四月一日のフール

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 その日おれは、東京に住まう大阪紳士のたしなみとして自宅で一人、たこ焼きを作っていた。大学は春休み、バイトは非番。都合のつく友人もいない。とにかく暇だったのだ。  ここのところ院試などで忙しく、たこ焼きプレートのスイッチを使うのも久しぶりだ。鉄板が十分に熱くなったところで油をひき、タネを流し込む。 『今日は四月一日、新年度ですね! 午前中、全国各地の企業では入社式がおこなわれ……』  適当につけたテレビには、どこかの入社式のもようが映し出されていた。社会人は大変だなあ。おれはあと二年、大学院で遊ばせてもらいます。タネに火が通り、ふちが固まりはじめたところでタコと刻みネギを投入する。そのときふいに、画面内の女性社員に目が留まった。  沙織(さおり)? いや、別人だ。薄茶色の眼鏡フレームと、後ろにまとめた長い黒髪で見間違えた。  今朝は沙織も、入社式に参加していたんだろうな。おれは思った。辞令をもらった後はPCのセットアップなんかして、今ちょうど昼休みに入ったころだろう。まさか初日からひとり(めし)ってことはないよな。先輩社員の誰かから「今日はぼくがおごるよ」なんて、声をかけられているかもしれない。もしくは同期入社のやつから「一緒にこの辺の店、見に行かない?」なんて誘われたり……。 「おっと!」  危ない、たこ焼きへの意識がおろそかになっていた。雑念を払うため、テレビを消して音楽プレイヤーを起動する。最近よく聴いているバラードをBGMに、ピックを取った。  鉄板のふちにピックを差し込み、タネを回転させながら丸く形づくる。手を動かすうちに勘が戻ってきて、数分後、プレートの上には十八個の完璧な球体が並んでいた。おれはちょうどサビに入ったバラードを口ずさみながら、調味料と取り皿、箸を準備した。  それにしてもたこ焼きは面白い。まるで一つ一つが超小型の惑星みたいだ。そこには核があり、その周りを包み込むマグマがあり、ほんの薄い、しかしパリッとした表皮がある。それをさらに、ソースの土壌とマヨの海で包むのだ……。  本当は緑の大地に仕上げたいところだが、あいにく青のりは切らしていた。いざ。  箸をのばした、そのときだった。 「おいおま、いただきますも言えへんのか!」
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