なんでここに…?

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なんでここに…?

 午前11時。 『11時でーす。オープンしてください』 無線機から聞こえてくる声に、誰ともなく頷いた。  グッズ売り場、サポーターズクラブ窓口、当日チケット販売ブース、キッチンカー、オープンの時間だ。  競技場周辺には、ホームのサポーターさんたちはもちろん、今日の対戦相手のサポーターさんたちも集まり、賑やかになってきた。グッズ売り場には、さきほどから待っていてくれたサポさんたちが早速、思い思いの品を手にしたり、眺めてくれたり……と、広報部の田沢くんがひょこっと顔を出す。 「ジンさん、お客様の列、伸びそうなんですが……手伝いましょか?」 「あー、列の整理、頼みます」 「了解」 田沢くんはサポーターさんたちとの会話も楽しみながら、手際よく仕事をこなしてくれるので、安心して任せられる。  自分も仕事をしていると、顔見知りのサポーターさんが声をかけてきてくれる……あるサポーターさんが言っていたなぁ。 「うちのチームって、運営スタッフさんとサポーターの間の距離が短くて、お話しできるのが楽しいですね」 うん、それはあるかもしれない。  適度な距離というのは大事だけれど、それでも、サポーターさんたちと自分たち運営側の距離が近いというのは、その分、アットホームな雰囲気を作れることもあるし、ダイレクトにサポーター側からの意見をもらえるということにもつながっている。  もともと、地域密着型のスポーツクラブをめざして設立されたことも大きい。こういってはナンだが、このクラブがある街は決して、なにか目玉になるものがあるわけじゃない。  かつては「軍の施設」などもあった場所であり、現在も米軍住宅が存在。また、都内のベッドタウンという意味合いも強いし、平坦な土地も多いので工業団地なども拡がる。現に、この陸上競技場のすぐとなりは工業団地で、大手のカメラメーカーや大規模な物流倉庫などもある。  そんな街に、誕生したクラブのエムブレムは、街の特徴を活かすようなデザインをしていて……  などと考えていたら…… 「グッズの会計をお待ちの方、こちらへの整列をお願いしまーす」 「すみません、これは……」 「あ、在庫、切らしてしまっているんですよー。ごめんなさい!」 オープンと同時に、人の流れも変わってくる。  あれこれと仕事をこなしつつ、周囲に気配りも忘れずに。  ボランティアスタッフさんたちも色々とヘルプに廻ったり、なんだり。 「うわ、これ、もう完売?!しまった、在庫チェック……」 「在庫どこにありますか!」 「ちょっと待ってて。確認してもらうから」 バタバタする。試合開始までの時間が、一番忙しいブースなので、とにかくあちこちから声がかかるのだ。  試合開始まで30分くらいになったころ、ようやくブースの混雑も治まりつつ…… 「ふぃ~……」 ペットボトルのミネラルウォーターをひとくち。おお、喉にしみる。やっぱり、喉が渇いていたのか、自分。  キッチンカーに並ぶ人たちを眺めつつ、水分補給。  その時、視界の端に引っかかったもの……  てんてんてん……と、グッズ売り場の裏側にあたる生垣から、サッカーボールが転がってきて、自分の足元でゆらゆらと止まった。 「なんでこんなところに……」 市販されているサッカーボールだというのは、すぐにわかる。さすがに試合球ではない(もしそうだったら、それはそれで問題になってしまう)。  思わず背伸びして、生垣のむこうを覗いてしまう。ちなみに、生垣の向こうは駐車場だ。  試合観戦にボールを持ってくる子はほとんどいないけれど……もしかしたらという考えも浮かんでくる。だけど、人の気配はない。 「…?」 ボールを拾い上げて、さて、どうしようかと思っていると。 「えっ?!」 無線機からものすごい高音が響く。慌ててボリュームを抑えるが、雑音と高音が自分の耳から脳内を直撃するような感覚だ。 「なんだぁ、今のは!」 「あ、田沢くんもか?」 「ジンさんもですか?びっくりしたぁ……」 ブースの中でグッズを整理していた田沢くんが両耳を抑えている。  無線機を付けているのは、基本、クラブスタッフだ。そのほかには、ボランティアスタッフの中にも、所持している人がいるけれど、たまたま、その時は自分たちの周囲にはボランティアスタッフの姿はなかった。  なにか、ほかの無線と混線したのだろうか?  いや、でもこの競技場周辺で無線機を扱っているのは、自分たちだけだろう。それとも、違法電波か。 「あれ?ジンさん、そのボールは?」 「いや、これ、生垣から転がってきたんだわ」 「は?」 どうやって説明すればいいんだ。まだ何もわかっていないのに。 「なんでここに……?」 一気にやってきた、わけのわからない状態に、どうしていいのかわからないまま、仕事のことも一瞬、忘れてしまい、手にしたサッカーボールを見ていると…… 「それ、ぼくのボール」
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