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すりガラスのはまった戸をすべらせると、熱い湯気が押し寄せた。あとから、ぬれた木と石の匂いが追ってくる。やわらかで優しい匂いだ。お湯に足をつける前から、肩や背中の張りが落ちていく。
「うあー」
たぶん、僕が今まで生きてきた中で、一番深いところから出た声だ。肺の空気をすべて使った声は、岩でできた壁にはね返り長く伸びた。
「ここまで我慢した甲斐があったな」
横では竹宮が両ひじをまっすぐにしてバンザイしてる。
「熱いよね、このお湯」
「小さいころ、十秒しか入れなかった」
「それ、弱すぎじゃない」
「うるせえ」
手のひらでしぶきを飛ばしてくる。
「ま、心残りといえば、おまえのじいちゃんちに寄れなかったことぐらいかな。明日、探しに行くか」
「なんか今は気がぬけて、先のことが考えられないよ」
「先って言っても明日だぞ」
「すんごい未来だよね。明日って。明日のことは、明日考えるよ」
「なんだよ、テキトーなやつだな」
「ここまで来たんだから、どうにでもなるって。どうしてもわからなきゃ、お母さんにでも聞くよ。どうせ、ごめんなさいって電話しなきゃいけないんだし」
「あー、それあったな。嫌なこと思い出させてくれるねえ」
二人して静かに湯につかった。誘拐事件だって騒ぎになってたらどうしよう。行方不明で警察に届けられているのは確実だろう。塾もさぼったし。目じりをつり上げた母親の顔がちらついた。
でも、もうやってしまったんだし、どのくらい怒られるかなんて考えても怒られる量がへるわけじゃない。それに今は電話よりも、もっと緊急なことがある。
「あちー」
湯ぶねから二人して飛び出した。気持ちのよさに、ついついつかりこんでしまったのだ。竹宮の真っ赤な肩が洗い場の隣にしゃがむ。蛇口からどぼどぼと水とお湯を洗面器にためている。
ふふふ。思いつきがおかしくて声に出して笑う。水でいっぱいになった洗面器を持ち上げて、横向きにひっくり返した。
「ふひゃー」
水をあびた背中は、横っ飛びに跳ねていった。
「心臓止まるだろ」
「ごめんごめん。どれだけ冷たいか、自分で試す勇気がなかったんだ」
「あほか、おまえ」
そこから二人は、願いを叶えるための儀式みたいに、ばっしゃんばっしゃん水をかけあった。すっかり冷たくなった体をまた湯ぶねにひたす。皮膚がかゆくなるようなじんじんとしたしびれが、太ももやわき腹や指先に走り、あっという間に額から汗がこぼれた。
「風呂が終わると、けっこう大変だな」
竹宮の声はさっぱりとしていて、ちっとも大変そうじゃない。
そう。ごちゃごちゃあるけど、どうにかなるって。出たとこ勝負だ。威勢のいい自分に、笑みがこみ上げる。
蒸れてかゆみの増した頭を洗う。髪がもつれていちいち指に引っかかる。ああ、邪魔だな。帰ったら髪を切ろう。さっぱりと短く刈ってみるか。
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