プロローグ 皇女が悪女になった日

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プロローグ 皇女が悪女になった日

「こちらあなたのために特別に淹れたのよ」 「あ、ありがとうございます……」  軽くウェーブのかかったふわふわとした金色の髪、クリクリとしたピンク色の瞳、誰もが守りたくなる可愛らしい顔立ち。  教会より神託を受けし聖女エテルアオ。  テシアはエテルアオの前に紅茶のカップを置いた。  テシアの兄である第一皇子と婚約まで後一歩と言ったところで、もう一押しすれば義理の姉になるかもしれない。  しかしテシアとエテルアオの間には穏やかな空気はなく、少しピリついたような雰囲気がある。  2人は同い年なはずなのにエテルアオはやや怯えたような視線をテシアに向けた。 「どうぞ」 「は、はい」  テシアに促されてエテルアオは紅茶に口をつけた。  喉を流れていく紅茶。  紅茶そのものとは違う熱さを喉が感じて、エテルアオはカップを落とした。  床に落ちたカップが割れて大きな音を立てる。 「ごめんなさいね。でも恨まないでほしいの」 「どうかなさいましたか!」  カップが割れた音を聞きつけて警備をしていた兵士が駆けつける。  エテルアオは床に座り込んで苦しそうに息をしている。  そんなエテルアオをテシアは感情が読み取ることのできない目で見つめていた。 「これも神のお導き。必要なことなの」 「何事だ!」  そこに第一皇子が現れた。  計算通りだと思いながらもテシアはゆっくりと振り向いた。 「エテルアオ!」  まるでテシアのことなど見えていないかのように第一皇子はテシアを押し退けてエテルアオの元に駆けつけた。 「テシア、彼女に一体何をした!」 「……必要なことです」 「なんだと? これが必要なことだというのか!」  叱責されることは予想していた。  分かっていたのだし傷つかないと思い込もうとしていたがそれでも心がズキリと痛んでしまう。 「テシアを捕らえろ!」 「し、しかし……」  第一皇子に命令された兵士は動揺してテシアと第一皇子を見る。  皇族の命令ではあるがテシアも皇族。  本当に捕らえていいものなのか兵士は板挟みになっている。 「構わん! 俺の権限で許可する!」 「大丈夫。大人しく連行されます」  まるでダンスのお誘いでも受けるようにテシアは手を差し出して、兵士は思わずそれに応じて手を取った。 「何を……!」 「逃げも隠れもいたしません。無理に捕らえることはないでしょう」  皇女テシアによる聖女エテルアオの毒殺未遂事件の話は瞬く間に広まった。  人々はなぜテシアがエテルアオを毒殺しようとしたのか様々な推測をした。  女性皇族として自分の立場を脅かされることを嫌っただの、家族仲が良かったので第一皇子に近づく聖女が気に食わなかっただのと根拠もない噂で溢れかえった。  配慮のために牢屋ではなく部屋の中で監禁となったテシアは取り調べに対してエテルアオに出した紅茶に毒を混ぜたことを認めた。  しかしなぜそのようなことをしたのか、決して語ることはない。 「……ようやく全てが終わりました」  取り調べを担当する第二皇子以外はほとんど立ち入ることを許されない部屋でテシアはベッドに体を投げ出していた。  長かったとテシアは思った。  第一皇子は快方に向かうエテルアオに正式に婚約を申し入れたと耳にした。  死にかけたエテルアオを見てようやく大切な人だったと気がついたのだ。  仮の婚約関係だったものがようやく真実の愛に変わったのである。 「……我が兄ながら難儀な人。だから私がやらねばならなかった」  肩の荷が降りたような解放感がある。 「これから……どうしましょうか」  仮とはいえ一応皇族の婚約者を毒殺しかけたのだ、その罪は軽くない。  しかしテシアはそのことを心配しているのではなかった。 「自由になったら、何をしましょうか……」  さらにその先のことを考えていた。  もしも皇女という立場でなくなって自由に生きることができるのだとしたら何をして生きていこうかと考えた。 「旅をしたい」  グルグルと頭の中で考えていたことが口を出た。  皇女という立場はなんでも出来るような気がするけれど、実際皇女という立場で出来ることが出来るにすぎない。  制限も多く、気にしなきゃならないことも沢山あるのだ。  自由にどこか行くなんてことはできない。  どこかに行くのにも理由がいる。  例えば視察とかちゃんとした理由をつけて、ちゃんとした護衛をつけねばならないのである。  だから自由になったら世界を旅してみたいと思った。  見たことないもの、知らないもの、聞いたことないものを自分で実際に確かめるのだ。 「旅をして……良いところを見つけて……そのうち良い男性と出会って……」  ささやかでいい。  自由に楽しい人生を送りたい。  神のお告げに従って、これまで頑張ってきたのだ。  幸せになる権利ぐらいあるはずだとテシアは考えながらそっと目をつぶって眠り始めた。
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