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期待していた言葉
ああ、心臓が口から出てしまいそうだ。
いや、胸を破り出てくるかも知れない、それほどに激しく強く、どくどくと心臓が打つ。
ずいぶんと偉そうなことを言ってしまった、でも後悔はしていない。
久紫さんが困っていたもの。
一緒に小走りになっていた久紫さんは、黙って僕に手を引かれていた。
小走りが段々本気走りになってきて、懸命に走っている僕の少し後ろで、久紫さんは余裕で走っているのが分かる。
このくらい離れたら大丈夫だろう、走るのをやめて足を止めると、激しい息切れ。
走ってきたのと、由汰加さんにあんなことを言ってしまったのとで、呼吸がひどく乱れている。
「あ、久紫さん…… ごめんなさい」
切れ切れとした息をしながら、後悔はしていないけれど、出しゃばった真似だったろうと思い謝った。
「謝ることなんてないよ」
「でも…… 」
「すごく嬉しかった」
「…… 本当? 」
すごい、不様だったと思うのに。
どもっていたし、スムーズに言葉にできていたか定かじゃない。
嬉しかったと久紫さんに言われて、僕だってすごく嬉しかった。
まだ心臓がバクバクしているけれど、出しゃばってよかったと、そう思った。
「この大学に来て、本当に後悔なんかしてないんだ、俺」
微笑みながら久紫さんが話す。
「だって、依杜に出逢えたから」
「………………… 」
グッと、喉の奥が詰まる感じがして、涙が込み上げてくる。
そんな嬉しいこと、そんなときめくこと…… もう一回言ってほしい。
── 運命の出逢いは何度までならありですか
訊いてみようかな。
僕は、久紫さんの運命の出逢いになれたのかな?
由汰加さんとの運命の出逢いを、上書きできたりするのかな?
由汰加さんにあんなことを言ってしまって、かなり興奮した。それでも少し落ち着いてきて、久紫さんと二人で構内を歩いた。
ずいぶんと風は冷たくなってきたけれど、晴れた日は陽射しが暖かい。
「久紫さん…… 」
「ん? 」
「運命の出逢いって、何度までありだと思う? 」
勇気を出して訊いた。
運命の人は二人いるって話しだって、聞いたことがあるし。
なんて答えるだろう、また胸がドクドクとしてくる。
「ずいぶん、ロマンチストなんだな、依杜」
ふっと、笑いながら言われてしまったから、少し恥ずかしくなってしまって顔を赤らめてしまう。
やっぱり訊かない方がよかったかなって、もやっとすると、
「何度でもありだろう」
って言う。
何度でも?
思いもかけない答えに、ちょっと意表を突かれた。
「運命の出会いって、生涯のパートナーになるような人との出会いって思ってない? 依杜」
「うん、まぁ…… そうじゃないの? 」
いや待って、そうだとしたら、久紫さんにとって由汰加さんが生涯のパートナーになってしまうじゃないか、絶対に違う、そうじゃない。
ひとりそんなことを思い、眉をギュッと寄せた。
「俺は、自分を大きく変えてくれた人との出会いが、運命の出会いだって思ってる」
「大きく変えてくれた人? 」
「…… そういう意味で、由汰加は運命の出会いだった。そんな話しは聞きたくないかもしれないけど」
正直、胸がちくりとしたし、気持ちも落ちてしまいそうになったけれど、いつになくたくさん話す久紫さんにささやかな驚きを感じながらも、僕は耳を傾けた。
「聞きたく…… なくないよ」
子どもみたいな言い方しちゃったよ。
「聞きたくないなんて、そんなことない。話して」
ちゃんと言い直した。恥ずかしかったもの。
「由汰加は、俺がずっとひた隠しにしてきた、男が好きだという気持ちを、恥じることないって、普通のことだって、俺も男が好きだしって、明るく笑ったんだ。結構、衝撃だった」
「…………… 」
ノーテンキな笑顔が思い出されて、なぜだか涙が込み上げてきた。
胸はジリジリとするけれど。
由汰加さんの話しは、とても妬けてしまうけれど。
今、久紫さんとこうしていられるのだって、由汰加さんがいたからかもしれないって思うと、さっきあんなことを言ってしまって、ほんの少し申し訳なかった気持ちになる。
ほんの少しね。
「感謝はしてる。結果、恋人としては最悪だったけど、人間としては見習うところもたくさんある奴」
浮気だったのか心変わりだったのかは分からない、その時にきちんと話しをしなかったから、いつまでもずるずると気持ちを引きずってしまったと、話しをしなかったことにひどく後悔しているような久紫さん。
「それに、『出会い』と『出逢い』は違うと思う」
「え? 」
頭の中は、はてなマークがいっぱい。
音的には『であい』と『であい』で一緒。
久紫さんが僕の手を取り、
「『会』と『逢』」
僕の手のひらに指で漢字を書いてくれたけど、くすぐったくて、もぞもぞした。
「勝手な私見だけど」
真剣な顔を見せる。
「由汰加との出会いは『会』の方の出会いだから」
って、僕をじっと見つめる。
「生涯のパートナーとの出逢いは、『逢』の方…… 私見だけど」
『会』と『逢』の文字を空書きしながら、表情を全く変えずに私見だと繰り返した。
僕は、そんな久紫さんをじっと見つめた。
もしかして、
── 依杜は俺の運命の出逢いの人
なんて、言ってくれるんじゃないかって、ちょっと期待しちゃったんだ。
でも、
「依杜の笑った顔が、俺、たまらなく好きなんだ」
不意にそんなことを言われる。
期待していた言葉ではなかった。
でもそれよりも嬉しくて、すごく嬉しくて、そして照れてしまって、
「やだなぁー」
って、照れ笑いをしながら、久紫さんを軽く手で押してしまう。
すると本当に嬉しそうな顔で僕を見つめるから、(ん? )ってなった。
「俺にも土屋くんに見せるみたいな顔、見せてくれた」
…… それがどんな顔だったのか自分では分からなくて、だから心の中で
「依杜の笑った顔が好き」
って、もう一回言って、なんて思って、また顔を赤くして頭を掻いた僕。
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