甘い石榴と蛇の舌

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娘の波美は、 居間のソファで、クッションに頭をのせ、蹲るように横になっていた、 「…波美、大丈夫かい?」 枕元で、小さく声をかける、 「…パパ、大丈夫だよ」 さっきよりは、少しは、落ち着いた様子で、娘は、顔を横に向け、私に微笑む、 「…はい、はい、それでは、宜しくお願い致します、失礼致します」 妻が、受話器を置く、 「…先生は、ちゃんと理解してくれたかい?」 私は、妻に顔を向ける、 「うん、最初、事故に巻き込まれたって話したでしょ?先生もびっくりしたらしくて、あわあわして…」 「それから、簡単に、事故の経緯を説明したのね、先生も、幾らかホッとしたみたい」 妻は、キッチンに向かって、歩きながら、 「波美の事、かなり心配してたわ、今日は土曜だから、午後にいらっしゃるそうよ」 「そうか…」 私は、娘の頭を優しく撫でつける、 「波美、ほんと危なかったなぁ…」 「危機一髪、ほんの一瞬違いで、大事故に、巻き込まれたんだからなぁ…」 娘の瞳を見つめ、絵本を読み聞かせるように、静かに話し掛ける、 「心配かけて、ごめんなさい…」 娘は、言葉を返し、 それから小さな欠伸をした、 -もう、大丈夫そうだな- 私は、事故が、娘にもたらす精神的ダメージを心配していたが、 今の、娘の小さな欠伸に、私の心が少しだけ救われた、 妻が、パパイヤジュースの入ったゴブレットを、トレイに乗せ運んで来た、 居間のテーブルに、小ぶりのゴブレットが、3つ置かれる、 「…波美、さっきより、顔色もよいみたいね」 「…どう、胃の調子?ジュース飲める?胃に優しいパパイヤだけど」 ソファで横になる、娘の足元に、妻は腰を下ろす、 「…お母さん、ありがとう」 娘は、ゆっくり身体を起こし、妻に抱きつく、 「ほんと、怖かったね?」 妻が、娘の背中を何度も擦ってやる、 -ひっくひっく…- 小さな嗚咽が、抱かれた妻の胸辺りから洩れだす、 嗚咽は、大きくなり、泣き声に、変わった、 -うっうっ…う、うえーん!- 娘は、泣いた、大きな声で泣いた、 胸に、つっかえていた何かを、吐き出すように… ベランダの大きな窓、 そよぐようにレースのカーテンが揺れる、 入り込む風にのって、聞こえてくる〈ピッピちゃん〉の鈴のような鳴き声、 いつもの、平穏な時間に、戻っていく… 「そうそう、あの猫…」 妻は、何気ないつもりで、つい口にした、 「美子!」 私は、妻の言葉を、強く遮る、 「あ、ごめんなさい、事故の事、又思い出せちゃったわね…」 妻は、ばつが悪そうに、ゴブレットに、口をつける、 娘は、不思議そうな顔で、首を少し傾げ、 「…何、何の話してるの?」 私に顔を向ける、 「…まぁ、大した事じゃないんだ」 「…事故の事を思い出し、又、気分悪くなったりしたら心配だしね」 私は、何となく、言い訳がましい言葉で誤魔化す、 「…ね、パパ、私、もう大丈夫だって」 「ね、お母さん、さっき〈あの猫〉って言ったよね?」 娘は、妻に詰め寄る、 私も妻も、無言だ、 相変わらず、〈ピッピちゃん〉は、涼しげな、鳴き声を奏でている、 居心地の悪い時間に、終わりを告げるよう、パパが、口を開いた、 「…波美が、家を出てすぐ、パパは、いつものように、ピッピちゃんの鳥籠を、ウッドデッキの梁に、吊したんだ、そしたら、あの野良猫が、垣根から、庭に侵入して来た」 「…あの通り、図太い神経の猫だろ?パパが睨み付け、バーベキュー用の薪を投げつけても、あいつは、知らんぷりさ、パパが、逆にあいつに威嚇されるんだから!」 「…うん、分かる分かる!」 娘は、頷き、片手でゴブレットを持つ、 「それでね、お母さん、頭にきてね、昨夜のワイン瓶を、あいつめがけて、放ったのよ、そしたら、巧い具合に、あいつすれすれに、飛んで行って…流石に、あいつも驚いて、急いで、我が家の垣根から、逃げ去って行ったわ」 妻は、心配そうに、娘の顔を覗き込む、 「ふぅーん、あの猫がね…」 娘は、思案顔で、小さく呟いた、 私は、喉がからからになり、ゴブレットのマンゴージュースを一気に飲み干した、
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