殺意反射

1/2
3人が本棚に入れています
本棚に追加
/2ページ

殺意反射

c910100b-4966-40a8-a795-0ad856885843  鏡、ガラス。反射物に映る自分を見て、何度その(ぶつ)を割ったか、枚数を数えるとキリがない。  頭の天辺から足の先まで、すべてがあの男と瓜ふたつ。まるでドッペルゲンガーだ。あの男は彼自身の手ですでに殺し(それが彼の初めての殺しだ)もうこの世には存在しない。だが様々な反射を通して映る自身を見るたび、あの男が目の前に化けてでてきたようで、腹の底から憎悪がわき上がり、まるで憑かれたように、自らの手が血にまみれるのも構わず、素手で、反射物を割り砕いた。何度も何度も何度も、拳を打ちつけて。  極めつけは、この名前だ。(はざ)()(とう)()。あの男は、(はざ)()(とう)()。書く漢字こそ違うが、読み方はまるきり一緒だ。あんな男を愛していた母親、といっても内縁の妻だったらしいが。が、狂ってつけたのか、もしくは男がそのいかれた神経ゆえにつけたのか、名付け親双方がすでにいない今、真相は永遠にわからない。  人にものを教える時、口先よりまっさきに手がでる。そんな男だった。だから母親という存在を、彼は知らずに生きてきた。  小学、中学、と歳を重ねるたびに、身長は男と合わせるかのように同じように伸びていき、体つきも、同じ格好をすれば、後ろ姿ならまず見分けはつかないほどに、あの男とそっくりそのままになっていった。  あんな、腕力、荒っぽいことでしか秀でたところのない男と、中身まで一緒になりたくはない。だから彼は必死に勉強をした。体ではなく頭を使う、あの男と正反対の生き方を、と考えて。  だが男は彼に、自分と同じ生き方を強制しようとした。  暴行、恐喝。男好みの若い女がいれば、まず彼に襲うよう命じ、自らの欲望が存分に満たされるまで、彼に見張りをさせて何人もの女を執拗に陵辱し続けた。気に入らない男がいれば、千円単位だろうが何十万だろうが、金額に関係なく金を奪い、ついでのように、その男の周囲に、いくつもの血の海をつくり続けた。  少しでも彼に反発の意志を感じとれば、血反吐吐くまで殴り倒され、意識が遠のくまで首を絞められた。冬吾、と忌々しい名前を呼ばれ、お前は俺と同じ人間なんだから、俺と同じように生きていくしかないんだと、彼を洗脳しようとした。俺はお前とは違う! そう大声をあげたくても、喉を潰さんばかりに絞めつけられ、意思表示すら叶わない。  彼は、行動にでた。男に掴みかかり、最初の拳が男の体をよろめかせる。彼の決死の反抗を、男が素直に黙殺するわけがなかった。すべて、覚悟の上だ。  そこからは父と子ではもうなくなり、ただ男と男同士の、殴り合い、殴り殺し合いだ。少しでも力を、気を抜けば、どちらかがどちらかに殺される。  殴られる回数も倒される頻度も彼の方が多かった。互いが互いに馬乗りになり、入れ替わり立ち替わり、互いを殴り合い続けた。頭からも口内からも、手の甲にも出血し、どちらのものかもわからない血にまみれ、彼はただ男への殺意のみで意識を保ちながら、拳をふるい続けた。  体格差と年齢差。年齢差の方にかげりが見え始めた。つまりは、男の方が疲れを見せ始めた。 「デカくなったなあ、冬吾」  急に声色を父親然としたものに変え、彼を混乱させる。とっくに忘れかけていた子ども心へ傾く自分自身を、男への殺意で奮い立たせる。それが隙になり、男が彼の胸ぐらを掴み、引き寄せた。 「その名を呼ぶんじゃねえ。汚らわしい」  彼も負けじと、男の胸ぐらを掴み返した。 「殺したきゃあ殺せ。だが、忘れるな」  男の大きな、もう片の手が、彼の頬を、首を、肩を、腕を、腰を、ゆっくりと、撫でまわす。体中の鳥肌に根負けし、男の体を突き飛ばした。遠ざかったふたりの距離を、男がすぐに詰めてきた。床に全身を叩きつけられる。男に、押し倒されていた。  形勢逆転、殺されるのか。だが男の拳が飛んでくる気配はない。 「お前の体の中には、俺の血が、色濃く流れている。その(ツラ)も、この肉体も、俺、そのものだ」  再び、全身を舐めるように、撫でまわされる。 「だからお前は俺を絶対、忘れられない。たとえ俺が死んでも、お前はこの俺から、一生、逃げられない」  彼は叫んだ。頭突きで男を昏倒させ、倒れた男の、その自分とそっくりな顔に、拳をふるうだけではなく、足でも幾度となく蹴りをいれた。仕舞いには台所から包丁を持ち出してきて、男の顔の表面の皮膚を、ズタズタに引き裂いた。  とどめに男の心臓へ、包丁の刃の部分が男の体内に呑み込まれるまで、力の限り、突き立てた。
/2ページ

最初のコメントを投稿しよう!