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「そんなもの、医者になったら当たり前にできるようになる。なんのためにお前に金をかけてきたと思っているんだ。今までの投資を無駄にする気か」
「勉強させてくれたことは、とても感謝している。でも俺は」
「いいんじゃないの?」
突然、横から声がした。二人で振り向くと、キッチンから香織がトレーにカップを二つのせて入ってきた。
「香織」
「好きなようにやらせてみれば? 私はなりたくて医者を選んだけど、陽介はそうじゃないんでしょ? 兄貴も医者なんだし、いまさら一人くらい家で医者じゃないのがいたっていいじゃない」
香織は、秀孝と陽介の前にそれぞれコーヒーのカップを置きながら言った。
「だいたい、ろくにやる気もない人間に医学部にこられてもメーワク。こっちは真剣に命を預かる仕事よ? 嫌々医師になったって、そんな気持ちじゃどうせろくな医者にはなれないし、なってほしくないわ」
「だが、我が家の人間が愚にもつかない研究をしてるなど、恥さらしもいいところだ。人に聞かれてなんて答える? どうせくだらないと嘲笑されるに決まっている」
「そうやって、宇都木家をブランド化してることの方が恥ずかしいんじゃない?」
「お前、親に向かってなんてことを」
香織の言葉に声をあげかけた秀孝に、陽介は冷静に言った。
「進学は、東大に行きたいと思っている」
「なに?」
さすがに、最高学府の名をあげると秀孝の目が丸くなった。
「俺のやりたい研究をしているチームがあるんだ。そこに入りたい」
「む……」
しばらく考え込んだあと、秀孝は立ち上がった。
「父さん」
「お前は、目の前の課題から逃げているだけだ。子供のたわごとなど聞くに堪えん。もっとしっかりと現実をみろ」
「ちゃんと見ているよ! それで考えた進路なんだ」
「夢みたいなことを言っているのは、まだ子供の証拠だ。くだらないこと言っていないで、次回のテストでまだ成績が戻らないようなら、クラブ活動をやめて塾を増やせ。わかったな」
そのまま秀孝はリビングを出て行ってしまった。
「まあ、はいそうですかと言うような人じゃないわよね」
のんびりと香織に言われて、陽介は大きく息を吐いた。
「わかっていたけど……」
すました顔で香織は、秀孝が手をつけなかったコーヒーを飲み始めた。
「でも、ちゃんと自分の意見が言えたじゃない。それだけでも大きな進歩だわ」
「うん。姉さん、ありがとう。俺の味方をしてくれて」
医学部にむけて頑張れと勉強を見てくれていただけに、陽介にとって姉の言葉は意外だった。
「ばーか、あんたの味方をしたわけじゃないわ。いい加減な医者を作りたくないだけよ。それより、東大とは大きく出たわね」
陽介は、ずるずるとソファーに沈み込む。
「本当になあ。行きたい研究室があるのは嘘じゃないんだ。だからあんなふうに啖呵きったのはいいけど、今の成績じゃぎりぎりだ」
「なによ、後悔しているの? ちょっと見直したのに。よし、またスパルタするか」
トレーを軽く振った香織に、陽介は苦笑する。
「確かに成績はあがるんだよなあ、姉さんのスパルタ」
「あったり前よ。そういや、どっかいくんじゃなかったの?」
「あ」
言いながら時計を見れば、父と話しているうちにもう人の家を訪ねる時間ではなくなってしまっていた。
(仕方ない。明日にしよう)
胸は騒ぐが、かといって藍の家族に悪い印象を持たれたくない。それに、何よりも妹を大事にしている木暮が一緒にいるなら、きっと大丈夫だ。そう自分に信じ込ませた。
陽介は体を起こすと、香織の持ってきたコーヒーカップを持ち上げた。
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