黒の天使と永劫の余暇

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黒の天使と永劫の余暇

 十五分だけ仮眠しよ……。そう思って机に突っ伏した。そこまでは、覚えている。  どこまでも真っ白な世界。自分の影すら見えないのに、眩しくも暗くもない、不思議な白。  雲の上を歩くように。  夢に似ていて、だけど、確かに違う。不思議な心地。  そんな、知らないはずの感覚を思い出すように歩く。なぜだろう、少し懐かしいだなんて思いながら。 「そこで止まってくれるかい? キミに説明したいことがある」  そして、声。男の子とも女の子ともつかない中音域で、感情の掴みにくい声色の。気づけば私のすぐ横に、大きな演台が一つ、あった。 「本来ならばうちの女神が神託を授けるのだけれど……あいにくの多忙でね」  奥に、一人。始めからそこにいたとでも言わんばかりに、真っ白な空間、真っ白な光を暗く切り取る人影が、身じろぎもなく立っていた。 「代わりにボクが……曰く『黒の天使』ルシェロが、キミの転生を司るよ」  なんでだろう。ずっと、ずっと昔に見たような光景。そして、その人──天使のルシェロはその背に翼を広げてみせた。  逆光に映える、影のような色。黒の、という言葉にふさわしい、暗い色の翼を。  不思議な声だった。知っているのに、知らない言葉のような。だけど、それ以上に。 「転生、って」  気になる単語を声にして、そして、ふと気づく。あぁ、これは思う言葉と声にする言葉が違っているんだ。知らない会話が、なぜだか、分かる。  ずっと前に、生まれる前に私達はきっと、この言葉で話していた。そして、また。  だから、きっと── 「ああ、きっとキミの察する通りさ。前世ではご愁傷さまだったね」  目の前、逆光の向こうで、ルシェロが頷く様子が見えた。  仮眠は十五分どころか永遠になってしまったようで。なるほど、夢にしては変だ、と思っていたのだけれど。 「……それにしても、キミは察しが良い。夢でない証明をする手間が省けて助かるよ」  そしてルシェロも、妙だ、変だとでも言いたいみたいに、声色を少し愉快げな色にする。後光に目が慣れてきたその影みたいな顔が、少し笑っているように見えた。 「えっ、だって疲れて仮眠した時の夢って、もっと、立ってても泥の底って感じだもん」 「……本当にご愁傷さまだったね」  苦笑いしているように見えた。段々と中性的でお人形さんみたいに整った顔が見えてくるけれど、薄く笑みを作っている唇は、多分ちょっと引きつっている。 「まあ、その分……という訳ではないのだけれど。君の転生に、少しばかり特典を加えておいたんだ」  けれど、すぐに元の澄ました雰囲気に戻りながら、ルシェロは続ける。 「記憶はそのまま引き継いだ上で、こちらで用意した、特別な器に転移してもらう」  キミの世界では、馴染み深い再誕だと思うのだけれど。そんな言葉と、天使に似合う柔らかな笑みを浮かべながら。  難しいけれど、なんとなくは、分かる。これが、噂によく聞く異世界転生っぽいということは。とは言え、けれど。 「ごめんね、ずっと忙しかったから私あんまり最近の流行りに詳しくなくって」 「……ああ、本当にご愁傷さまだ。心より思うよ」  結局また、ルシェロの表情を苦いものにさせてしまう。私の前世を本気で悼んでくれているような、そうでもないような。天使らしくない苦笑いを、浮かべて、戻して。 「分からないところがあれば聞いてほしい。話を戻して……キミには、新しい世界で、なりたいキミを探してほしいんだ」 「なりたい私を……探して、って?」 「新しい自分を作れるんだよ。そう言えば伝わるかな。とはいえ、次の世界のことも知らないうちに自分を作ってくれ、と言われてもキミは困るだろう」  黒の、だなんて言っていなかったら、ただの天使にしか思えないような、何か大らかな雰囲気の声と笑みで。  黒い翼のこちら側、中性的で線の細い体のラインだとか、いかにも昔ながらの絵画とかにありそうな、貫頭衣? みたいな名前の服装だとか。段々と馴染んできた目に映る姿は、ただの人よりも上位な何かを思わせる。 「例えば、気になった人を『試せる』機能を開放してある。そこから微調整で済ませられるなら、キミも、ボクも手間が省けると思ってね」  だからか、話のスケールが大きいというか、大雑把というか。やっぱり今話をしている相手は、人より大きな存在なんだ。そう思う。 「とはいえ、転移先の仮の姿として、今のキミをベースとさせてもらっている。もちろん、そのままを選んでもいい」 「えっと、それじゃすぐに過労でまたダメになっちゃったりしない?」 「……遡って、最後の連休明け、出社直後のキミを模しておく。一番元気な時だろう。そこに、いつでも戻ることができるよ」 「出社直後……つまりもう朝のお化粧に時間取られなくて済む……ってこと!?」 「ああ……本当に、なんというか……」  そして、ルシェロが言葉をなくしている所に悪いのだけれど、私は今更、自分の姿が見知ったものであることに気づいた。  本当に出社直後感溢れる、オフィスなレディの制服姿。漠然とだけれど、何となく思い浮かべる異世界の景色に似合わないな、だなんて思う。  ……例えば、何かあっても動きにくそうだなぁ、とか。 「……話を戻そう。ベースはキミを模した、とは言ったけれど」  そしてルシェロが苦笑いを潜めきれないまま続ける。きっと、人より大きな存在として、まだ私のことを悼んでくれている。  ……だけではないように思う。何かもっと人間臭くて、何より、身近な。縁の深い表情に似ている気が。 「念のため、耐久力の関連はかなり高めに調整してある。キミ達に馴染む言葉で言うなら、生命力や防御力だよ。それで」  そして、不穏とともに世界観が見える。剣と魔法が似合う世界。けれど、そんなことよりも。  直立不動で堂々と、少し高いところから私を見下ろす、少し苦い笑み。神だ天使だを抜きにすれば、私は、それを知っている。  言いづらそうな。  そんな、人間らしい表情と間。私はそれを、何度も、何度も、何度も見てきた。聞かされてきた。  こんな私を分かっているから、言い淀むような目線、瞬き。  そして。 「特別なキミに、頼みがあるんだ──」
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