28 犬の正体

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28 犬の正体

 学園長の屋敷の場所を父親に教えてもらい辿り着いたのは、辺鄙な、もとい静かで良い立地にある屋敷だった。辛うじて王都の中にはあるが、用事がなければわざわざ立ち寄る場所ではなく、むしろこんな場所があったのかと初めて知ったくらいだった。  病院に行ったメラニーの代わりに同行した侍女と侯爵家の騎士は、目の前にあるこじんまりとした屋敷を前に呆然としていた。 (確かに言いたい事は分かるわ。でも我慢よ、二人とも) 「ここで待っていて頂戴」 「我々も中に付いて行きます!」 「ここはノルン大公のお屋敷なのよ。滅多な事はないから大丈夫」  屋敷というには些か小さな家は、地方の領主や、なんなら商家の方がもっと大きな屋敷を建てている。家だけを見れば正直大公が住んでいるとは到底思えなかった。  門の前に立つと、待ち構えていたかのように玄関から老人が出て来る。ゆっくりとした足取りにしばらく待っていると、なんとか抱っこ出来ていた中型になってしまった犬は物凄い勢いで吠え始めた。 「止めなさい! こら、ご近所迷惑だから……」  そう言いながらもご近所がいない事に気づき、それならまあいいかと思いながら暴れる犬に負けてしまい、とうとう下ろしてしまった。犬はするりと門の格子の隙間を抜け、中に入って行ってしまう。玄関からはそう長い距離ではないのに、ようやく到着した老人はギィィという音を立てながら門を開いてくれた。背中が曲がり、血色の悪い老人は執事のような格好をしているが、執事の仕事をこなせるとは到底思えない程に弱りきっていた。 「あの、メリベル・アークトゥラスと申します。学園長にお会いしたく参りました」  すると老人はコクリと頷き返事の代わりに身を横に引いた。招かれたと分かり門を通ると、玄関前の小さな庭にはこれでもかという程の花々で溢れていた。主にあるのは薔薇。しかも一色ではなく目を奪われるような美しい色とりどりの薔薇が咲き誇っていた。 「ワンッ!」  犬は勝手に玄関の中に入っており、メリベルを催促しているのか、まるでこの家の主かのように堂々をこちらを見てきている。後ろにいる無口な老人に犬を指して頭を下げた。 「すみません、勝手に入らせてしまって。学園長にもお詫び致します」  しかし老人は返事をする訳でも、犬が入り込んだ事を気にする様子でもなく、庭の手入れをし始めてしまった。 「お邪魔します……」  恐る恐る玄関の中に入ると、中は灯りが付いておらず薄暗い。犬は左にある階段を駆け上がり、更に上から吠えている。さすがに他の使用人には怒られてしまうだろうと、犬を捕まえるべく階段を駆け上がった。 「勝手に上がらないの! 学園長に叱られてしまうわよ!」  しかし犬はどんどん進んでいってしまう。仕方なく後を追うと、犬はするりと扉の開いている部屋へと入っていった。 「誰かいらっしゃいますか?」  恐る恐る部屋を覗くと、中には学園長がパタリと本を閉じた所だった。 「遅かったじゃないか」  犬を入れた事や勝手に家に入った事を怒るでもなく、学園長はまるで約束をしていたかのようにそう言うと、まじまじと犬を見た。そして何故か吹き出した。 「まさか、本当に? フッ、フフッ」  口元を手で押さえているが声は漏れ出ている。何がそんなにおかしいというのか。 「ヴァウ!」  犬の一喝のような声に学園長は口元をぐっと抑え込むと、もう笑うのは止めたようだった。 「すまんすまん。随分とまあ懐かしいというか、可愛らしいというか」  学園長はこの部屋にメリベル達が入室してからというもの、ずっと犬に向けて喋っている。メリベルは異様な光景に我慢の限界がきて、とうとう学園長まで距離を詰めた。 「あの、勝手に入ってしまってすみません! このワンちゃんは学園長の飼い犬ですか?」 「いいや、違うよ」 「え? でもご存知なんですよね?」 「まあ知っていると言えば知っているかな。だからもっと早く来ると思ったんだけれど、まさか君の所に行っていたとはね」  面白いものでも見るように学園長の視線は相変わらず犬を見つめたまま。何が何だか分からずにメリベルはまた声を張った。 「学園の温室が消えていたんです! 園芸室も先生の部屋には通じていなくて、急にこの子が現れたかと思えば先生が消えてしまって、この子は魔素に触れても平気みたいだし一体何がどうなっているのか」  自分でも支離滅裂だと分かっている。でも何をどう説明したらいいのか全く分からず、いつの間にか目にはじんわりを涙が溜まってしまっていた。 「温室とイーライの部屋に続く階段が消えたのはごく当たり前の事さ。ただ単にその魔術をイーライが維持出来なくなった、という事だからね。昨晩、魔術塔の地下でボヤ騒ぎがあったんだ。幸いにも魔術で消し止められたようだけれど、最後の利用者はイーライだったようだよ」 「火事に巻き込まれたんですか?    先生は無事だったんですか!?」 「君は本当にイーライを慕ってくれているようだね。私も嬉しい限りだよ」 「学園長! そんな事よりも先生は今どこにいるんです?」  すると、学園長はもう我慢出来ないと言わんばかりの表情で犬を指差した。犬は緑色の瞳を逸し、明後日の方向を向いている。 「ワンちゃんがどうしたんです?」 「訳あって、イーライは魔力が枯渇するとこの姿になるんだよ。前に一度この姿で会った事があると聞いていたけれど、覚えていないのかい?」 「……もっと大きな姿では会った事があると思いますけど、でも先生が犬だなんて思いもしなくて……」 「正確には犬ではなく銀色狼だね。もう絶滅危惧種だよ」  立っていられなくてヨロヨロと狭い部屋の壁に手を着く。そしてもう一度、犬もとい銀色狼を見た。最初に会った時も思い切り触れた気がする。そして今日も思い切り抱き着いていた。  そう、抱き着いていた。 「……い、いやーーッ!」  メリベルは絶叫すると部屋を飛び出した。 「その姿だからって何か妙な事をしたんじゃないだろうね」  学園長は不貞腐れたようにうつ伏せになったイーライを指で突付いた。噛む真似をするよう口を開けてはフンと鼻を鳴らした。  メイベルは階段を一気に駆け下り、そして玄関から飛び出した。侍女と騎士が何事かと駆け寄ってくる。しかし庭にいた老人は二人の入室を拒むように前に立った。 「ご老人、すまないが通してもらうぞ。お嬢様どうなさいました……」  騎士が老人を過ぎようとした瞬間、細い腕がぐっと騎士の腕を掴んだ。騎士は振り解こうにも全く動けず、老人よりも大きな体を何度も動かした。 「いい加減に離せ!」  腕を横に大きく振った瞬間、老人の体を通り抜け真っ二つになってしまう。侍女は気が動転したのか“人殺しーーッ!”と叫んでいた。  しかし老人がいた場所に何故か体はなく、その代わりに土がこんもりとあった。 「あぁ、やはりもう駄目だったか」  玄関から出てきた学園長は残念そうにそう言うと、こんもりとある土を両手で掬い、薔薇が咲き誇る庭に移していく。何度かそれを繰り返すと、薔薇は心なしか色鮮やかになったように見えた。 「これもイーライの土魔術でね、この家を守ってくれていたんだ。でもイーライがああなってしまってはもう時間の問題だったからね。今までどうもありがとう」  土をひと撫でしてそう言った。 「先生の魔術が枯渇するなんて考えられません。先生はずっと温室と部屋への道を繋ぎながら、花壇にも保護魔術を掛けていて、その上学園長のお家も守っていたんですよね? そんな人が一体どうして……」 「どうしてなんだい?」  学園長は後ろを振り返って言った。いつの間にか先生が降りて来ている。陽の光を浴びた銀色の毛並みはキラキラと輝いていた。 「話せなくても少しくらいは使えるんだろう?」  すると先生は器用に前足を動かした。ズズッと花壇から土が動いてきたかと思うと、地面に“うばわれた”と書かれた。 「奪われた!? 誰にです!」  しかしそれ以上土が動く事はない。学園長は深い溜息を吐いた。 「顔は見たのかい?」  先生の首は振られただけ。するとあからさまにもう一度溜息を落とした。 「それでも本当に大魔術師なのかな。情けないよ」 「が、学園長、何もそこまで仰られなくても」  先生は落ち込んだようにシュンとなり、姿も相まってかとても可哀想に見えてしまう。手を伸ばしかけた所で、メリベルはあれはただの銀色狼ではなく、先生なのだと自分に言い聞かせた。
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