様(おきつねさま)の所に行って、祠の中から、千代紙で作ったお雛様を取り出しておくれ」 おばあちゃんは、真剣な顔で、そう言った。 花純は、秘密を打ち明ける、キラキラしたおばあちゃんに、思わず見とれた。 「取り出して、どうすればいいの? 」 「私に、返して欲しいのよ、頼めるかい? 」 おばあちゃんは、胸の真ん中に、重ねた両手を当てて、大切なものをそこに戻すような仕草をした。  深いしわが、何本も刻まれている、おばあちゃんの顔は、ふわりとやさしく、恋をしている友人の顔と重なった。  その顔を見た途端、花純は、ソレがしなくてはいけない事のように感じた。 「……うん、いいよ」 思わず、そう答えていた。 「ありがとう、花純はイイコだね」 安心したように笑った、おばあちゃんは、花純の頭をそっと撫でた。  おばあちゃんは、花純のお母さんの、お母さん。 お母さんの実家は、北国の大きな農家で、家の敷地の中に、小さなお稲荷さんの祠がある、そのお稲荷さんを家のモノは皆『御狐様(おきつねさま)』と呼んでいる。  桃の老木の下に、小さな祠と、大きな岩、赤い鳥居がある。 この祠は、おばちゃんが赤ちゃんの時に、おばあちゃんが『元気に大きくなるように』と建てられた。 小さな祠の前には、しめ縄がかけられ、毎朝、水と白米が供えられる。  お彼岸や、お盆、正月には、油揚げや、稲荷寿司を備えるときも有る。  毎日のように、おばあちゃんが世話をしてきた『御狐様(おきつねさま)』だ、祠から人形を取り出すなんて、何時だって、出来ただろうに…… どうしてしなかったのだろう。    花純は普段、この町に暮らしているわけでは無い。  伯父さんからの電話で、おばあちゃんの容態が良くないと聞いて、お母さんと二人で、新幹線に飛び乗った。  『危篤だ』と聞かされてきた割には、おばあちゃんは元気そうだったが、お母さんは、長い間、おばあちゃんの手を握って話をしていた。    夕方、お母さんと二人、バスに乗って、伯父さんの家に着いた。    花純は、伯父さんと、伯母さん、いとこたちに、挨拶をすると、いつも使わせてもらっている、離れの部屋に荷物を置いた。  玄関横の、仏間に入り、線香をあげて、手を合わせた。 今、一番新しい仏様は、三年前に亡くなった、おじいちゃんだ。    豪快な人で、大きな声で話をして、良く笑っていた。  大きな麦わら帽子に、日焼けした顔で、笑うときの白い歯が、印象的だった。  食事の間も、大人達は、おばあちゃんの事について、色々と話をしていた。  憂鬱な話題が続き、花純は、深いため息を付いて、部屋から見える、外の景色を眺めた。  やっと出てきた月が、山の稜線にかかる所に、細く光っていた。  花純は、気に成って、スマホで新月が何時(いつ)か調べてみた。 次の新月は二日後だった。  その夜は、お母さんと二人、枕を並べた。 なんだか、とっても、照れ臭かった。 「ねぇ、花純」 お母さんが、そっと花純に呼びかけた。 「なぁに? 」 真っ暗な天井に、花純の息が、ぽっかりと白く上がった。 「おばあちゃんと、何の話をしていたの? 」 『御狐様(おきつねさま)』の事は、『絶対に秘密』だと言われたので、何とか、他の……  「なんでもないよ、好きな男の子は居るの? と聞かれただけ」 花純は、苦肉の策で、そんなウソをついた。 「そう、おばあちゃん、『花純の花嫁姿が見たい』っていつも言っていたものね……」 お母さんが、呟くようにそう言った。 「私、まだ高校生だし」 「そうね、結婚なんてまだまだ先ね、でも、好きな人は居てもいいじゃない?」 「そんなこと言われても…… 」 花純のその言葉に、母がくすくすと笑う。 「私も、おばあちゃんに、何度も、『彼氏は居ないの』って聞かれたわ…… 父さんを連れてきた時は、とってもびっくりしていた。 あんなに、急かせたくせにね……  あぁ、こんな気持ちだったのね」 そう言ったきり、お母さんはもう何も言わなくなった。  花純は、お母さんが泣いている気がして、そちらを振り向くことができなかった。  鼻の奥が、ツンと痛くて、無理矢理に目を瞑って、眠ってしまったフリをした。    次の日の朝は、ありえないほど早い時間に、家の電話が鳴った。 家の中が騒がしくなり、伯父さんとお母さんが、慌てて病院に向った。  花純は、二人分の布団を畳んだ。 伯母さんと、いとこたちと一緒に朝ごはんを食べて、それから、家の掃除を始めた。  昼前に、黒いワゴン車に乗せられたおばあちゃんが帰ってきた。  業者の人が、何員も出入りして、仏間に、新しい布団が敷かれ、そこにおばあちゃんが寝かされた。 「寒い時期なので、大丈夫だと思いますが…… 」 と言いながら、業者の人が、ドライアイスを、おばあちゃんの布団の中に何個も入れた。    お母さんは、泣き崩れていて、自分で歩くのが難しいようだった、伯父さんに抱えられるようにして帰ってきた。  伯父さんは、お母さんをゆっくりと座らせると、自分は、業者の人と、相談を始めた。 「お母さん」 花純が小さく呼びかけりと、お母さんは少し顔をあげた。 花純は、お母さんに寄り添い、その手を握った。 「ごめん、覚悟していたはずなんだけど…… 全然ダメだわ」 そう言う、お母さんの目には、涙があふれて、ポロポロと落ちた。 花純は、ティッシュを箱ごと、お母さんに抱えさせた。 「こんにちは、隣組です」 その元気な声は、勝手口から聞こえた。  その後も、次々に近所の人たちが集まってきた。  近所の女性たちが、白い三角巾と、割烹着を着て、集まって来ると、おばあちゃんに手を合わせ、ゾクゾクと台所に集まった。 あっという間にお台所が、近所のおばさんで、いっぱいになった。  ダイニングテーブルが、庭先に運び出され、代わりにゴザが敷かれた。 呆然とする花純に、いとこの洋平が教えてくれた。  近所の家で不幸があると、村中の女性が集まってきて、家の者に代わって、食事の支度や、葬儀の準備をしてくれるらしい。  葬式が終わるまでの間、家の者は、家事を一切しなくていい代わりに、台所に近づいてもいけないらしい。  近所の家々から、持ち寄られた食材で、葬式に集まって来る、親戚中の食事を賄ってくれる。  葬式の日には、赤くない赤飯が振舞われ『十分に生きた』労をねぎらい、賑やかに見送られる。  おばあちゃんの通夜は、明日。  告別式は明後日に決まった。    昼過ぎに、父と、兄が到着した。 二人とも、台所の様子に驚いていた。 台所の『隣組さん』は、夕食の準備を終わらすと、皆家に帰っていく。  お母さんと、伯父さんは、二人兄妹。 おじさんの家は、奥さん、洋平(ようへい)翔平(しょうへい)哲平(てっぺい)の男の子三人兄弟。 花純の家は、花純と兄 雅也(まさや)の二人兄妹だ。 田舎の家の、親戚は多い。  伯父さんが沢山電話をして、皆に知らせていた、新聞にも、お通夜や、告別式の日時を載せた。  そんな風に、あわただしく一日は終わった。    因みに、この、仏様が家に居る間は、家のお風呂を使ってはいけないらしく、花純たちは、順番に、近くの銭湯に行かなくてはいけなかった。  夜は、線香番という役目があり、新しい仏様の傍らで、眠らずに、線香の火を絶やさないように、焚き続ける。  この夜は、雅也と、いとこの翔平がやってくれることになった。 雅也と、翔平は、同い年で、馬が合うらしく、ここに来るたびに、二人で、駆け回って遊んでいた、仲良しだ。  花純は、銭湯に行った帰り道、チラリと、御狐様(おきつねさま)を確認した。 月の無い、暗い夜なら、懐中電灯が必要だろう。  御狐様はいつもと変わらない様子だったが、おばあちゃんがいつも備えていた器が、伏せられていた。    次の日の夕方から、お通夜が行われた。 『隣組さん』たちも、喪服に着替えて参列してくれた。 お坊さんがやってきて、お経をあげた。 司会は、業者の人が進めてくれた。 順番に焼香をして、焼香が終わった人から帰っていった。  その日も、『隣組さん』が用意された食事を食べて、近くの銭湯に出かけた。  今日は、線香番を、花純と、洋平、哲平の三人ですることになった。 哲平が、コーヒーを入れてくれた、『隣組さん』が用意してくれた、おやつを持ち込んで、線香の煙が途絶えないように、絶えず焚く。  洋平は、おばあちゃんの顔に掛けていた白い布を、そっと取った。 「なんか、ばあちゃん、わらっているみたいだよね」 「本当だな」 哲平も後ろからのぞき込みながら、そう言った。 「花純ちゃんに会えたからかも」 「え? 」 「ねぇ、花純ちゃん、ばあちゃんに何か頼まれた?」 「え? どうして? 」 『絶対に秘密』と言われていたのに、何か、バレるような事を、不用意に言ってしまっただろうか。 「ばあちゃんに『花純ちゃんに、無理なお願いをするから、必要なモノがあったら、なんでも手伝ってあげて欲しい』といわれているんだ」 洋平が、やれやれと言った様子で、そう言った。 「そう、『理由は聞くな』とも言われた、ばあちゃん、どんなおもいつきをしたんだろうな」 哲平の言い方に、洋平も、声を上げて笑った。  二人の声を聞きながら、花純はそわそわとした。 「どうしたの? 」 洋平にそう聞かれて、花純は飛び上がった。 「ごめん…… あの、ちょっとトイレ…… 」 「ん? 」 「そんなの、気にしないで行っておいでよ」 哲平は朗らかに答える。 「うん、ごめん」 花純が立ち上がると、洋平も立ちあがった。 「なに? 洋平ついて行くの? 」 「ついて行かないけど、必要なモノあるんじゃないかと思って」 「は? 」 洋平の言葉に、哲平は、右の眉だけを起用に揚げて、怪訝な顔をした。 「花純ちゃん、無い? 欲しいもの」 洋平は、今度はしっかりと花純を見つめて言った。 「あっ、あの、じゃぁ、懐中電灯が欲しい」 花純は、素直にそう言うと、哲平は又驚いた。 「え? トイレ行くのに? 」 「……だよね」 花純は困って、小さな声で、そう言った。 「懐中電灯ね」 洋平はそう言うと、玄関の、下駄箱の中にある、おおきな懐中電灯を取り出してくれた。 「外に行くの? 」 洋平にそう聞かれて、花純は困る。 「外だけど、ちょっと、そこまで、家の敷地から出ないぐらい近く」 「わかった」 洋平は、自分の来ていたフリースを脱いで、花純に持たせ、玄関で花純を見送てくれた。  花純は、玄関の扉を閉めてから、借りたフリースを着た。 外はとても寒かった。 懐中電灯をつけて、用心深く足元を照らした。  桃の木の下にある、『御狐様』を目指す。 暗い夜中に見る赤い鳥居は、なんとも怖かった。  花純は、鳥居の前で、一度お辞儀をした。 祠の前に置かれた、湯呑と飯器を丁寧に避けてから、手を合わせる、それから祠の扉をゆっくりと開いた。 「なにようじゃ」 突然掛けられた声に驚いて、花純は手をひっこめ小さく叫び声をあげた。  声のした方に振り向くと、そこには、白銀の髪に、頭に生えた三角の大きな耳、九本もある豊な尾、狩衣をきた、釣り目の男性が、光を放ちながらそこに立っていた。 その姿は、何時か、お祖母ちゃんに貰った絵本で見た、九尾の狐に、そっくりだった。 「え? あ? や! 誰? 」 「誰とは、不躾な、勝手に入ってきたのは、そなたの方じゃ」 男の言葉に、両手をギュッと握り合わせた。 確かに、祠を開けるなんて罰当たりな気がした。 「そなた…… 懐かしいにおいがするのぉ、名は何という? 」 男は、鼻をすんすんさせながら言った。 「私…… 花純です」 何故か、名乗らなければいけない気がした。 「そうか、そなたも、花の名だな。 そなたは、百合の血を引くものか? 」 百合は、おばあちゃんの名前だ。 「おばあちゃんを知っているの? 」 花純は、あまりに驚いたので、男に一歩詰め寄った。 「そなたは、百合の孫か……、また、ずいぶんと時が逝ったようだな」 男は、そっと鼻の下に手をやると、真っ暗な夜空を見た。   「貴方は、誰? 」 花純は、もう一度、男に聞いた。 「そうじゃな、真の名前は明かせぬが、そちらは『御狐様』と呼んでおる、それで呼べ」 『御狐様』は、この小さな、お稲荷さんの事だ。 「お化け? 」 「品が無いのう、(あやかし)じゃ」 御狐様はやれやれと、肩を竦めた。 「して、なに用じゃ? 」 御狐様は、首をかしげて聞いた。 「おばあちゃんに、頼まれたの、ここに、自分の一部があるから、取ってきて欲しいって…… 月の無い夜じゃないと駄目だから、新月を待っていたの、そしたら…… 」 その先は、続けられなかった、涙がこみあげてきて、鼻もつまってしまって、かみしめた唇を開いてしまったら、声を上げて泣いてしまいそうだ。 「百合に、何かあったのか」 御狐様は、変わらない様子で、淡々と話した。 「……無くなったの、死んだのよ、おばあちゃん。 どうして、わからないの? 妖でしょ! 冷たくなって、もう二度と、話しのできない、遠い所へ行ってしまったのよ」 堪えていた涙があふれて、息を吸うのも苦しくて、肩を震わせて、はぁはぁと口で息をした。 「百合は、我の為に、ソレに、自分の一部を置いて行ったのだ。 百合の一部は、それからずっと我にあり、それだけで、我らは完成されており、百合自身と切り離されていたからのぉ」  今、御狐様の言った事を、じっと考える。 まるで意味は分からないが、おばあちゃんの言っていた一部は、確かに、御狐様に預けられていたということだろう。 「どうして、一部を置いて行ったの? 」 「我と、百合では、生きる時間がちがいすぎるでの。 ある日、百合がこう言うた「ここに、私の一部を置いておく、だから、二度とここには来ない、明日、私は、祝言をあげる。 親の決めた、顔も知らぬ男だが、家の為に、生きねばならぬ」 それから今まで、花純がここに来るまで、誰も、ココには、来ぬままじゃった」 御狐様は、寂しそうに、遠くを思い出して、鳥居の向こうを見た。 「そんなはずないわ、毎日、毎日、おばあちゃんは、この祠に、小曽納していたもの! 」 「そうか……、そうであったか、こちらと我は切り離されておってのう…… 我は、その百合の一部を抱え、じっと目を閉じておったのじゃ。 我は、神ではなく、妖になった」 「おばあちゃんは、貴方が好きだったの? 」 「さて、わからぬ。 しかし…… 百合は、我の一部であった、我を動かす、我の中心に、百合は居て、我はそれを大事に守っておった。 さて、さて、どうしたものかのう。 そなたが、百合の一部を返せというのなら、返さねばならぬ。 百合の居ないこの世界は、なんとあじけないことか…… 」 暗い夜に向って話された、御狐様の言葉は、とても悲しくて、切なかった。 花純の胸は、ギュッと何かに押しつぶされるようだった。  そして、御狐様の横顔を見ながら、唐突に理解した。 おばあちゃんが、今まで、その一部を、自分で取り戻せなかった理由。 それは、今でも、じりじりと身を焦がすような思いが、有ったからだ。 あまりにも生々しく今も存在している、その恋後ごろを、死を覚悟してやっと、花純に託したのだ。 「行って…… 行ってあげてください。 おばあちゃんは、きっと貴方に、会いたかったのよ…… 」 「……そうじゃのう、そうしよう、百合の魂が、遠くへ行く前に、会いたいものじゃ」 御狐様は、目を細めて笑った。 「……どうすればいいの? どうすれば、貴方は、おばあちゃんに会いに行けるの? 」 「そうじゃのう……、その人形は、姫雛での、殿雛を合わせてくれれば、我も、百合の元にいけるがの…… 殿雛が、何処にあるのか、我にはとんと予想がつかぬでな」 「わかった、何とかする、殿雛をここに持ってくるわ、そうしたら、おばあちゃんと、貴方は会えるのね」 そう言い終わると、花純は一目散に、家に駆け戻った。  家の玄関で、洋平が待っていた。 「花純ちゃん…… 出来た? 」 「まだなの、おばあちゃんが、大切なものをしまっておいた場所しらない? 」 花純の言葉に、洋平が、目を見開いて驚いた。 「花純ちゃん、帰ってきたの? 」 仏間の扉を開けて、哲平が、のぞき込んだ。  顔を出した哲平を、洋平が振り向いて、小さく首を振った。 洋平は、仏間の扉に近づくと、哲平に何かを言ってから、扉を閉めた。 「花純ちゃん、必要なモノはなに? 」 「えっと…… 千代紙で作った、お人形が必要なの、出来れば、お内裏様がいいのだけれど……」 「わかった」 洋平は、そう言うと、仏間に入っていった。 部屋の中で、哲平と、洋平が話している声がした。 少し待っていると、洋平はちりめんの布の張られた、文箱を持ってやってきた。  花純の前に立ち、その箱を開けてくれた。 箱の中を覗くと、押し花のしおりや、キラキラと輝く小さな石ころ、お手玉、鈴、御守…… こまごまとした物の中に、殿雛の人形が入っていた。 「コレ、ばあちゃんの宝物なんだ、箱ごと持って行ってもイイよ」 洋平は、言葉を切って、箱の中をじっと見つめた。 「花純ちゃんは、今、ばあちゃんに頼まれたことをしているの? 」 洋平にじっと見つめられて、花純は、小さく一つだけ頷いた。 「わかった、理由は聞かない。 それも、ばあちゃんとの約束だから」  花純は、箱の中から、銀色の着物を着た、男雛を選んで、しっかりと胸に抱え、箱もふたを閉じて受け取った。  仏間の扉が開いて、哲平が、部屋から出て来た。 手に、おばあちゃんのお気に入りだった、ショールを持っていた。 哲平は、何も言わずに、そのショールを花純に巻き付けた。 「気を付けろよ」 哲平はそれだけを言った、花純は頷いて、洋平と哲平に、深く頭を下げると、もう一度、御狐様に向った。  真っ暗なはずの庭に、ホンワリとホタルの光のような、淡い光が、数個飛び回っていた。  その光は、花純の足元を照らしながら、一緒に御狐様まで案内してくれた。  赤い鳥居の向こうで、祠に寄り添うように生えている、桃の木に、可愛らしい桃色の花が、咲き乱れていた。  御狐様は、大きな岩の上に座って、花純を案内してきた光を、手のひらに乗せて、何かを話しかけていた。  花純は、鳥居をくぐると、千代紙でできた男雛を、御狐様に見せた。 「おばあちゃんが、用意しておいてくれた、今夜、私が困らないように、洋平君や、哲平君にも、何かお願いしていたみたい……。」 「コレ、おばあちゃんの宝物」 そう言って、花純は、箱を開けて見せた。 箱の中を覗き込んだ御狐様は、小さく笑った。  しおりにしてある、押し花を拾い上げると、懐かしそうにそれを見た。 「コレは、いつか百合の髪に飾った、この桃の花だ…… こんなものまで、とってあったのか」 御狐様の声は、静かに、冷たい空気を震えさせた。  その花を、大切に押し花にした、いじましさが、また、花純を泣かせる。 止まらない涙を、グッと拭って、花純は、祠の中から、姫雛を取り出すと、抱えて来た殿雛と、二つを蓋を閉じた箱の上で並べた。 「我は…… 我は、この家に生まれた女の子を守るために、ココに祀られた。 我にとって。百合はとても大切で…… この神通力の全てを、百合に傾けておった。 だが、百合の決意を聞いて、ずっと、ココに閉じこもっておったのじゃ。 百合が、誰かを慈しむ気配を感じながら、目を背け続けた…… 我は……妖に成り下がった」 御狐様は、じっと桃の花を見上げていた。  それは御狐様の懺悔なのだろう。 「許すわ」 花純は、きっぱりと、胸を張った。 「お互いに、慈しみあっていたのでしょ。 私は『許す』 御狐様が、おばあちゃんと一緒に行ってくれるなら。 家の為に生きたおばあちゃんの、最後の我儘だもの。 今度は、私が、我儘を聞いてあげる番だわ。 おばあちゃんを…… 愛しているのでしょ。 おばあちゃんの最初で、最後の恋だったんでしょ。 秘密は守るわ」 「恩に着る」 御狐様はそう言うと、花純の前に立った。 「花純よ、そなたも出会うであろう。 そなたを、自分の身体の一部のように、大切に守り、愛でる者が。 良いか、我は、もうそなたたちを守ることはできぬ、そなたは、自分で見極められるか? 」 「任せて、私、見る目はあるつもりよ、でも、もし、間違っちゃったら、おばあちゃんと一緒に、私の夢を訪ねて頂戴」 花純は、親指を立てて、大丈夫とジェスチャーをして見せた。 「そうか…… 心した」 御狐様が、男雛に指の先で触ると、一層明るく輝いたあと、そこに吸い込まれていった。  祠の横の桃の花が、ひらひらと落ちた。 祠の屋根にも、土にも落ちて、うっすらと光り出した。 花純は、人形を大事に胸に抱えると、祠の扉を閉めて、湯呑と飯器を、元の通りに戻した。 祠に一礼し、鳥居をくぐる。 鳥居の前でも、一礼した。  帰り道は暗かったので、懐中電灯をつけた。 家に帰ると、洋平と哲平が、玄関の前で待っていた。 二人は、寒そうに、腕を組んで震えていた。 「おかえり、出来た?」 「おかえり、花純ちゃん、ご苦労様だったね」 洋平路、哲平が、震えながら、そう言ってくれた。 「ううん、まだ、やることが残っているの」  三人は、仏間に入ると、おばあちゃんの布団を囲んで座った。 「このお人形を、おばあちゃんに、持たせてあげたいの、胸に抱かせてあげたいから、少し手を持ち上げてくれる? 」  洋平は頷いて、すっかり冷たく、重くなってしまったおばあちゃんの手を、わずかに持ち上げた。  花純は、その着物のあわせの中に、紙人形を、そっとしまった。  洋平が、ゆっくりと手を下ろして、人形が落ちないように、おばあちゃんの手をしっかりと押えた。  哲平も、おばあちゃんの手の上に、自分の手を置いた。 「ばあちゃん、ありがとナ。 俺が、兄弟げんかで負けた時は、いつもばあちゃんが慰めてくれたよね」 哲平が、ポツリとそう言った。 「ばあちゃん、いつも、笑顔で居てくれて、ありがとう。 ばあちゃんが、笑っていてくれたから、大概の事は、出来そうな気がしたよ」 洋平も、ポツリとそう言った。  花純も、二人のように、おばあちゃんの手の上に、自分の手を重ねた。 「おばあちゃん、私……(おばあちゃんに、負けない恋をするわ)」  花純の、声に成らなかった言葉は、確かにおばあちゃんい届いたはずだ。 誰かに、頭を撫でられた気がした。 「やべぇ、線香! 線香焚かないと、消えちゃう! 」 哲平がそう言って、慌てて次の線香に火をつけた。  その哲平を泣き笑いしながら、花純は眺めた。  洋平が、コーヒーを温かいものに入れ直してくれた。 洋平と哲平と、花純は、ソレを飲みながら、おばあちゃんの思い出話をして、お菓子を食べた。 小さなころのエピソードに、泣きながら、笑った。  翌日、朝早くからやってきた業者の人が、おばあちゃんを、棺に入れてくれた。  『隣組さん』たちも、元気にやってきて、台所は、たちまち姦しくなった。  葬儀には、通夜よりもたくさんの人が、やってきて、沢山の人が、見送ってくれた。 『隣組さん』が、火葬場で食べれるように、弁当を用意してくれた。 「百合さんに教えてもらった、お稲荷さんを詰めました」と言っていた。  火葬場で、火葬が終わるまで時間がかかるので、隣組さんたちが持たせてくれた、赤くない赤飯が詰まった、稲荷ずしを食べた。  待合室の窓から見える煙突から、細く長い煙が上がっていた。 おばあちゃんと一緒に、殿雛も姫雛も、登って逝ったことだろう。 重い体と、しがらみから抜け出して、やっと軽くなった心で、望む場所に……  花純は、立ち上る煙に、そっと手を合わせた。
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