鬼に食われたい願望

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鬼に食われたい願望

 夏休み前最後の講義でも、蓮介に割り当てられた教室には定員に近い数の学生が集まっていた。  歴史学科の中でも選択科目の発展講義で、単位は半期で一しかもらえないうえ、『日本文化史特講Ⅱ』という端正なタイトルはついているが、内容はニッチな『古文書に見る平安貴族と妖』について。  同じ時間帯には必修科目や大人気講義『博物館学』が開講しており、蓮介は当初、閑古鳥が鳴くのを覚悟していた。  今年こそ期待の学生に出会えるかもしれない――。  講義資料をスクリーンに投影しながら、胸を躍らせていた頃もあった。それがいつからだったか、百名近い学生の半数以上の視線を集めているのは、講義内容ではなく自分自身だと自覚するようになった。  二十代の若さで大学准教授という経歴に加え、蓮介の容姿はハッと人目を惹いた。身長は平均より少し高い程度だが、男にしては頭が小さく顔も小作りで、実際より数センチ高く見られる。加えて手足の長いすらりとした体型は、既製品のベージュスーツも難なく着こなした。  講義をする横顔は柔和だが、ほどよく通った鼻筋と長い睫毛、緩く流したセンターパートの黒髪は美男のそれだ。 「古くは、鬼は目に見えないモノ――恐ろしいモノとして扱われていた。鬼の語源も『隠おん』が転じ、『おに』になったと言われている。具体的には、平安時代の人たちは流行り病を鬼のせいだと考えていた。説話の中には何度も鬼が登場するが、基本的にその姿は描かれていない。ところが鎌倉時代に入ると、鬼の存在が目に見える存在に変わってくる。せめて目視できれば、恐ろしくとも打ち勝つ方法がわかるかもしれない。昔の人は、そうして鬼を実体化したと予想されている。この『春日権化記絵巻』や、次のスライドの『不動利益縁起絵巻』は一例だ。もっと例をあげると、鬼の中でもっとも名の知れた酒呑童子しゅてんどうじ――。彼を有名にしたのは江戸時代初期の『御伽草子』だ。この中で彼は、現代人がイメージする鬼、赤い肌と身の毛もよだつ恐ろしい姿で描かれた。しかし、酒呑童子が登場する現存最古の伝本『大江山絵詞』詞書には、眼差し、立ち居振る舞いともに気品溢れる美形と書かれている。さて、みんなはこの変化にどんな背景があったと考える?」  チャイムが鳴り、「今日はここまで」と教室の明かりをつける。  教壇で荷物をまとめていると、女子学生数名が好奇心を隠さずに集まってきた。  講義の質問いくつかと蓮介との雑談を所望された。  鬼を偏愛するあまり人間を好きになれないと言っても、蓮介の場合は博愛主義に近い。誰かを特別好きにならないだけで、分け隔てなく人に接し、優しくすることはできる。むしろ愛想はいい方だ。特に学生には。教授によっては近寄り難い雰囲気のまま我が道を行く人もいるが、歴史を学ぼうと志す学生は歓迎したい。 「倉橋先生もうちの大学だったんですね!」 「今年でここに通って十年だ。先生の中には、ストレートで准教授になった俺みたいなタイプを『外を知らない学生に毛が生えたやつ』だと言う人もいるが……。まさにその通りだから、俺に講義以外の相談はしないように」  そう言うと、学生はくすくす笑った。 「倉橋先生はさっきの、鬼の描かれ方の変化ってどう考えてるんですか?」 「夏休み明けのレポート課題だぞ? 俺の意見を聞く前に、君たちは考えを固めているのか?」 「うーん、まあ、一応?」 「保険をかけた言い方だな……。レポートに俺の意見をそのまま書いたら減点対象だぞ?」 「それはわかってますよー」  苦笑しながらどう答えようか考える。 「『大江山絵詞』は貴族の観賞用に一流絵師が描いたものだ。だから、という説が濃厚だな。ただ俺としては、酒呑童子が恰好よすぎて、頼光ら四天王がぽんこつに見えることを嫌がったんじゃないかと踏んでる」  講義ではとても話せない私見だ。ここだけの話にするよう学生たちに目配せをする。 「先生、お家は陰陽師だって聞きましたけど、そんなに鬼好きでいいんですか?」 「もしかしなくても、律令制度の講義で話題に出たな?」  隠していないが教授も口が軽い。酒の席で少し話題になっただけだというのに。 「良いも何も、俺は目に見えるものしか信じない質だ。家業にもノータッチだしな。それに、間違ってもらっては困る。俺が好きなのは歴史の中の鬼であって、鬼が実在するとは思っていない」 「えっ、先生は視える人だと思ってました」 「まさか。妖の類を見たこともなければ、さっき言った通り信じてもいない」 「じゃあ、もし存在したら?」 「存在したら、家がてんてこ舞いだろうな」  蓮介が鷹揚に笑うと、ちょうど次の授業開始のチャイムが鳴った。慌てる学生と一緒に教室を出る。  もし鬼が存在したら、本当は食われてみたいに決まっている。しかし、そんなことを人には言えない。  中学の頃、クラスで何気なくそう言ったときの同級生の反応は残酷だった。陰陽師の従兄弟――朔久鷹(さくたか)の反応も、今思い返しても申し訳なくなる。  平安時代、陰陽師は科学者であり呪術者だった。官僚として朝廷に仕え、天文観測や天変地異の予測、占いによる土地の選定、厄災や妖を祓う祭祀などで国政を助けた。  陰陽師にとって鬼は調伏する対象だと、それが実績や名誉に繋がると朔久鷹に言われたことがある。朔久鷹は陰陽師の素質があり、見放された蓮介と違って陰陽師としての道を歩んでいた。  素質がなくても鬼に食われたいとは何事かと、鬼よりも誰かを好きになれるよう、人からされて嬉しい、ありがたいと感じた出来事をノートにつけるよう提案してきたのは朔久鷹だ。  しかし、そうまでして人を好きにならなければいけないのか?  いつしか夢に見る鬼のことまで書き綴ってしまい、ノートに蓮介の恋愛感度を高める効果はなかった。  鬼を偏愛してしまうのはどうしてなのか。そう考える時間が増えただけだった。素質がないことへのコンプレックスかと思ったこともあるが、人より頭の回転は速かったおかげで、鬼への興味を学問分野にすり替えれば気持ちは楽になった。  最近出した『鬼伝説』にまつわるエッセイも売れ行き好調で、本家の人間は蓮介に何も言わなくなった。  素質がない時点で期待されてはいなかったが、完全に諦められたのだろう。
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