隣のビルのメシ友

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隣のビルのメシ友

ブブッ。 ポケットに入った携帯のバイブの、僅かな振動音が耳に届く。 携帯の振動と音を認識すると、私は壁に掛けられた時計を目にした。 時刻は“11時17分“を示している。 お昼休みまであと僅か。 今日は電話番の当番では無いので、通常通り、12時には休憩に入れる。 私は視線をデスクに戻し、回りを確認する。 向かい合わせに並んだデスクの正面と両隣は、タイミングの良い事に誰も居ない。 それを確認すると、私はポケットに入れた携帯をデスク下にそっと出す。 視線をデスク下にやると、携帯の画面にはメッセージアプリの通知が届いている。 『遠野』と名前があり、『Taberna (タベルナ)集合』と書かれている。 タベルナは、会社を出て裏路地に入るとある飲食店だ。 タベルナは、イタリア語で大衆食堂・居酒屋という意味らしい。 飲食店なのに『タベルナ』とはこれ如何に。 お店の名前を知った時、最初に思ったのはこの感想だ。 タベルナは10名程しか入らない小さな店で、イタリア語なのにも関わらず、オーナーの気まぐれでその日のメニューが設定される。 そのメニューは洋食だけに留まらず、和食や、日によっては中華やエスニック料理が出る時まである、風変わりな店だ。 店主に店名の由来を尋ねた事があるが、これは単なるダジャレ好きが偶然イタリア語の『タベルナ』を知って、悪ふざけでつけたらしい。 私は『了解』と、メッセージアプリのスタンプを使って返信すると、携帯をポケットに戻す。 今日は久々に『遠野』さんに会う。 私、遠山美鳥(とおやまみどり)が勤めている会社の隣のビルが勤務地の男性だ。 遠野 周(とおのあまね)さんとの出会いは、タベルナで隣席した時の事だ。 タベルナの店内は、カウンター席6名とテーブル席4名しか入れない。 その日、テーブル席は既に使用されており、カウンター席も1番奥の席に1人座っていた。 1人で店に訪れた私は、オーナーの言われるままに、席を詰めてカウンター席の真ん中に座った。 そしてその後に来店したのが遠野さんだった。 隣の席に座ったからと言って、初めて会った者同士だ。会話がある訳でもない。 お互いに自分の携帯を見ながら過ごす。 『お待たせ』 SNSをボンヤリ眺めていた私は、オーナーの声に顔を上げる。 カウンターの向こうから、注文したランチが差し出される。 そのランチを受け取ろうと私が手を伸ばしたその時、隣から腕が伸びてきた。 驚いて私は隣を見た。 そこにはスリーピースのジャケットを脱いで、携帯から目を離さないまま手を伸ばす大柄の男性がいた。 『周、お前はまだ。ステイ。』 『あ?...犬扱いするな。...っと言うか、申し訳ない、間違えました。』 男性はオーナーの言葉に対して言い返した後、すぐにコチラに謝罪してくれた。 『いえ、大丈夫です。お急ぎならお先にどうぞ?』 注文したのがランチメニューだったので、同じ注文をしたのではないかと思った。だからもし急いでいるなら順番を譲っても良いかと思い、そう言った。 『大丈夫ですよ。コイツ偏食なんで、別メニューなんです。』 『偏食言うな。食べれない訳では無い。どうせ営業先の付き合いで嫌いな物を食べさせられるんだから、昼くらい好きなもん食べたいだけだ。』 どうやら友人同士らしい。 会話が軽快に進む。 『すみません、お気遣い頂きまして。お気になさらずに召し上がって下さい』 男性はそう言うと、オーナーからランチのトレイを奪い、私の目の前に置いた。 『...では、失礼して、お先にいただきます』 遠野さんとはそんな出会いだった。 ◇◇◇◇◇◇ 遠野 周さん。 私より2歳年上の、27歳。隣のビルにお勤めの男性。 タベルナのオーナーの友人で、会社で昼食が取れる時はタベルナに行くようにしているらしい。 身長182センチ。体重を聞いた事はないが、細身ではなく、身に着けているスーツを形よく見せる身体は鍛えられているのだろうと思う。 偏食で、野菜が苦手。 とくにクセの強い野菜はダメらしい。 あと魚もあまり好んでは食べないらしい。 とにかく肉が好きだと豪語していた。 158センチの、あと少しで160センチに足りない私は、遠野さんが隣りに立つと見上げるようになる。 出会って半年程。 しかも遠野さんは、普段は忙しく、タベルナに来店出来るのも月に3、4回程度。 一緒に何回か、タベルナで食事をしただけなので、知っている事はこれくらいだった。 そんな私と遠野さん。 何故時間を合わせてランチを取るようになったかと言うと、これも彼の偏食が事の発端だ。 『偏食、偏食と言うが、大体みんなそんなモンじゃないのか?』 2回目にタベルナで会った時に、遠野さんは少し不貞腐れながらそう言った。 その日のランチは、ベトナム料理のフォーと生春巻きだった。 上に乗ったパクチーを、遠野さんは嫌そうな顔で見る。 人が今から食べる食事を、いかにも嫌そうに見ないで欲しいものだ。 『...まぁ、そうかもしれませんね。...私も...苦手な物はありますし。』 『遠山さんが苦手な物...か。...この前も思ったが、食べ方綺麗だし、何でも美味しそうに食べそう。』 『...食いしん坊キャラですか、私は!』 思わず笑いながらそう言うと、遠野さんも笑った。 『...よし。遠山さんの苦手なのを、俺が見抜く。答えは正解する迄言うなよ?』 それから待ち合わせて食事をする様になったのだった。
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