3.選択

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「同じ……?」  同じなわけがない。この人は萌よりずっと恵まれた人だ。多分……妹と同じような位置にいた人。愛されて好かれて笑ってきた人。  だからこの人にはわからない。  今、萌の胸にある粘ついた黒い感情を。 ──萌は本当に愛想はないわ、要領は悪いわ。姉妹とはとても思えないわね。日葵を見習いなさいよ。本当にどっちが姉だか。  日常的に降って来る少し笑みを含んだ母の声。  仕方ないことだとは思っていた。妹の日葵は萌よりも母に似て見目麗しかったし、父に似て活発な性格をしていた。  萌だけが……両親のどちらとも似ていなかった。  自分の遺伝子を濃く感じれば感じるほど、親の愛情は深くなるなんて話を聞いたことがある。それを萌の両親は見事に実証してくれていたといえる。  だから……愛されないことは仕方ないことだったと思う。  萌が、家族の誰も連れていけないことを悩めなかったことも……仕方なかったのだと、思う。 「たとえ血縁者を受け入れてくれると聞いても、私は家族を連れて行かない」  言い放つとふっと彼が目を見張った。  ざわり、と桜が大きく枝を揺らす。花弁が彼の髪を撫でるようにして行き過ぎた。 「家族なんて見てくれだけのものだと私は思っているから」 「……そっか」  静かに頷いてから、彼はふうっと息を吐く。  真っ黒すぎるものに触れてさしもの彼の顔も歪んだろうか。けれど予想に反し、彼の顔にはさざ波一つ立っていなかった。 「俺の家はさ、母子家庭なんだよ」  柔らかな花弁のような声で彼が言う。ふっと彼のほうを窺うと、彼の目の中をすうっと花影が過って落ちていくのが見えた。 「母さんは女手ひとつで俺を育てて大学までやってくれた。なによりも俺を優先して生きてくれた。でも俺は母さんを連れていけない。優先、できない」  正直ね、と言ってこちらを見た彼の目がゆらり、と揺れて見えた。 「君のIDを奪って母さんにあてがえるならそうしたいくらい、俺にとって母さんは大事な人なんだけどね、この国にとっては母さんの命はそうじゃないらしい。本当になにもかもが狂っているよね」  ざわり、ざわり、と激しく桜が揺れる。ほのかな朱を抱いた白がからかうように一瞬空を舞い、地面へと伏す。  舞い踊る花弁の陰から声が聴こえた。 ──ちょっと! 姉ちゃんになにしてんのよ! ──姉ちゃんも姉ちゃんだよ! こんな奴らにひどいことされてるなら、もっと早く私に言えばいいのに! こんな奴ら、私が蹴散らしてやるんだから!  声と共に脳裏に浮かんだのは……萌が通っていた高校よりも数段レベルが下の女子高の制服を着た日葵と……萌と同じ制服を着た同級生たち。  負けず嫌いでどんなことにも手を抜かない萌は、学校で鼻つまみ者だった。萌を疎んじる同級生は多く、財布から金をとられるだとか、意味なく小突かれるだとかは日常茶飯事だった。  けれど萌にとっての日常を目にした日葵は烈火のごとく怒り狂い、萌を小突き回した同級生を宣言通りに蹴散らした。  日葵は……強かった。同じ遺伝子を持つ姉妹とは思えぬほど腕っぷしが強くて、萌を取り囲んでいた同級生は誰も日葵に敵わなかった。 ──よかった、お姉ちゃん。  そう言って日葵は唇が切れた顔で笑ったけれど、その笑顔は萌の中にまたも劣等感を植え付けただけだった。  だけの、はずだった。  間もなく地球は終わる。その今、自分が選ばれ、自分をみじめにさせる妹は生き残ることができない。  それを喜ばしいと思っていいはずだった。  なのに。 「星加さん?」  声にはっと我に返る。学がこちらを覗き込んでくる。わずかに眉を寄せた彼に萌は、なに、とぶっきらぼうに言う。言葉を受け、学はますます眉を険しくした。 「泣いてるから」 「……は?」  声が裏返る。痛まし気に目を細めた学の指がつと、伸ばされる。頬に触れられて萌も学の言葉の意味がわかった。  彼の言う通り、萌は泣いていた。  なんで、と思った。泣く理由なんてなかった。なにも、ないはずだった。  自分はあの家族を憎んでいたのだから。  誰も連れていかずにすむことだって、せいせいすると思っていたのだから。  思っていたのに。なのに。 「千川くん、私のID、あげる」
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