第四章

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その先のことをちょっとだけ語ろうと思う。 まずはじめに、慎二さんと副会長はすっかり学園公認のカップルになった。俺は相変わらず食堂をはじめとする人の多いところには近寄らないようにしているので実際2人でいるところを目にすることはないが、噂で聞くところによるとあっちでイチャイチャこっちでイチャイチャしているらしい。最早バカップルと言っても良いかもしれない。 そんな2人は副会長親衛隊にも付き合っていることを報告したそうだ。これも聞いた話だが、勿論親衛隊は黙って認めたわけではなく、むしろ阿鼻叫喚の騒ぎになった。副会長は彼を崇め奉る勢いで心酔しているらしい隊長以下幹部達に教室まで押しかけられて直訴やら泣き落としやらをされ、一方慎二さんは下駄箱に大量の不幸の手紙を入れられるという何だか良く分からない嫌がらせをされた。 果ては隊員内でもどちらかというと武闘派の生徒達に一対一の果たし合いまで申し込まれる騒ぎになったが、慎二さん曰く「全部返り討ちにしてやったよ!」とのことだ。休日ファッションの時のやんちゃな兄ちゃんイメージは伊達ではなかったらしい。 そんな騒ぎになっていた間、勿論小島も荒れた。夜な夜な酒と愚痴に付き合わされ、やや睡眠不足になったのは俺の記憶にも新しい。 ひたすらループする話を右耳から左耳に聞き流しつつも上手く相づちをうつスキルを身につけたことと、時々煙草を所望されるため一時的に部屋での喫煙が解禁になったことが良かったと言えば良かったことだろうか。もっとも適当な相づちスキルは二度と使い道がないような気がするけれども。 そんな荒れ果てやさぐれた小島だったが、一連の騒ぎがおさまる頃にはすっかり毒気が抜けるかのように落ち着いていた。それどころか、ちゃっかり新しい恋を見つけたらしい。ちなみにお相手は副会長親衛隊に所属している1つ上の先輩らしく、小島は悲しみを分かち合ううちに好きになっちゃって云々かんぬんなどと言いながら頬を染めていたが、まあ幸せそうで何よりではある。 さて、そして俺と先輩はと言えば、 「あ、やばい角取られる?」 「取りますよ」 「あー待って待って今のなし、やっぱりこっち」 「またですか、男らしくないですよ」 「うーん、でもなあ」 とこんな風に、わりと今まで通りの日常を送っている。 つまり生徒会の仕事が終わった後に俺が先輩の部屋を訪ね、他愛もない話をしたり将棋を指したり、ホラーではない映画を見てみたり、俺が勉強するかたわらで先輩が読書にいそしんでいたり、そういう日常のことだ。 紆余曲折を経て(と言っても大したアレではないかもしれないが)最終的に、まあその、付き合うというかそんなような感じになったわけだけれども、特に大きな変化は今のところはないような気がする。 変わったことと言えば、先輩が未だに待ったを繰り返しながらも着々と将棋の腕を上げつつあることくらいだが、 「あ、王手」 「うーん、じゃあこっちで……」 「なあ」 「はい?」 「俺が宏樹に勝ったらさあ」 「はい」 「名前で呼んでほしいんだけど」 そういうことを求められるくらいには、やっぱり俺達の関係も変化しつつあるのかもしれない。 それから、俺がこんなことを言えるくらいには。 「別にそれくらいなら今すぐでもいいですけど」 「えっ、いいの?」 将棋盤から顔を上げ、先輩がぱちりと一つまばたきをする。 「いいですよ」 「じゃあ、ええと名前で呼んでください」 「何で敬語なんですか、周防さん」 「……何で名字なんですか」 「すいません、冗談です。も、……」 つい笑って、それから改めて名前を呼ぼうとして、俺の舌はそこでぴたりと止まった。俺を見つめ小さく首を傾げてみせる先輩の目から逃れるように、やや視線を逸らす。 「宏樹?」 「いや、あの、ええと」 「え、呼んでくれないの?」 「いや呼びます、呼びますけど、何ていうかこう改めて待たれると恥ずかしいというか」 「恥ずかしくないよ」 「いや……」 「呼んでほしいなあ」 しみじみと言われたその言葉に、思わずごくんと唾を飲み込んだ。最初はそれくらい別にと思ったのが信じられないほど、名前を呼ぶというそれだけのことがものすごく難しいことのように思える。 が、こういうことには勢いが大事だということは既に学んでいるので、心の中で3回練習をしてから深呼吸を1つ。 「もっ、元哉、さん」 「…………」 「……何か言ってください」 初めて名前で呼んだこととどもってしまったことと、二重の恥ずかしさで顔から火が出そうな気がする。が、そんな思いまでして呼んだ名前に反応がないことについ呻くと、真面目な顔でじっと俺を見ていた先輩はゆるゆると顔を緩ませた。 「ごめん、なんか感動してた」 「そうですか……それは良かったです……」 「ありがとう」 「いやこちらこそ……」 やばい、照れる。 ごまかすために盤面に目を落とすと、先輩の長い指がぱちんと音を立て銀を動かした。また王手だが、特に問題はなさそうなので王を横に動かして避ける。 「じゃあ言い直す。俺が勝ったらまた泊まってってよ」 「え、それも別にいいですけど」 「……意味分かってる?」 「……えっ」 顔を上げると、先輩はいつの間にか真面目な表情で俺を見ていた。思わず見つめ返しながら考える。泊まることの意味、ということは。 「それは、つまりその、そ、そういうことをするという……?」 「そういうことです」 「それはあの……」 「ん?」 「……何ていうか俺、あの、物理的に無理があるんじゃないかと、思ってるんですけど……」 「物理的には十分可能だよ」 いや、確かに先人が多数いる以上それはそうなんだろうけれども。 「でもまあ確かにそんなすぐ急にってのは無理だろうけど。だからいきなりそういうことじゃなくて、何て言うかちょっといちゃいちゃしたりしたいというか」 「いっ……!」 「というかちょっと触りたいというか」 「さわ……!?」 触る? 俺に? というか一体どこに? いやどこというか、触る場所の問題ではなくその行為自体の問題なわけだが。 そりゃあまあ俺だって、そういうことを全く考えたことがないわけでは勿論ない。人並みにむらむらすることもあるし、そういう時に隠し持っている雑誌を開く代わりに先輩のことを考えてしまうことも、正直ある。 だがそれはあくまで想像上での話であって実際にそういうことをするとなるとまた別の話で、 と固まっていたら、先輩は小さく首を傾げた。 「え、やだ?」 「いっ、嫌というわけではない、ですけど」 「けど?」 「あっ、あの、でもそっそういうことは段階を踏んで……」 言いながら、自分でも面倒くさいやつだなと思った。が、面倒くさかろうが何だろうが、いきなりあれやこれや色々なことをされたりでもしたら心臓が持つ気がしない。 だがおそらくそれくらいのことは予想されていたのだろう。そうだな、とあっさり頷いた先輩は言った。 「分かった。じゃあ俺が勝てたらキスしてもいい?」 引き下げられたハードルはそれでも俺にとってはまだ少し高いが、 「そ、ま、まあ、そうですね」 客観的に見れば順当と言えなくもない。だから頷けば、先輩は盤面と俺を交互に見てから念を押した。 「男に二言はないな?」 「ない、です」 「じゃあ王手」 「えっ?」 音高く打たれた桂馬に、思わず自分の目を疑う。着々と腕を上げているどころの騒ぎじゃない、これはちょっと良い手すぎる。 というか完全に詰んでいる。 「……マジで?」 「俺の勝ち?」 「ですね……うわあ、こんな手があったとは」 やっぱり頭がいい人は上達が早いんだろうか。まさかこんなに早く負けてしまうとは、とつい素直に感服してその前の会話の流れを一瞬すっかり忘れてしまった俺に、それを思い出させる次の一手が投下された。嬉しそうに笑った先輩が、俺の手を取り引き寄せたのだ。 「っ、うわ」 抵抗する間もなく、気がつけば俺の体は将棋盤を乗り越え先輩の腕の中にダイブしていた。抱きしめられてる、そう気付いた途端かっと顔が熱くなって、俺の足元でぐちゃっとなった駒にもほとんど気が回らなかった。 「キスしていい?」 「えっ、あ」 先輩の指は、熱くなった俺の顔とほとんど同じ温度をしていた。顎をすくわれ視線を上げる。俺を見下ろして先輩はかすかに目を細め、愛おしそうに、と言ってしまっていいのだろうか、とにかく柔らかくかつ甘ったるい雰囲気を撒き散らしながら微笑んだ。 その笑顔につい見とれてしまったのは、先輩がイケメンだからなのか、それともやっぱり俺が先輩のことを好きだからなのか。 ますます体温が上昇していくのを感じながら小さく頷いた俺は、そのまま吸い寄せられるように目を閉じたのだった。 -完-
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