第五章 最後の約束

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「そうじゃないよ、父さん」  陽介は、深呼吸すると口を開いた。 「本当に星を見に行っているだけ。一緒に見ているのは、うちの学校の女子が一人だけだよ」  その言葉に、ぴくりと秀孝は眉をあげた。 「そいつにたぶらかされているのか。狙いは、どうせうちの金だろう」 「全然違う。むしろ、袖にされてるのは俺の方だよ」 「ふん。なんにしろ、色恋にうつつを抜かして成績がさがったんだな」  陽介は、それには返答できない。  バイトをしていた時は、確かに勉強する時間が足りない自覚があって、少ない時間でもやりくりしてなんとかがんばっていた。  けれど最近は、驚くほど意識が勉強に向かない。それを色ボケと言われれば、返す言葉はなかった。  陽介は、ほぼ毎日、夜の公園に通っていた。今までも夜に星を見に出掛けることはあったが、せいぜい一週間に一度くらいだった。それも週末が多く、平日に出掛けることはほとんどなかった。  約束したわけではないが、望遠鏡をのぞいていればたいてい藍が現れる。ぽつりぽつりと星の話をして、藍の背中が見えなくなるまで見守る。たったそれだけのわずかな時間のために、陽介は公園に通い続けた。  当然のことながらその分勉強の時間は減ってしまうし、寝不足の頭では授業にも身が入らない。  わかっているのに、夜になればそわそわと望遠鏡を用意する自分がいる。  藍に避けられるようになってからは、夜の公園に藍が現れたことはない。けれど、もしかしたら、という小さな希望を持って、あいかわらず陽介は公園に通っていた。  陽介は、ぎゅ、と両手を握りしめると背筋を伸ばした。 「父さん」 「なんだ」 「俺、医学部にはいかない」 「いかない、じゃくて、いけない、だろう。まだ取り返しのつかない時期ではない。頑張ろうという気は……」 「そうじゃない。他に学びたいことがあるんだ」  身を乗り出すようにして陽介は続けた。  陽介が将来医者になるということは、宇都木家では疑いもしない決定事項だった。兄も医者になり姉も医大に通っている。陽介自身もそれが当たり前だったし、医者になるのが嫌だったわけではない。  だが、高校に入ってから、医者ではない未来を選べることに気づいた。もともと天文に興味があったために物理や地学が楽しく、それに関わる職業として教師を目指そうとした。  自分で将来を決めた、と胸を張って両親に打ち明けた時、父にも母にもけんもほろろに却下された。落胆はしたが、家が医者であるから仕方がないと諦めてしまった。  けれど、今は。 「まだ教師になりたいと言うのか? くだらない将来を選んで恥ずかしいと思わないのか。ろくに給料ももらえずにこき使われるだけだぞ」  ふん、と秀孝は馬鹿にしきった態度で笑う。 「宇宙物理学を学びたい」  そこで初めて、秀孝は眉をあげた。 「なんだって?」 「宇宙物理学を学んで、できればそのまま研究室に進みたい。まだ宇宙にはわからないことがたくさんあって、世界中の天文学者が様々な研究をしている。俺もそれを……」 「何を言っている」  呆れたように、秀孝はため息をついた。 「そんなもの、一文の得にもなりはしないだろう。なんのためにそんな道を選ぶ? 人生の無駄遣いだ」 「俺は、医者にはなれない」 「当然今のままでは無理だろう。勉強が足りないだけだ。もっと真剣に……」 「医者という職業は尊敬している。でも、俺は兄さんのように身をつくして人を救うような医者にはなれない」  父の言葉を遮っていった陽介に、秀孝は眉をひそめた。  陽介が父に逆らうのは、覚えているかぎり初めての事だった。
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