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滅びの宴
旧魔族領の街には運河が整備されて美しい景観を見せていたが、戦争後に踏み荒らされた花壇や打ち倒された樹木、血の跡が残る石畳はそのまま無残な姿を晒していた。
その運河を辿るように蟻群先遣隊が街に侵入している。
街に入植を始めていた人族たちを容赦なく襲い始めた。
悲鳴と助けを求める叫びが市中に蔓延し、あたりには服だけとなったかつては人だった紙の人型が揺れている。
見えない魔物に襲われた一般市民は意味も分からないままにその命を吸い取られていく、 数億匹の蟻群は開け放たれた扉や窓から獲物の匂いを嗅ぎ取り室内に我先に侵入すると無防備な人族を容赦なくその杭で打ち抜いていた。
水路を移動してきた蟻群は同時多発的に街を襲い始めたため、難を逃れようと逃げ惑う市民の退路はことごとく塞がれている。
「魔城だ!魔城に逃げるんだ」
「ひいいいっ、人が干からびていく!呪いだ、魔族の呪いだ!」
魔族を滅ぼし、街を奪い、遺体を埋めた、呪われて当然だ、その思いが恐慌を加速させる、恐怖は伝染し蔓延する。
街に滅びの悲鳴が響き渡る、狂女の金切り声と会わせた交響曲は悪魔垂涎の地獄のコンサート。
カレンが営むパルマン亭にも恐慌は達していた、異世界人の夫ノーマンは祝賀会用に発注を受けたオートブルを会場に配達するため出かけている。
街路を挟んだ運河沿いの道を歩いていた男が突然悲鳴をあげた、開店準備をしていたカレンと娘のアグネスは驚いて駆けつけようとした。
「まって!」
男の様子がおかしい、恐ろしい悲鳴をあげながら痩せて干からびていく。
街路を半分まで渡りかけてカレンはアグネスを抱きかかえて店に戻った、振り返ると男の身体は萎み紙のようにペラペラになってしまっていた。
「ママ、あの人死んじゃったの!?薄くなっちゃったよ」
アグネスも幼いながら事の重大さに気づいている、声が震えている。
店の中に走り込んで扉を閉ざした。
「一体なんなの!?」
ビチャビチャと水路から何かが這い上がってくる、ユラユラと景色が揺れる。
ガシャァアアァッ ガガガッ
運河を奔っていた船が石垣に突っ込み座礁して止まる、操縦室で藻掻く影が見えたが直ぐに窓から消えた。
「!!」
カレンは見た、逆光の影が何かの正体を座礁した船の窓硝子に映し出した。
虫だ、子犬ほどの虫の頭に針が付いている。
「あの針で吸われている!?」
カレンは戦慄した、遠い昔、おとぎ話に聞いた冥界の魔物イザナギアリ、通称吸血蟻。
千年に一度世界を破滅に誘う悪魔の使徒。
良く晴れて乾いた道路に点々と濡れた足跡が付いていく、一体何匹いるのか、街路は直ぐに雨が降ったように濡れて水浸しになった。
キィキキキキキキッ キシャアアアアッ
「いやぁぁあっ」
狂女の金切り声にアグネスが耳を塞いで悲鳴をあげた。
開いていた向かいの家屋に濡れた足跡が伸びていく、直ぐに家人の悲鳴が上がった。
「いけない!」
カレンは開けていた窓をアグネスを抱いたまま閉めてまわる、裏の勝手口の扉を閉めた途端に外で木製の扉を激しく引っ掻く音が聞こえた。
「ひぃ!」
アグネスを抱いたまま後ずさる。
「ノーマン助けて!」
カレンはこんな悲劇をどこかで予期していた、あの虐殺劇を神が、いや魔神が許すはずはない。
あの蟻は人族に魔神が使わした罰の使徒だ、現世の生き物が抗えはしない、たとえ異世界人の勇者であっても、使徒は現世の理の外にある。
ガリガリッ 囓っている、蟻が家を嗤いながら囓っている。
港に停泊した帆船からマップメーカー・スタッグも街の異変を見ていた。
幾筋も街から煙が上がっている、刻々と火の手は広がっている。
「なんてこった、魔城も燃えているじゃないか!」
「ユーリエ!」
短槍を手にデッキを走り降りる。
「スタッグ!何処へ行くつもりだ!?」
角無しだが同じ魔族のボースンがすれ違いざまに声をかけた。
「捜し物さ、直ぐに戻る」
「やめろ!無茶だぞ!」
無茶は承知だった、熱を色として見ることのできるスタッグの目には視界を埋め尽くす蟻群が津波のように押し寄せてきているのが見える。
関わってしまったユーリエを地獄の中に放っておくことは出来ない。
無事かどうかさえ分からないが、なにもしない訳にはいかなかった。
スタッグの角は大きく見栄えがいい、それが人族の中では非常に目立ってしまう、魔族し知れれば何をされるか分からない、危険は承知の上だ。
せめてフードで角を隠していくがクワガタの角は隠れない。
いざとなれば二・三人きり伏せてでもユーリエを探す覚悟だ、人族とはいえユーリエは未来のある子供だ、紙となって干からびるような死に様は間違っている。
痩せすぎた棒のような体躯からは想像できない脚力でスタッグは魔城に向かった。
赤石沢を樹海の麓近くまでシュワルツたちは降りてきていたが、そこから見える魔城を中心とした街に火災が発生しているのが確認できる、煙は幾筋もあがっている。
「遅かったようです!すでに蟻群は街に侵入しています」
「どうするシュワルツさん!?」
「おかしいですねぇ」
「また始まった!なにがおかしいんだ?」
「いえねぇ、私たちを追い越していった獣群、あれはどこへいったのでしょうか?」
「一緒に街にいったんじゃないのか」
「足跡がありません、少なくともヒグマの群れが通ったなら、更地となった跡があるはずです」
「なるほど!って今そんなに重要じゃないだろう!」
「ところでモアさん、木登りは得意ですか?」
「木登り!?・・・・」
引き攣った顔で樹海から伸びた魔笹を見ているシュワルツの顔を見てモアも自身の窮地に気づいた。
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