春うらら

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新店舗のカフェは ショッピングモールに近いため 平日でもお客さんが多い。 前に勤めていたカフェは会社員でいっぱいになるけれど、ここは主婦層や小さな子供連れで賑わっていた。 今日は お昼すぎまでの勤務だったので、カフェの帰りにショッピングモールに寄ってみる。 いろいろなショップが並び、もう春物が出始めていた。 目に付いたお店に 気まぐれに入ってみたり うろうろしていると、見覚えのある後ろ姿を見かけた。 思わず立ち止まってしまう。 背が高くて 形の良い頭。 見間違えるはずはない。 ……啓介さん? どうして こんなところに? あまりにも驚きすぎて、持っていたカバンを落としてしまう。 落としたカバンから 家の鍵が飛び出して、猫の鈴の チリン という音がした。 その音を聞いて、啓介さんがこちらを振り返る。 「……海未?」 啓介さんも私を見て、同じように 驚いた顔をした。 私は 啓介さんと目が合うと、反射的にそこから走って逃げ出した。 何も考えず、ただひたすら走る。 目が合った啓介さんの顔を頭から追い出そうとするけれど、消えてくれない。 自分でも どうして逃げ出しているのか分からなかった。 「海未!」 啓介さんが追いかけてくる。 彼の長い脚に勝てる訳はなく、呆気なく追い付かれてしまった。 腕を捕まれ 引き寄せられる。 啓介さんは後ろから 私を抱きすくめた。 背の高い身体に覆われて、私は身動きが取れなくなる。 「……走るの早すぎ。」 啓介さんは走ったせいか軽く肩で息をして、耳元で呟く。 ぎゅっと腕に力を入れて 私を強く抱き締める。 「は、はなしてっ……。」 そう訴えても離してはくれない。 啓介さんは無言でそのまま動かなかった。 「人が見てますっ……。」 周りの人達が チラチラと私達を見て通り過ぎる。 私は 恥ずかしくなってそう言った。 「いやだ。」 きっぱり言う。 「離したら逃げるから。」 啓介さんの声が耳元に降ってきた。 啓介さんは周りなど全く気にしていないようだった。 「言っておくが。」 そう前置きをして 啓介さんは 「...茉那とはなんでもない。誤解を受けるような関係じゃない。」 抱きすくめたまま そうはっきり言った。 「この間会った時も、学生時代の友達の結婚式で、久しぶりに茉那に会ったんだ。 もう、これからは会うことはない。」 ほんとに……? 茉那さんとは なんでもないの? ぽつんと啓介さんの腕に私の涙が落ちる。 啓介さんは 私の耳元に顔を寄せて言う。 「海未、帰っておいで。迎えに行く。」 優しいけど……有無を言わさない声だった。 私は 啓介さんの腕をぎゅっと掴んで頷いた。 心の中のモヤモヤがすーっと消えていくのがわかる。 私は ずっとこうして啓介さんに抱きしめて欲しかったのかも知れない。 探しに来て欲しかったのかも知れない...。 啓介さんは何も言わず 涙が止まるまで そのまま私を抱きすくめてくれた。 周りの音も風景もなにもかもが 止まったように感じた。
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