勘違いメイドはご主人さまの無理難題をかなえたいっ!

1/1
0人が本棚に入れています
本棚に追加
/1ページ

勘違いメイドはご主人さまの無理難題をかなえたいっ!

 ある日、ご主人さまの燈次(とうじ)がこう言った。 「マグロの解体ショーを見たいな」  驚いてリアクションをしたのはメイドのさと。 「今、何て言いました?」  燈次は不思議そうに首をひねる。 「うん。〈マグロの解体ショー〉を」  燈次は、まな板の上でマグロをさばく姿を想像する。 「ええ、〈マグロの描いた衣装〉を見たいのですか」  さとは、魚のマグロが胸びれでペンを持ち、洋服のデザイン画を描く姿を想像する。 「だからマグロの解体ショー(カイタイショウ)だ」 「ええ。マグロの描いた衣装(カイタイショウ)ですね」  燈次は目をぱちくりさせる。 「マグロの解体ショーはダイナミックで見応えがありそうだよな」 「ほええ。マグロの描いた衣装は、ダイナミックな画風なのですか」 「解体作業は包丁さばきが見事に違いない」 「珍しい。包丁で布を切って衣装を作るのですか」 「会話が噛みあってないような……」 「どこがでしょう」 「それは分からんが」 「とにかく。燈次さまのお願い、よく分かりました。私、燈次さまのために探しますね。マグロの描いた衣装!」  燈次はまた首をひねったが、さとは意気揚々と屋敷を出ていった。 「マグロの解体ショー」を「マグロの描いた衣装」と聞き間違えた、おとぼけメイドのさと。  彼女は聞き間違いに一切気づかぬまま行動を進めていく。 「マグロの描いた衣装」とはところで何か。さとは頭を散々ひねって考えた。そして1時間後に答えを導きだした。  マグロの描いた衣装、があるということは。衣装を描いたマグロがいる。  つまり燈次の願いを叶えるには、まず衣装のデザイン画を描けるマグロを見つける必要がある。  さとは鼻歌を歌いながらスキップする。  大好きなご主人さまの役に立てることは、彼女にとって至福の喜びなのだ。  さとの浮きたつ気持ちは、彼女のかかとを何度もピョコピョコ跳ねさせる。  さとはまず、水族館へ行った。広い館内を回ると、マグロの展示スペースが見つかった。  さとはガラス越しにマグロへ話しかける。 「マグロさん、マグロさん。あなたはお絵描きができますか?」  マグロはスイッと前を泳いでいってしまう。さとはその場でじっと待つ。マグロが水槽を一周して戻ってくると、さとはまたマグロに尋ねた。 「私、絵が描けるマグロさんを探しています。お洋服のデザインができるマグロさんです。あなたのお友だちに、そういうお魚さんはいませんか?」  水槽の中のマグロは胸びれをバタバタと振った。さとを振りはらうような仕草だった。  次にさとは、水族館の係員に聞いてみた。 「この水族館に、お絵描きができるマグロさんっていますか」 「え? マグロが絵を描く? どういうことですか」 「お洋服のデザインの絵が描けるマグロさんを探してるんです」  さとはマグロがペンを持って、洋服のデザイン画を描く姿を想像する。しかし係員は目を泳がせるだけで、ピンと来ていない様子だ。 「えっと、あ、マグロの魚拓を展示しているか、というお問い合わせでしょうか」 「マグロさんの身体をスタンプみたいにペタッでするんじゃなくて、マグロさんが、自分でお絵描きをするんです」 「あ。ええと。アシカショーでアシカがお絵描きをするときがあるので、それの話ですかね?」 「アシカさんじゃなくて、マグロさんです」 「魚が絵を描く? 胸びれでペンを持って描くのですか? 水中で? すみません、ちょっとわたくしには理解が……」  係員の背後で水槽のライトアップが消えていく。一定のサイクルでついたり消えたりしているようだが、さとはこの消灯がずっと続くように感じられた。さとはしょんぼりと肩を落とす。 「ありがとうございました。他でも聞いてみます」  さとは丁寧に腰を折った。  続いてさとが向かったのは漁港だ。あまり大きくはないが卸売市場がある。  ところ狭しと並ぶ魚たちを、さとはひとつひとつ、楽しそうに眺めていった。春の午後の日差しがうろこをキラキラと輝かせている。さとはうっとりと目を細めた。 「いけない。私、燈次さまのためにお魚さんを探してました」  先ほどと同じく、さとはマグロを見つけて話しかける。 「マグロさん、あなたはお絵描きがお上手ですか?」  しかしマグロは答えない。まるで死んだ魚のような目をして黙っている。 「こっちのマグロさんは、お洋服のデザインできますか?」  こちらのマグロも死んだ魚のようだ。もっと言えば、死んだ魚そのものだ。  さとは困ったように唇を尖らせる。 「どうしましょう」 「嬢ちゃん、何かお探しかい」  市場の人が話しかけてきた。さとは顔の前で小さくガッツポーズをして質問をする。 「〈マグロの描いた衣装〉を探しています!」 「〈マグロの解体ショー〉? うちではやってないよ」 「衣装デザイン、やってるマグロさんはいないんですか」 「え? 嬢ちゃん、今何て」 「衣装のデザインをしている、お魚の、マグロさん。絵がとっても上手くって、とっても素敵なお洋服をデザインするんです」 「俺ぁ、夜釣りで色んなモンを引っかけてくるが、絵が描けるマグロなんて見たことねー。そんなのいねーんじゃねーか」 「衣装デザインをするマグロさんはいます。だって言ってましたもの、燈次さま。マグロの描いた衣装を見たいって。だから衣装のデザインの絵が描けるマグロさん、本当にいるんです!」  さとが必死に訴えかける。すると――何故か、後ろから叫び声が聞こえた。 「ええっ。どうしてワタシの昔のアカウント名、知ってるの!」  さとが振りかえると、大きな身体をもじもじさせている人がいた。  よく見るとそれは、さとの友だちだった。 「ほえ。高音(たかね)さん、どうしてここに」  高音は顔を赤らめ、自分の口元を押えた。 「おいしくて安い海鮮丼を出す店が近くにあるから……。さとちゃんは」 「〈マグロの描いた衣装〉を探しています」 「マグロ、ね。懐かしい響きだわ」 「ほえ?」 「昔、イラストサイトで衣装のデザイン画をあげてたのよね……。恥ずかしくてやめちゃったけど」 「ええっ」 「そのとき使っていた名前が〈マグロ〉だったわ。初めて食べたお刺身がおいしすぎて、ついアカウント名にしちゃったのよね……」  高音は懐かしむように宙を眺めた。一方のさとは口をあんぐり開けていた。 「高音さんが、衣装デザインができるマグロさん?」 「あれ、そういう話じゃないの?」 「高音さんは実はお魚」 「ごめんなさい、何の話?」  高音はさとの顔を覗きこむ。さとはかかとをグイッと上げ、目をキラキラと輝かせた。 「高音さん、お願いです。衣装のデザインをしてください!」 「ええっ。いきなり?」 「燈次さまが見たいって言ってるんです。〈マグロの描いた衣装〉を!」 「どうしてそんな急に」 「きっと燈次さま、高音さんが昔デザインした衣装を見たことあったんです。それでファンになって、また見たいなって思ったんだと思います」 「そんなことあるかしら……」  そう言いつつも、高音の口角は少し上がっている。ファンという言葉を使われて嬉しくなっているらしい。  高音は小さく咳払いをし、人差し指をピンと立てた。 「でも〈マグロの描いた衣装〉って……。具体的に何を見たいのかしら。衣装ラフ? それとも実際に作った衣装?」 「さあ」  その疑問に正解はない。何故なら「マグロの描いた衣装」は「マグロの解体ショー」を聞き間違えただけなのだから。  だがふたりとも気づく気配は0だ。  そんなとき、潮風が1枚の紙を飛ばしてきた。さとが拾いあげると、それは創作衣装コンテストのチラシだった。  各々が衣装をデザインし、実際に形にする。モデルがその衣装を着て、ステージで披露する。最もよかった服がグランプリ。  さとと高音は、同時にワッと声をあげた。 「燈次さまが言ってたの、きっとこういうことです!」 「〈マグロ〉がデザインした衣装を着た人が、実際に動いているところを見たい。そういう意味だったのね!」 「それが燈次さまの言う、〈マグロの描いた衣装〉ですね」 「でも困ったわ。ワタシ、デザインするのは好きだったけど、縫い物はまったく駄目なの。細かい作業が苦手で」  さとは得意げに胸を反らした。 「私はお裁縫、得意です」 「さとちゃんが作るの?」 「ふたりで素敵な衣装、作りましょうね」  さとの目の前で、海面が日差しを反射して輝いた。その光は、まるで海の中にオーロラが存在しているようだった。  ふたりはさっそく衣装作りに取りかかる。  高音がデザインのラフを描き、それを元にさとが試作品を作る。実際に作ってみると思いどおりの形にならず、デザインの見直しに戻る。その繰りかえし。  でも、その振り子みたいな行き来が楽しかった。これが誰かと一緒に何かを作る喜びなのだとふたりは知った。  長い奮闘の末、ようやく納得のいく衣装ができあがる。  膝下までのワンピースで、色は白。いくつもの大ぶりなフリルが、八の字を描くように折り重なっている。生地はツルツルとした素材で、オーロラのように輝く。実際に漁港で見た美しい海面から着想を得たものだった。  ふたりはすっかりこの衣装にメロメロだった。何時間でも鑑賞していられると思った。  高音はほっと肩の力を抜いて言った。 「コンテストに間に合ってよかったわ」  さとは何をどう解釈していたのか、目をぱちくりさせて尋ねた。 「コンテスト?」 「この服で出るんじゃないの?」 「燈次さまはきっと、この服が動いているところを見たいのかな、って話はしましたけど、コンテストは私考えてなかったです」 「えっ、えっ? でも、エントリーしちゃったわ」 「でもモデルさんいないですよ。あと10分しかないですけど、今から探せますかね。この服にサイズがぴったりな……」  ショーはあと1時間に迫っている。町行く人に片っ端から声をかけるのか。高音はさとにおずおずと尋ねる。 「ねえ、この服、さとちゃんが着るのはどうかしら」 「私っ? 無理です、可愛くないですもん」 「実はワタシこの服、さとちゃんが着てくれたらなって思ってデザインしたの」 「似合いませんよ」 「似合う。デザインを考えたワタシが言うんだから、間違いないわ」  高音は衣装を差しだした。さとはためらいがちに手を伸ばす。軽く触れると大きなフリルが揺れ、生地がオーロラに輝いた。  そしてさとはステージに立った。恥ずかしかったが、衣装を見てもらうためにがんばった。  途中、モデルたちがパフォーマンスを披露するパートがあった。  ダンスや歌など披露する人が多い中、さとは特技の料理を披露した。台にまな板と大きな魚を乗せ、それを丁寧にさばいていく。これは本当の「マグロの解体ショー」である。  さとの特技はインパクト大で、観客たちは熱狂した。  もちろんそれだけではなく、衣装の美しさも評価された。  コンテスト終了後、高音のイラストアカウントはフォロー数が急激に増えた。例の「マグロ」という名前のアカウントである。  こうして、「マグロの描いた衣装」は話題となった。  そして……。 「そんなことがあったんですよ」  屋敷に戻ったさとは、誇らしげに報告した。さとのご主人さまの燈次(とうじ)はうん、うんと深くうなずいて聞いている。 「今着ているのが、そのとき着ていた」 「はい。とっても綺麗なお洋服で、気に入っちゃいました!」  さとはくるくると回ってみせる。フリルがふわふわと揺れ、生地が魅力的な輝きを放つ。燈次は感嘆の息を吐いた。 「本当に綺麗だなあ」 「燈次さまに〈マグロの描いた衣装〉を実際にお見せできてよかったです」 「特技披露の場面の〈マグロの解体ショー〉は汚れなかったか」 「ツルツルした素材なので、洗ったらすっかり落ちました」 「それはよかった。が……」 「何か?」 「いや、あの……」 「ほえ?」 「そのステージ……俺も観客として招いてくれてもよかったのに……」 「恥ずかしいので、それはちょっと」 「あとこれ言っていいのか分からないけど、〈マグロの描いた衣装〉ってそれ、〈マグロの解体ショーの〉聞き間違い……」 「今、何て?」  さとがあまりに純粋な顔で首を傾げるので、燈次は開いた口を一度閉じ、もう一度別の形で言葉を続けた。 「いや、俺のために色々やってくれてありがとう」  聞き間違いについては、何も言えなかった。
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!