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──『嫌い』『嫌だ』『苦しい』『気持ち悪い』の言葉が味蕾を擦る時のなんと苦いことか。珈琲の苦味とはまた違う、舌の芯から痺れて言葉を続けられなくなるような不快な苦味。そう、例えるなら毒が近しい。聞いたひとも、紡いだひとをも腐らせる猛毒だ。 たとえ後で取り繕うように美辞麗句を並べたとて、心からの言葉でない限り一度芯まで腐ったものは取り除けない。負の種は根を張り、心の表面にやがて芽を出し、花をつける。毒の花は見目こそ麗しく人々を魅了するが、その実こころには何の益ももたらさない。それどころか触れたもの全てを膿ませていき、倦ませていく。 「──」 俺は珈琲を飲みながら手に持ったスマートフォンに視線を落とす。情報の海の中で器用に泳ぐひとや、もがくひと。浮き輪をつけて漂うひとも居る。陸から手を差し伸べるひとも居る。舌に乗ることのない言葉は指先によって、ずっと遠くの誰かの元へと届く。風が運ぶよりも速く、確かに。 味蕾に感じる苦味が無いぶん、言葉はいとも容易く見知らぬ誰かのこころへと入り込む。連絡手段としてならば親しい誰かのこころへも入り込む。いわゆる「面と向かってだと言えないこともスマートフォンを介してなら言える」の典型的な答えだろう。それが届けられる相手にとって益、害問わず口にしてしまう──もとい、指先ひとつで届けることは簡単だ。 ただ。出来るのならば、叶うのならば。 負の言葉が味蕾を擦る不快感を忘れたくはない。心を腐らせる毒は自分のなかに留めておきたい。誰かに矛先を向けるような、歪んだ価値観は持ちたくはない。 どれだけ時が経とうとも、 『舌に馴染む美味しい言葉』を届けていきたいのだ。 俺はスマートフォンを机に置き、大きく伸びをした。 と、同時。 大きな腹の音がひとりの部屋に響き渡る。 「それにしても、すっげえ腹減ったぁ……!!」 時計を見ればとうに昼の時間は超えていた。 『美味しい言葉』を届けるには『美味しい時間』を過ごしてから。腹が減っては戦は出来ぬ。 明日の誰かへ『美味しい言葉』を届けるために、今日を笑って乗り越えよう。 さぁ、今日のごはんは何にしようか。
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