甘い石榴と蛇の舌

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「…波美、波美、大丈夫!」 「波美、怪我してないか?」 母とパパが、全速力で、駆けて来た、 -ゼィゼィ-と、肩を震わす荒い息づかいが、私まではっきり聞こえる、 2人とも、大切な娘の安否を気に介け、心配で駆けつけてくれた、 同じ地区、近い町内という事もあり、 救急車両、警察車両が、到着する前に、来てくれた、 「…波美」 母は私を、息が苦しくなるほど、強くを抱きしめる、 「…」 パパは、娘の無事に安堵したのか、私の顔を見つめ、 -うん、うん-と、何度も頷いていた、 被害にあった、ブロック塀の住人たち、 隣近所の人たち、 登校前の学生たち、通勤途中の人たち… 事故のあった場所に、人集りが出来る、 私は、 道端に、ぼぉーっと立ち、追突した軽トラックを眺めていた、 たった今、起きたばかり… 一瞬の出来事なのに、白日夢のように、実感がない… 通勤途中の人たち、近所の住民の騒がしさが、水の中のように、くぐもって消えて行く… 間近の母、パパの声さえも… 雨で、濡れ光るアスファルト、 小さな赤い滴が、絵筆を振ったように、ばらばらっと、幾つもの散っている、 事故を起こした軽トラックが、ブロック塀に、潰れかぶさっている、 前輪のタイヤ痕、 引き摺られた血痕が、太い赤色の帯を描いていた、 轢かれたタイヤに絡まり、 何度も、潰された体… タイヤに張り付いた、毛の塊と肉片、 潰れひき裂かれた、無残な死骸、 それは、生き物の姿を留めていない、 体から、吐き出された剥き出しの内臓、 -どろっ-と溢れる、どす黒い血の溜まり… 飛び出しそうに、見開いた目玉が、きらきら光る、 瞳の緑色の採光は、まだ濁ってもいない、 潰され、ひん曲がった口から垂れる長い舌、 この世に、悔いを残すように、鋭い牙を剥き、それは生々しく横たわっていた、 その、薄暗い灰色に、焦げ茶色の斑点模様の毛は、まだ、温かく柔らかそうだ、 それは、 この住宅街で、 そして、わが家の庭で、 よく見かけた、あの野良猫だった、 憎い奴だった、 危ない野良猫だった、 あんな、無惨な姿に変わり果て… たった一つの命が、無くなり、消えていった…
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