エンドタイトル

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 大男が枯れ葉を踏みしめ、古ぼけた洋館を見上げた。  軽井沢にある陽源荘(ようげんそう)の歴史は古く、明治二十年に子爵の別荘として建築された洋館だが、去年から奇妙な噂が飛び交うようになった。あの屋敷は《幽霊屋敷》という噂だ。  この屋敷を管理する株式会社、関月住建(せきづきじゅうけん)は屋敷を改造して、外国人観光客を当て込んだホテル経営を計画していたが、怪しげな噂があっては印象が悪い。  そこで経営がらみのトラブル処理を引き受けるプロを派遣して、その真相を探りだし、噂の揉み消しを命じた。  この案件を担当した板垣鷹衛(いたがきたかえ)は筋骨隆々とした百九十センチの大男、顔も鬼瓦の様にごつく、《ゆきえ》という聞きようによっては女のような名前をからかうような真似を上司でさえやらなかった。        *      板垣幸恵は広間の暖炉の前で、管理人の木島香苗(きじまかなえ)と対峙していた。  木島は今年の十二月二十日になれば満六十三歳、あと数年で定年退職を控えた老婆だ。  その夜の風は強く、周囲の木々の枝を鞭のようにしならせ、窓ガラスがあおられてガタガタと音を鳴らしていた。  二人の他は誰もいない。  周囲には壊れた数脚の椅子と胴体が砕けたマネキン人形の破片が散らばっていた。  ほんの数秒前まで、テーブルの前に置いてあった椅子が次々と宙に浮いて、マネキン人形を襲っていたのだ。  あのドローンが襲っているような異様な光景を思い出して、板垣は身震いをした。  もし何も知らなければいくら頑丈な板垣でもひとたまりもない。きっと今頃は救急車の世話になっていたに違いない。それどころか下手をすれば死んでいたかも知れない。それほどのスピードで椅子たちは動いていたのだ。  そしてマネキンが砕けた途端、椅子は宙から床に落ちて動かなくなった――  一応、板垣は椅子を丹念に調べたが、木製の椅子に機械的な仕掛けなどどこにもなかった。もちろん天井からピアノ線で吊られていたわけでもない。  「こんな騒ぎが起きたのに、今まで何をしていたんですか?」  木島は、こう抗弁した。  「年寄は動くのが大変なんです。ひざの関節が痛いんですよ」  だが板垣は首を横に振る。  「だったら、なんで、人の目につくようなまねをしたんです?」  「えっ? 何のことですか?」  その瞬間、板垣は会社員としての口調を変えて、まるで暴力団のような太い声で木島を詰問した。  「おとぼけはやめにしましょうや、あなたが皿や椅子を動かして皆を脅かしていたんだ!」  「私じゃないですよ、その場にいなかったじゃないですか」  「そんなの問屋が卸さないよ!」  「ええ!」  「なんでわかるのかって? あんたは罠にはまったんだよ、俺はもしやと思ったんで、マネキン人形に脳波の流れを模した電極を入りのヘッドギアをかぶせたんだ。ポルターガイスト現象が起きるのは必ず、あんたが席を外した時だからね――身代わりになってもらったのさ!」  「で、でも、私の他に十人もの人がこの別荘には宿泊しているではありませんか、なぜ管理人の私が、そんな真似をしなくちゃならないんですか」  「その住人はすべて俺の仲間さ、さっきこっそり抜け出して、あんたが逃げないように、此処を囲んでる」  「なんですって?」  「そろそろ正直に白状したらどうかね? あんたはテレパシーで脳波を読んで念力を使う、珍しいタイプだ」  「超能力なんてあるわけありません」  「裏社会では珍しくもないさ、こっそり超能力で好き放題やらかす輩は結構多いんだよ。あんたが知らないだけでね」  それで観念したのか、木島は大きく溜息をつきながら天井を眺め出した。  「四月一日だけです」  「え?」  「今日はエイプリルフールでしょう! 見つかってもウソ話だとみんな相手にしない。そう思ったんです!」  再び板垣は首を横に振ると、「婆さん、今じゃスマホで動画が撮れるんだ、メールも打ち放題、それで噂が広まらないって考える方がどうかしてるぜ……。はっきり言おう! あんたは会社のホテル経営を妨害したんだ! これは背任行為と報告させてもらうからね!」  「そ、そんな、私は四十年間も、此処で働いてきたんです」  「婆さん、あんな薄気味悪い能力があるとわかったからには会社としても面倒を見切れないんだよ、まあ、あきらめて契約解除に応じる書類にサインとハンコをしてくれ。社長も老人ホームを世話してくれると言ってくれてるんだから――」  そう言いながら、アタッシュケースから板垣は書類を取り出した。  「ああ、なんてこと」  老婆は泣き出したが、板垣は会社からの言わばメッセンジャー、すがったところで何も変わらないのは彼女もわかっていた。  板垣は「さあさ、泣いたって始まらない、とっとと終わらせましょうや、それがこれからのあんたの為でもあるんだからさ。悪い話ばかりじゃないよ。雀の涙だが退職金だって出るんだから、当分は生活に困らないよ、言う事さえ聞いてくれるんなら、裁判沙汰にはしない。考えるまでもないだろう」  とうとう覚悟した木島は、震える手で自分の名前を書類に書いた。  板垣は思った。 (この婆さんはやりすぎたんだ)  そう、木島はやりすぎた。  少しでも住み慣れた屋敷を離れたくなかったんだろうが、彼女は完ぺきに幽霊を演じすぎた。  これはどんな手品師や科学者でも見抜けなかったろう。  彼女は超能力者、念力でポルターガイストを起こし、あたかも悪霊が屋敷にいるように演出したのだ。  だがそれは彼女の身を危うくするもろ刃の剣だった。  超能力者とわかれば、平穏な毎日は望めない。  国家や科学者が放っておかないからだ。板垣は老人ホームとウソを言ったが、入居が予定されている場所はそういった能力者が集められるラボだ。彼女は隔離されて囚人同様に監視下に置かれる。  「では準備します」  そう言って彼女は自分の部屋に入って、二度と戻らなかった――  板垣が合い鍵で部屋に入った時にはもう手遅れで、木島の姿は何処にもない。  これにはさすがの板垣も臍をかんだ。  外には板垣の他にも政府の特殊部隊が待機しており、逃げられるスキはないはずなのだ。  板垣は悔しげにうめいた。  「あの婆さん、テレポーテーションも使うのか!」  もう、何処へ行ったかはわからない。  まずい事に会社を恨んだ老婆は、このあとでも、たびたび念力を使ってホテルに改装された屋敷で騒ぎを起こすので、板垣はそのたびに上司に叱咤された。  だが、板垣はどこか木島を憎めずにいた。  (俺もいずれは、お払い箱さ……。爺さんになればな!)  そう思うと、若干だが木島を応援したい気持ちになれた。                        了        
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