喧嘩する程仲が良い【完結】

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喧嘩する程仲が良い【完結】

話は二人が着替えを終え、合流した辺りまで遡る。 いつもとは違う、儀礼用のロイヤルブルーの軍服を身に纏ったヴァルターを見た瞬間レティシアは驚嘆し、危うく怒鳴りつけそうになった。 「お前そんなドスケベな格好で民衆の前に出る気なのか?」と。 滑らかな生地の下に隠された鍛え抜かれた身体を知っているだけに、全てを覆い隠す堅牢な軍服姿が返って厭らしく見える。これが夜にベッドで見せる姿だったら最高のスパイスになるのだが、よりによって今から赴くのはその真逆の場所である。レティシアは大きく舌打ちし、八つ当たりとばかりに魅力的な“夫”に嫌味を投げ付けた。 こんなクソみたいな茶番はさっさと終わらせるに限る。元々レティシアにしては珍しく、今日くらいヴァルターの顔を立ててやろうと思っていたのだ。 普段全く動かしていない表情筋を総動員させ何とか笑顔を取り繕い、行儀の良いまともな人間の仮面を貼り付け群衆に愛想を振り撒いておく。その間にも嫌味なくらい白馬が似合うヴァルターを視姦しては体の芯を熱くさせる。見てるだけで腹の奥が疼くので後半は見ないように何とか己を律しなければならなかった程だ。 そんなレティシアの涙ぐましい努力と裏腹にヴァルターの機嫌はどんどん下降していく。平たく言えば臍を曲げている。 嗚呼、本当に愛い奴。 まるで獲物を狙う猛禽類のようなレティシアの眼差しに残念ながらヴァルターは気付けなかった。 ヴァルターの機嫌は祝賀会の場でも戻らず悪化の一途を辿っていた。そんなヴァルターを肴にしながらレティシアは度数の高いアルコールを水のように喉に流し込む。 「君がそんなにお酒が強かったとは」 「ええ、本当にいい天気で」 「……」 レティシアの集中力もここらが限界だった。 自らが誰と会話しているかも把握せず(尤も把握したとてどうでもいい)挨拶もそこそこに終に獲物(ヴァルター)を狩るためにグラスを置いた。 地を這うよなドン底の気分にヴァルターはもう何度目か分からない舌打ちしてキツく目を閉じた。 ゆっくりと愛を育んだ関係ではない。寧ろ奪うように手に入れた関係なのにこんなことを思うのは間違っている。頭では解ってるはずなのに実際にレティシアを目の当たりにすると、全てを奪い尽くしてもまだ足りないくらいに心が渇いて干からびていく。 だからだろうか、近寄ってきたレティシアが視界に映った瞬間、今まで隠していた本音が零れ落ちた。 「お前、結局俺の事なんてどうでもいいんだろう」 「……何だ突然?」 レティシアへ魔力を供給する仲になり、共に暮らし始め遂には法の下に婚姻まで結んだというのに何故だろうちっとも安心する事が出来ない。寧ろ不安だけが募ってそれが今にも決壊しそうだった。ヴァルターはいい加減疲れたような溜息を零す。 しかしここでレティシアが予想外のカウンターを打ってきた。 「そういうお前こそ、ただ俺の顔が好みなだけだろう」 「……は?」 「一度お前を泥酔させて潰した事がある。その時言ってたじゃないか『一目惚れだった』と」 「ちょっと待て、いつそんなこと」 「例えば俺が二目と見れぬ容貌だったら歯牙にも掛けなかったとつまりそういうことだろう。俺は己の顔の美醜に関してはよく分からんが、こういうオリエンタルな顔が好きな奴は一定数いるからな。別に気にしてない」 「いやだから待て、勝手に話を進めるな」 国王陛下直々に用意した席でまでああでもないこうでもないと言い争いを始めた主役二人を、招かれたゲストが揃って固唾を飲み眺めるという異様な光景。話の内容までは聞こえないが何やらそうとう揉めていることは確かである。まさか結婚祝賀会で離婚の危機か? 「そんなことよりさっきの笑顔は一体何なんだ?俺の前ではあんな顔見せたこともないくせに」 「笑顔くらい何だ。お前が士官学校時代に寝た女、ああ男もいたな。そいつらの名前を一人づつベッドで囁いてやろうか?」 「お前何でそんなことを知って」 「結婚相手の身辺調査くらい当然だろう」 「その受け答えが気に食わない。気になったから調べたくらい言えないのか?」 「自惚れるなよ。俺は潔癖なんだ、お前今後他の女を触った手で俺と寝たら殺すぞ」 あれ、この二人って政略結婚じゃなくてまじで恋愛結婚なのか?二人の声のボリュームが上がるにつれて詳らかになる犬も食わないような夫婦喧嘩の内容に周囲の風向きが変わり始める。その刹那レティシアの手がヴァルターの後頭部を掴み、そのまま覆いかぶさる様にして口付けた。 驚愕に目を見開くヴァルターを無視して僅かに開かれた唇に舌まで入れてやる。レティシアは一種の意趣返しのつもりだった。厳格で実直な王宮騎士が公衆の面前でこんな事しでかすなど前代未聞だ、周囲の評価と共に今いる地位からも転がり落ちろとばかりに舌に歯を立てる。一方で小さな衝撃から立ち直ったヴァルターは寧ろ好都合だとより強くレティシアの腰を引き寄せ、牽制の意味も込め見せつけるように差し込まれた舌を甘く吸った。 夫婦喧嘩をしていたかと思えば突如始まったラブシーン、さて転移魔法を発動したのは果たしてどちらが先だったのか。 湧き起こった風と共に浮遊する空気が歪む。いつの間に現れたのか国王付きの宰相が焦った声を上げた。 「お待ち下さい!!お二人はこの後国王陛下との謁見がーーーーーー………」 言葉は恐らく最後まで届かなかった。 後に残されたのは誰もいなくなったベンチと静まり返った招待客のみ。 「……え?そういえばどっちが抱かれる側なんだ?」 拮抗する二人の力関係を目の当たりにし、無意識に漏れたティムの呟きは予想外に大きくその場に響いた。ティムのこの発言をきっかけに政略結婚議論は瞬く間にタチネコ論争に差し代わり、その後噂好きな貴族や王都の御嬢さん方の間で挙って論議が交わされることとなる。(後日これを耳にしたヴァルターはストレス性の頭痛に苛まれレティシアは笑い過ぎて腹と脚を同時に攣った) こうして国王主催の結婚祝賀会は主役の逃亡という形で幕を閉じた。 翌日の新聞には王城で起きた事の顛末が詳細に書き込まれ、国王陛下即位時の発行部数を抜き歴代一位売り上げを記録した。 余談だが、王立会議の予算問題はレティシアの温情(という名の気まぐれ)により申請して納得出来るだけの理由があればその都度可決するという形で一先ず丸く収まった。しかし第二騎士団の予算のみ、怒り心頭のヴァルターにより申請の余地なく当初の予定通りごっそり削られたのだった。 end.
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