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春のぽかぽか陽気にはまだ少し早くても、桜の花は見頃を迎えつつあるらしい。
ホテルでの仕事を終えた僕は、自転車を漕ぎながら、その辺のお宅に植えられているピンクや白い花びらを横目に見ていた。
お花見か……確かどこかの公園には出店が出たりして、桜祭りと銘打ってしばらく賑やかになるらしい。行った事はないけど。
一人暮らしをして自炊するようになり、食費や光熱費を考えると、自然と外食をする機会は減っている。今は僕が暮らしているアパートに同居人が転がり込んできていて、彼が人一倍食べるから、余計に外食する事はなくなった。
でもそれは不満じゃなく、僕が作った料理をいつもおいしいと食べてくれるから、それが嬉しくて頑張ろうと思える。一緒に食べて、たくさんおかわりしてくれる彼に今日は何を作ろうか。
アパートに帰って、古めかしいちゃぶ台がひとつあるだけのリビングを横切り、石油ストーブに火を入れる。桜が咲いても夜はまだ冷える。キッチンとリビングが一部屋になっているから、暖まるまで時間がかかる。
それから寝室で部屋着に着替えて、キッチンに戻ると、どこからか着信音が聞こえてきた。あ、スマホ寝室に置きっぱなしだ。普段あまり使わずほったらかしの僕のスマホは、日頃の不満をぶつけるかのように鳴っている。誰からかと思えば、早坂だった。
「もしもし」
『やっほ、伊万里。やっとでたな』
早坂は高校からの付き合いで、今でも仲のいい友人だ。僕とは正反対の社交性に富んでいる人。
「さっき帰ってきたんだよ」
『それでスマホ置きっぱだったんだろ?』
お見通しだ。早坂は何故だか僕の事がよくわかる。勘がいいのも早坂の特徴。
寝室には暖房がないのでリビングに戻る。早坂は楽しそうにけらけら笑う。僕は言葉や声に抑揚が出ないから、特に電話で話すと分かりづらいらしい。でも早坂は普通に話してくれる。
『伊万里、次の休みいつ?』
「明日」
『まじか。あのさ伊万里』
早坂の声に耳を澄ましていると、玄関で物音がした。かと思うと、リビングのドアが勢いよく開いて、茶髪で筋肉質なイケメンが笑顔で入ってくる。
「伊万里、花見行こう!」
『花見しようよ……って、圭?』
この茶髪で爽やかな笑顔のイケメンが、同居人の圭。バイトから帰って来たらしい。
「おかえり、圭」
「ただいまっ! って電話してんの珍しいな」
まだ肌寒いっていうのに半袖のTシャツ姿の圭は、乱れたらしい前髪をかきあげる。うっすら汗ばんでるのはなんでだろう。僕の部屋着なんかまだ裏起毛のスウェットなのに。
「早坂だよ。何の話だっけ」
『伊万里ひどいなぁ、忘れちゃうなんて。二人でデートしようって言ってたんじゃんかぁ』
早坂のにやにやした顔が浮かぶ。そんな話じゃなかったと言う前に、早坂の声が漏れ聞こえたらしい圭にスマホを取り上げられた。
「伊万里、早坂なら電話切るぞ」
『おいこら圭! 切るな!』
真顔で圭が言いつつ、通話終了ボタンを押そうとする。僕は「どっちの話もちゃんと聞くから、スマホ返して」と手を伸ばした。
圭のスマホを持っていない方の手が、僕の腰にまわる。普段がさつで馬鹿力の圭にしては優しい手付きだけど、なんで今。
「伊万里、俺の話だけ聞いて」
すぐヤキモチ焼く、圭。イケメンの瞳がキラキラ、少し潤んで僕を見つめてくる。でもこんな時でも表情が変わらないのが僕だから、圭の瞳に写る僕の顔はいつもの通りだ。
瞳をあまくした圭の顔がゆっくり降りてくる。唇が触れる寸前、一瞬の物音と冷たい風が耳に触れた。
「おれの、かわいい伊万里に、なーにしてんの、圭?」
「……早坂」
さすがに驚いた僕の横に、さっきまで電話で話していたはずの早坂がいた。何故か目の前の圭は早坂が持っているクリアファイルに顔面でキスしていた。
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